Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

チャレンジ。

運命を、変えよう。~CHANGE DESTINY~

某化粧品メーカーのブランド理念なんですって。今までCM聴き流してたけど、池江選手の動画になって改めて認識しました。

https://youtu.be/0zO8GPYCCEk

運命を変えよう、なんて大袈裟なこといえないけど。みんな、大なり小なり毎日いろんなことに挑戦してると思う。挑戦してるって意識してるか否かは別として。

挑戦するって勇気も覚悟もある。

勢いでいけることもあるけど、やっぱり勇気がいる。歳を重ねたり、環境によっては勇気だけでは飛び込めない。覚悟がいる。

人生で挑戦したなーー!ナンバーワンはやっぱり専門学校を卒業したとき。色々守られてたものはあったから、今思えば勢いが9割。あれだけ厳格だった両親がよく理解してくれたな、と今でも思う😅それだけ、やりたいことが明確で強かったのかな。24,5の頃、本気でトレーナーを辞めようと思ったことがあった。トレーナーだけで食べていけると思ってなかったけど、本当に金銭的にキツくて、親に援助してもらいながら続けるのは自立とは言えない、、いつまで親の脛を齧る気だ?と自問自答した結果、トレーナーを辞めよう、と本気で思った。その時、母親に言われたのは『せっかく好きで続けてきたのに辞めていいの?』。20歳過ぎても親にお金借りて自分一人で生活出来ないのに好きなことやってますって胸張るのはおかしいでしょって自分を責めた。でも、そんな生活になることもどこかで想像はしてて。でも最低限ひとりで生活するだけは稼げるでしょ、なんてどこかで甘く考えてたんだと思う。だから"20歳過ぎて…"なんてさも正論のようだけど、、どこかで諦める真っ当な理由が欲しかったんだろうなと今では思う。よくある"○年やってダメだったら"なんて約束も公言もしなかったし。

と、まぁ母親の言葉でトレーナーを辞めるという選択を踏みとどまり。20代後半もフィットネスクラブでバイトしながらスタジオインストラクター、パーソナルトレーナー、チームトレーナーといくつも掛け持ちする毎日。

さすがに28歳の時、その当時の彼と別れたときは今後の人生を考えました(笑)

言い訳じゃないけど、どうせ結婚するから、とハナからフリーランスの道を選んだわけではありません。そこだけは声を大にして言いたい。やりたいとやって一人で生きていければそれでもいい、と思ってました。でも自分の仕事を振り返ったとき、バリバリ身体酷使して見本見せたり一緒に動いたり。フリーランスだから特に後継者を育てることもなく、本当にひとり。アタシの身体いつまで動くかな、いつまで必要とされるかな、と不安が過ぎりまくり。パーソナルの土台を作らなきゃ…とぼんやり考えているうちに東日本大震災が起きて、結婚して、自分を取り巻く環境が変わって…それでもまだ、好きな仕事を続けてる。人によってはそれ趣味でしょ?とか小遣い稼ぎと揶揄されるかもしれないけど、そんなの気にしない。

思えばチャレンジはしてきたつもりだけど、、最近何かに挑戦しようとしてるかな?と改めて自分を見つめ直してみたら、挑戦したいものすらないかも…?って。野心が無くなった?😅

久々に声を聴いた、自分の夢にチャレンジしようとしてる友の声は清々しかった。覚悟を決めて、前を向いてる声だった。新しくチャレンジしようとしてることに声をかけてもらえたことはものすごく嬉しい。そういう人たちに一目置いてもらえるような自分でいたいなぁ。アイツと仕事したいな、アイツに仕事頼もうかな、、何かをする時に思い出してもらえる自分でいたい。

信念を持ってやり続けること。続けるということ。紆余曲折ありながらも20年近くこの生き方を続けてきたアタシは"生涯チャレンジャー"と言っても過言ではないかな、、なんて。

そういうことにしといてくださいw

 

 

 

期待するとかしないとか。

今日は朝から雨。

雨は、嫌いじゃない。この季節の雨は花散らしにもなりかねないけどその姿さえ美しく思う。

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雨に濡れると白い花びらが透明になるサンカヨウ。神秘的だなー、見てみたい。

(Photo by http://www.tousan13.com/)

自分の気持ちと他者の問題が相俟って、"理想と現実のギャップ"にやられる。イライラすることもあれば、それも通り越して虚しい時もある。

期待するから腹が立つ

しがみつくからもっと腹が立つ

まぁ。なんと的を得た言葉でしょう(笑)

