20年近く前の秋。
専門学校の1年生だったイシイに、地元開催の国体出場チームでの実習というチャンスが巡ってきます。
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夏休みに3回程度だったか実習に行き、ただただ練習の雑用を手伝い、俗に言うトレーナーらしいことなんて何もせず(出来ず)ただただ練習が終わるまでそこにいる(当然それも大事なこと)という実習だったにも関わらず関わらず、先生の計らいで国体期間中、一緒に宿舎に泊まりサポートさせてもらえる、という帯同実習。
無論、夏休みと変わらず何も出来ないまま。せめてもとペアストレッチを実習前に先生から教わったくらい。今にして思うとよく連れてってもらえたな、と思う。
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余談ですが。
この時の担当の先生とは後にイザコザ(というのも失礼だけど)があり疎遠になり、大嫌いになります。未だに会いたいとも思わないし嫌いですが😅間違いなくイシイの人生のターニングポイントになったこの出来事。嫌いだけど、感謝は忘れちゃいけないと思ってます。
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閑話休題。
何も出来ないひよっこイシイ。
選手に負担をかけまいと雑用を必死に探してこなします。試合の時は応援することも仕事、と言われ大声で応援。昼間の選手たちと夜の選手たちの表情って、また違うもので。夜は先生が選手の治療をするわけですが、『こんな状態で
プレーしてんの?!』と驚かずにいられない状態の選手もそこそこいて。痛み止めを服用しながら戦っていた選手は優勝した瞬間オレ血吐いて倒れちゃうかも、なんて笑って冗談を言ってたけど…社会人の皆さんは、当時でイシイの6,7つ歳上の選手たち。プロじゃないのに雲の上の人たちに見えました。プロじゃない。仕事しながら練習して、ここまで酷使して優勝目指して頑張るのってカンタンなことじゃない。独身の選手が多かったとは言え、なかなか出来ることではないとその当時も思ったのを今でも鮮明に覚えてる。
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迎えた決勝戦。会場は9:1で地元の大声援。
スタンドから優勝だけを信じて実習であることは忘れてはいなかったけど、もはやファン同然の感覚で試合を観ていた。ああ、あの選手昨日もあそこ痛いって言ってたな…とか、お、今日はすごく調子良さそう、とか。1週間も毎日一緒にいるとひよっこにも気付けることはあるみたいで。雑用しながらも選手の動きを『見る』というのはとてもいい練習だったんだなぁ、と思ったわけ。
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優勝がかかった、マッチポイント。
キャプテンの目が潤んでるように見えて、最後のプレーがスローモーションで見えて。
優勝が決まった瞬間はぶわっっと涙が溢れてきたけど急いで片付けを手伝うためにスタンドから下りなければという想いとでもうぐちゃぐちゃだった。
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初めて生で、目の前でみた全国優勝。
選手の嬉し涙やくしゃくしゃな笑顔。
監督の胴上げ。
宿舎に戻ってからのビール掛け。
どれだけ泣けば枯れるんだろうってくらい感激して泣きっぱなしだった。
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何も出来なかった。
出来ることは何もなかった。
それでも選手たちからストレッチしてくれてありがとう、とか雑用いっぱいしてくれてありがとう、とか口々に言われてやっぱり涙が止まらず。…当時を思い出して今も泣けるっていう🤣
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翌朝。
次の現場へ行く先生について行くため、選手たちよりも一足先に宿舎を出ることになったイシイでしたが、まさか優勝後の大宴会の翌朝なのに、選手たちが見送りしてくれたんです。それだけでも嬉しかったのに、一人の選手が手紙をくれたんです。当時27?くらいの選手ですよ?ルーズリーフに手書きの手紙。
ありがとう、今度はテーピング巻けるトレーナーになってチームに戻ってきてね、と言った内容の手紙。めちゃくちゃ嬉しかった。
何も出来ないならせめて邪魔にはなりたくない、って思いだけあっという間に過ぎた1週間。勿体ないくらいのプレゼントだった。
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余談。
数年後、しっかりテーピングも負けるようになったイシイはトレーニング期のスポットトレーナーとしてこのチームに呼んで頂くことになります。監督は変わってしまったけど、あの当時は選手で優勝に大きく貢献した方が監督になってて。最初の日、当時手紙をくれた選手の驚いた顔が忘れられません。本当に戻ってきたねぇ!!って喜んでくれて。
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このチームでの経験が原点。
チーム以外のことでたくさん悩んで嫌な思いもして苦しいこともあったけど…ここは割愛します😅忘れずに戒めとして…いい勉強させてもらった、と思えばそれもまた財産。
やっぱりこのチームでの、チームと関わる経験がなければ今のイシイはあり得ないんです。
実業団スポーツへの愛が深く刻まれたのもこの時から。以後、バレーボール、バスケットボール、バトミントン、ラグビー、フットサルと実業団(ノンプロ社会人)チームのトレーナーを経験するのです✨
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【続く】