期待してるつもり、、は、ない。わけないか。

過度な期待をしてるつもり、、は、ない。と思うんだけど。だから最近腹が立つと自分が嫌になります。相手に依存してるわけでも、見返りを求めてるわけではない、と自分ではずーーっと思ってきた。そうやって仕事してきた。でもいくら見返りを求めてないと言っても、腹が立つのは少なからず、相手に期待してるんですよね。"見返り"の種類が違うっていう都合のいい逃げなのかもしれません。誰しも欠点を持っているし、アタシにだって欠点はある。むしろ欠点の方が多いかもしれない。人間そう簡単に変われるものではない、ということも頭では分かってる。変わるには時間がかかることも頭では理解してる。

でもさ、都合のいいことを言うようだけど。

期待しないって、寂しいなぁって思うわけ。

『期待するのはやーめた!』と思うようにしよう、と思ってもきっとアタシは期待を手放して度量が大きくなったわけではなくて、心の底ではまだ依存と期待(とは思ってないんだけど)があって、でも求め続けるのは疲れるから気にしないように、受け止めた"つもり"にして、乗り越えたフリをしているだけ。今まで何度も期待なんかしてない!しない!と言い聞かせてみたものの、イラッとするんだから…無意識下では全然諦めてないってことだもんね(笑)

無意識に怒り続け依存し続け期待し続けてる。うわー、、嫌な奴やん😂

まぁしょうがない、で諦めたくない。

変わって欲しいし変わるべきだと思う。

…その想いは、エゴなのか。

でもトレーナーだったら誰しも思うことなんじゃないかな、、なんて正当化してみたり。

期待しなきゃ、いいのにね。

でもそれが出来ないのもイシイなんです。

今日から2021年の春土用。

春土用って、陰陽五行でいうと春の季節が司る感情は、怒りやイライラなんですって。

だからか…、、と土用のせいにしておこう😂

逃げるは恥だが役に立つ。

2016年。同タイトルのドラマが大ヒット。

何故だか、一度も観なかった。あのダンスも結婚式の余興や謝恩会、イベントなどあらゆるところで多々目にしたが真似することもなかったのだけれど(笑)今になって、この言葉に思わぬ再会をした。これ、ハンガリー🇭🇺の諺なんだそう。逃げる、という言葉はどうしても後ろ向きな表現に聞こえてならないのだけど、この言葉には『自分の戦う場所を選べ』という意味があるそうだ。今いる環境にしがみつくのではなく、逃げることも選択肢にいれ、自分の得意なことが発揮できる場所に行こうー…。なるほど。自分の居場所は自分で選ぶ。真っ向から立ち向かうのではなく、回避していくことも賢く生きていく上で必要なスキル…ではあるけども。イマイチ腑に落ちないイシイです。

じゃあお前逃げたことないのかよ!と言われれば、あるような、ないような😅尻尾を巻いて逃げるということはないけど、逃げる(回避する、やめる?)ことを正当化させるようなものを見つけたうえで、逃げたわけじゃないと思い込ませてるのかもしれない。でも明らかに自分に非がある時は嫌だけど嘘つかずに素直に謝るけどな。。ってそんなこと当たり前か😅

ただし当然のことながら逃げてばかりではいけないわけで。そんなことはきっと誰もが心の奥底で思ってること。何かに挑戦することは、結果に如何に関わらず必ず自分を成長させてくれる。挑戦し続けていく中で、行き詰まったりどうにもならなくなったら…逃げて(方向を変えて)みる。そこの匙加減が上手な人はストレスとの付き合い方も上手い"生き方上手"なのかもなー、なんて。だからといってみんながみんな上手く生きられるわけじゃないから、上手い人を見ると羨ましく思っちゃうんだけどさ😅

会社を起こしたり、桁違いのフォロワーがいたり、何もかも捨ててやりたいこと0からやってみたり。発言力や表現力がずば抜けてるわけでもない。世界にはすごい人たちがたくさんいる。20年前はトレーナーなんて言葉はそんなに知られてなかったけど、今やトレーナーを名乗る人も目指す人も五万といる。上を見ても下を見てもキリがない。誰かに必要とされていないと感じた時、自分の居場所ですら見失いそうになる。自分の居場所は自分で創るだけど、相手があってのこと。必要とされなければ成り立たない。

『自分の戦う場所』を見極めて、そこで大いに奮闘すれば良い。誰と比べることなく、目の前の、自分を必要としてくれる人たちのために全力を尽くせば良い。他の世界に多少なりとも羨望があったとしても、本気で手に入れたいなら挑戦すれば良い。【自分にはここがお似合い】なんて身の丈にあった、みたいな考えこそいちばんやっちゃダメなカッコ悪い『逃げ』だと思うわけよ。自分の戦う場所は責任と覚悟をもって自分で選ぶ。それこそが、逃げるは恥だが役に立つってことなのかな、なんて。

世の中、すごい人なんてたくさんいる。

ワタシの周りにも仲間にも、たくさんいる。

そんな人たちの言葉や頑張りを見るたびに、自分は?頑張ってないんじゃないか、挑戦することから知らず知らずに逃げてるんじゃないか、とかってチクチク心が痛んでたわけです。

でも、考え方を改めようかなと。

逃げたんじゃない。

ここで戦いたいって自分で決めたんだって。

勘違いした独りよがりにだけはならないように周りの刺激を心地よく受けながら、戦い続けようと思う。

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" Szégyen a futás, de hasznos. "

逃げるは恥だが役に立つ

(誰かネイティブで聴かせてw)
 
 

誰かの役に立つ、ということ。

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過ぎゆく春を惜しみながら、まだ咲いてる桜、これからの桜を追いかける、新緑とハナミズキも木を彩り始め、季節は春から初夏へ移ろうとしてる今日この頃。

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(GEORGIAさん画像お借りします)

このCM、好きでした。

自分の仕事は、どこかで見知らぬ誰かの役にも立っていて、そんな自分もどこかの誰かのお陰で…そう思えると全てのことに意味があるように思えて俄然やる気が湧いてくる。

『仕事って大抵人の役に立つけどね』とさらりと言った某芸人さん。

『誰かのためなら頑張れる。自分のためにはあまり頑張れない。』
と言ったその某芸人さんの相方さん。

2人とも素敵すぎやろっ!。゚ヽ(゚`Д´゚)ノ゚。

キレイゴトかもしれないけど、その気持ちはすごく好き。人は自分じゃない誰かのためなら頑張れる。誰かのために頑張ることが…巡り巡って、自分に返ってくる。わかる形か、わからない形かは別として。

そうは思っていても。自分は誰かの役に立つ仕事をしたのか、とどうしても考えてしまう。

例年であれば長期休みや土日はセミナー講師や出張指導に呼んでいただいていたのが一年以上にも及ぶこのコロナ禍で片手で足りるくらいに激減した。セミナー講師や指導は、わかりやすい。相手がいるし、求められて行くのだから当然誰かの役に立つ(立とう)と思ってる。その機会が減ると…居た堪れなくなる。朝ドラの主人公みたいに『ちょっとは世の中の役に立つことしてみいな』とか言われたわけじゃないけど。

いや、たとえ仕事でなくても自己研磨の時間だってそれはいずれ誰かの役に立つこと。モノは考えようなんだけども。なかなか、どうして。

"どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない。"

"あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。"

最近たまたま知ってググった、オーストリアの心理学者ヴィクトール・フランクルの言葉。

結局さ、モチベーションと一緒なんだろな。

あー、、誰の役にも立ってない!

何も出来てない!てか自分何?!みたいな。

そういう状態ってモチベーション低下してるのと同じ状態なんだろうな😅

ぶっちゃけ、何もしてないことはない。

仕事のない日はあっても家事をしない日はない。家事は仕事じゃないけど、夫のためにやる。自分だけならもっと適当でいいことなんかたくさんある。でも、わがままを言うなら、、家族以外の誰かの人の役に立ちたいわけです。それが誰かの役に立ってるって、すぐに感じられなくてもいい…っていうと、何かいろいろ矛盾してるからツッコミはなしで😂

結局、ぜーーーんぶ繋がってるんだよね。

仕事も人生も、とか言ってみる。まだまだ不惑前の若造ですが。

今の生活が1年後の自分をつくり

今の学びが5年後の環境を生み

今の悔しさが10年後の自分につながり

今の人への優しさが20年後に返ってくる

そんな言葉を見つけました。

だから、今、何を選ぶかってことに責任を持たなきゃいけない。いや、持ちたい。それが、自分の未来に対する責任。

何を選ぶか、と同じようなことで、何を買うか、何を学ぶかも大切な判断。"何"はもちろん大事だけど、"誰から"をもっとも大切にしてるワタシの判断基準。

その方からだから買いたい、教わりたい。
この気持ちって、対面でしか(とは言い切れないけど)生まれない価値だと思う。
"何"ではなく"誰から"で繋がった縁は、たとえ細くても長く続いていくような気がする。

話があっちゃこっちゃいきましたが😅

今日は牡羊座新月🌑。何かを始めるにはとってもいい日だそうです。ということで今もやっとしてる心のうちを吐き出しながら、自分自身を見つめてみました😂相変わらず面倒な性格だなーーなんて思いながら。『ある』モノに敬意と感謝を、そして大切に。

ワタシはワタシのことをしっかり評価してくれる相手と、敬意と感謝のもとで仕事がしたい。相手が誰であれ、数ある選択肢の中から"ワタシ"を選んでくれた人のためには全力でgive。

それが選んでくれた人への礼儀。

努力。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

彼女の言葉に胸を打たれた人、目を潤ませた人は多かったのではないでしょうか。

(もちろんアタシはボロボロでした😢)

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(NHK NEWS WEBより引用)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210404/k10012955881000.html

すごいなぁ、、どれだけ努力したんだろう。

泳げないどころか"普通"の日常も送れなかったあの期間に、この日がこんなにも早く来るなんて夢にも思わなかっただろう。

 

ツラかっただろうに。

悔しかっただろうに。

 

現実を受け止めて、諦めることなく腐ることもなく努力し続けた彼女は本当にすごい。

『つらくてもしんどくても、努力は必ず報われると感じた』と泣きながら答えた彼女。

違うよ、努力は必ず報われるんじゃない。

報われるまで努力をやめない人だけが報われるんだよ。某アイドルが口にした時からあまり好きではなくなったこの言葉。頑張ったら必ず報われるんじゃない。多分、報われる日まで頑張り続けた人だけが感じることが出来るんだと思う。『努力は必ず報われる』って。

並々ならぬ努力を重ねてきたであろう彼女に『才能だね』みたいな陳腐はかけないでほしい。才能、運、環境まで揃ってたって、努力が伴わなきゃそれもその努力の方向性が合った上での血の滲むような努力が揃って初めて、報われるわけで。努力の方向性が間違ってたらなかなか報われる日は来ないと思うのよね(笑)

三流の人は努力をせず、

二流の人は努力をする。

一流の人は努力を楽しみ、

超一流の人は努力を知らない。

なんて言葉もあるんですって。

アタシは二流と一流の間…一流寄りの、二流かな。ま、自己評価だからアテにならないかw

努力は報われないことも多々ある。("報われる"カタチは一つじゃないと思うけど)でも、努力しなければ何も変わらない。

でも人には努力だけではどうしても乗り越えられない壁があると言う人もいる。その壁は、どんなに強い想いを持っていたとしても乗り越えられない。その、努力で乗り越えられない壁 とは何か。

それは『自分自身を厳しく律し続ける素養があるかどうか』だそう。誰しも願望や理想がある。けれども、その目的のために自分自身を律していくことが出来るかどうか。ここの差はデカいと思う。

自分自身を厳しく律することが出来ない人は、
どんなに想いが強くても自分自身の甘えが大きな壁となって立ちはだかる。自分自身が原因とも気付かず『どうしてこんなに頑張ってるのに』なんて思う時はそうなのかもしれない。

とか言って。

最近何か努力したっけ?

ん?努力ってなんだっけ?

…完全にヤバい奴じゃん😅決して"努力を努力とも思わない"域にあるわけではない…と思うんだけど。

努力もせずに他人の成功を羨むのは最も無駄で醜い。当然のこと。羨ましいな、すごいなと思ったら"何をすればいいのか"、"自分はどうなりたい(どうありたい)か"を明確にすればいい。そうすれば自ずと自分を律することは出来るはず。努力しなくなったら終わりだよ。そんな人間にはなりたくないな。

 

記憶。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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腹を括って、この季節だけの恒例行事(笑)、城址のある山の上に広がる絶景を求めて!走ってきました。しんどいけど爽快感と達成感は最高でした🌸

記憶って、どこまでが正しいって言えるんでしょう。曖昧な記憶、絶対に間違いない記憶、、さまざまあると思う。けどそれ、どれだけ信憑性があるんでしょう。嬉しい記憶も嫌な記憶も、時が経てば経つほど知らない間に(無意識下で)ちょっとずつ脚色されてって、自分の都合のいいようにアップデートされてしまってるんじゃないかってふと思った。

たまたま、トレーナーとしての19年間を振り返って人に話す機会があって。そこにはいいことも嫌なこともたくさんあるわけで。むしろいろいろ割愛して(嫌な思い出は話すことないかなと思って)話したけど、この記憶はどのくらい正確なんだろう、と思っちゃったんだな。

それに加えてSNSで"知らなくていいこと"を知ってしまい(笑)いやーな記憶がフラッシュバック。なるべく、客観的に捉えよう伝えようとはしてるけど、どうしたって押し殺してたってその時の感情って残ってるし、経験値が増えれば増えるほど、その時の嫌な記憶の捉え方もどっかで(無意識に)変わってたりするのかなって。

だからその"知らなくていいこと"を知った時に思い出したその記憶は、本当に正しいのかなって。アタシだって人間だし、自分に非があったとしてもどっかで都合良く書き換えたりしてないかな…と不安になった。

思い返すと、その記憶だけではなく他の記憶もまた、自分は間違っていなかった正しかったはずだと思う気持ちと、あそこは感情を抑えて柔軟な対応をすべきだったか…という二律背反。

そう思えるだけ客観的に見れてるということにして、いい記憶も嫌な記憶も、たまには丁寧に振り返ってみることも大切なのかもしれない。

事実は一つでも、捉え方も記憶のされ方も人によって変わる。そこには感情があるから。

桶狭間の戦い織田信長が勝利したと言う事実は変わらない。それでも捉え方は人それぞれなわけで。それをどう伝えていくかは捉え方次第で事実は少しずつ脚色されてく。そう考えたら本当のことなんてきっとその時その場に居た人にしかわかんないんだなぁって。

だから記憶を辿って誰かに話をするときは気をつけないと、と思ったのです。

 

知足。

昨日から一気に気温が上がり一斉に花々が咲き出したので見頃を逃すまいと久々の朝Runへ。

靄ってんなー、と思ったけどそうか黄砂か😑

でも花粉も黄砂もなんてことないワタシ(笑)

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『散る桜 残る桜も 散る桜』

はて、誰の句だったか。

良寛、辞世の句でした。
散りゆく桜があれば、未だ美しく咲き誇る桜もある。しかし結局はどちらも散る。まさに"諸行無常"の定め。

そういえば、桜の花言葉は『精神美』

満開に咲いている桜も
いつ嵐が来て散ってしまうかもわからない。
諸行無常だからこそ今を生きる、今砌の今を精一杯に、ご縁を大切に生きる…。一見ドライでど正論に聞こえる禅の言葉。でも何かと身に沁みる今日この頃(笑)


今日は30日。晦日詣に神社へ。

お賽銭を入れて手を合わせた時にちょうど本堂の中から宮司さんの神楽鈴の音が!なんてグッドタイミング。有り難く合掌🙏

朔参りはどうしても願望系な挨拶になりがち。逆に晦日詣はこの1ヶ月にあったいろんなコト全てへの感謝を伝えにいく。いいこともイヤなことも起こったことに全てに、まずは感謝を。

いいことばかりじゃないからねー、なんて歌もあったけど、良いこと、好きなこと、楽しいこと。人生そればかりじゃない。むしろアタシは楽しいっていう感情が欠落してるんじゃないかと思うことも……その話は置いときましょ😅

『足るを知る』という言葉。

語源は、老子の"知足者富"という言葉だそう。 
足るを知る者は富む。富むといっても金持ちになると言う意味ではない。(それはあさましい😅) 足るを知る人は幸せになれる。足るを、知る。『無いもの』『不足しているもの』には気付きやすく、ある人、ある場所が羨ましく思える。でも本当に何もないのか?『足りてるもの』『すでにあるもの』を見落としてないか?軽視してないか、、。ないものや不足してるものに腹を立てたりするのは無駄だと分かっていても、未熟なワタシは毎度毎度イライラするのです…悲しいかな、未熟すぎる。

でもさ、楽しみもメリットも…『そこにある』も話じゃないと思うのよ。そこにあるもんじゃなく、そこにいる人たちで創り出すものだと思いません?それを『そこにある』ものだと思うから、つまんないとかデメリットに感じるんじゃないかな。つまんない、とかメリットがないって思ったら"やーめたっ"の前に、自分にとってそこは何なのか。自分の手で、仲間と共に楽しさや価値やメリットを創り出す情熱を注げないものかと考えて欲しいなと思うわけです。自分もそうでありたい。

だから腹立つことは多々あれど、不平不満を口にしたり態度に出すよりも(出してるんかい!)目の前のこと、今あるものに対して情熱を注ごうと思うのです。あるもの、いる人をもっともっと、大切にしないと。

自分自身の"当たり前"や"常識"、"〜すべき、あるべき"の感覚には蓋はしない。自分はそれで良い。人に求めず寛容に受け止められれば良い。

どんな場所でもどんな状況でも流されることなく、一生懸命になすべきことをなす。人生が順調である時も逆境にある時も、自分の『外(周りの人や環境のせい)』にせず、自分自身の務めをきちんと果たす。そこに信念と情熱を注げる素敵な大人になりたい(笑)

『吾唯知足(われ ただ たるをしる)』

必要なものは、もうすべて足りている。

一見ドライで、ど正論のようで、、でも何かと身に沁みる、禅の言葉。