Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

、微笑んだ。

言わずもがな、前回の続きです(笑)

無事にニケが微笑んでくれました。

 

f:id:physical141yuko:20230203160125j:image

 

全員揃うことは叶わなかったけれど。

何度か逆転されて苦しい場面も、離されずに喰らいついた結果、ニケは微笑んでくれた。

3点差、というかなりのスリルと共に。

おかげで不覚にも嗚咽が込み上げました…。

 

余韻に浸るのはもう終わり。次へ向けて準備開始。そしていつも思うのは…チームは本当に、生きものである、ということ。学生なら3年、4年と初めからある程度の"終わり"を見据えられるけれど、社会人はそうもいかない。いつ誰が居なくなるかわからない。その逆もまた然り。

人員の確保、資金の確保。シーズンインから逆算して練習メニューを見直して…裏方には恐らくいちばん多忙な時期。でもそれすら前向きな気持ちで何とか選手のために、と動けるのはやっぱり勝利があったからに他ならない。

 

 

応援されるチーム、応援したくなる選手の集まりでありたい。それでいて強ければ尚いい。

試合ひとつとっても、運営があり、レフェリーがいる。自分たちだけでは成り立たない。強さに関係なく、それはどこにとっても同じこと。自分たち意外へ敬意を払えるか否かはとても大切だと思う。そこは大事に出来るチームでありたいと思う。

 

まずは自分たちの仲間を大切に。

去る人には、最大限の感謝と敬意を。

そうしてぽっかり空いた場所に、また新たな出逢いがありますようにと願いながら。

 

暦の上では春。

春は、別れと出逢いの季節。

 

f:id:physical141yuko:20230203162355j:image

 

 

女神は、。

スポーツにおいてたびたび耳にする"勝利の女神"。諸説あるが、ギリシャ神話における女神ニケは、古代ギリシアローマ帝国で人気があったスポーツ『戦車競走(チャリオット・レーシング/chariot racing)』と結びつけられているから、女神ニケが象徴する勝利=スポーツ競技における勝利を指すことが多いんですって。

ローマ神話では"ヴィクトリア(Victoria)"と呼ばれ、死に対する勝利を象徴し、戦争の勝者を決定するものとされているそうだ。いずれにせよ、戦の時、ニケがそばにいるとゼウス(←偉い神様)は必ず勝利したっていう話。それに肖り勝利を祈願してニケの像を軍艦の舳先につけることもあったそうだ。有名な1863年エーゲ海にあるサモトラケ島で発見された像も、軍艦の舳先にそなえつけられていたものではなかろうか、と言われている。アタシでも知ってるニケはこの像です。

f:id:physical141yuko:20230127073918j:image

 

どうすれば、ニケに微笑んでもらえるのか。

 

6年振り、15回目の最多優勝に返り咲いた仙台高専名取キャンパスラグビー部。

f:id:physical141yuko:20230127075619j:image

ここ2年は初戦敗退、今年こそ王座奪還!と虎視眈々と努力していた彼ら。昔ほど関わりは薄れたものの、やはり入学して来た時から知っているので自然と熱は入る。結果論と言われても構わないけど(笑)組み合わせ抽選会で、初戦の相手に去年の覇者、つまり第一シードを引き当てた時からドラマは始まっていたように思う。何となく、ここで勝ったら(しかも辛勝だったら)優勝するんじゃないか、と何となく思っていた私。結果、1回戦を15-14、準決勝を19-7。そして決勝は圧巻の38-7。初戦でニケを虜にしたに違いない。

 

 

かたや、今年こそはと王座奪取に燃えた宇都宮ヴォルツ。ここも一旦チームを離れてからは古参ファン目線(笑)で見守る程度の関わりだったが、今シーズン、ついに数年振りにスポットで帯同する機会に恵まれた。つくづく、"縁"とはわからないものだなぁと思う。その試合、何とも稀有なことに4時間ほどかけて会場に着く手前で中止決定がくだされたっていう(笑)

f:id:physical141yuko:20230127081305j:image

この他にもいろんな"自分たちではどうすることも出来ない"事象に翻弄されながらも悲願の東日本TCL Dvi.2で優勝を飾った。その勢いのままもう一つのタイトルも…と期待していたけれど。残念ながら昨年の覇者の前に力尽きた。

ラグビーに、番狂せはほぼないと言っても過言ではない。準備に準備を重ね、綿密な計画、緻密な努力を重ねて試合に臨む。それでも。どんなに万全な態勢で臨んでも結果が伴わないことも、ある。今回のように。以前、トップレベルで選手をしていた友人が引退した時に言っていた。"最後に勝って終われる人って、きっと今までの全ての事をやりきってきたからだと思います!"って。その彼女のラストマッチは準優勝だった…泣。と、同時に思った。今大会で日本一になって勇退すると言っていた彼のこと。

f:id:physical141yuko:20230127090424j:image

そうか、ニケもまだ彼を辞めさせたくなかったのねと合点がいった。まだやることがあるでしょう、今じゃない。

試合後、だいぶ泣いたようですが(笑)見たことないなぁ、なんて思いながら、、何て言葉をかけようかとLINEを打つ指がなかなか動かず。(自分が負けた時に慰めや励ましを言われると居た堪れなくなるので笑)でも、なんていうか。このまま終わってほしくなかった。ニケに試されてるんだよ。見返してやろうよ、惚れ直させてやろうよって。そもそも周囲にも勇退の話はしてなかったと思うので誰も知らないとは思うけど。年齢的にも来年がちょうど良い区切り。ラグビーPlayerとしてはなかなかオールディーズかもわからんけれど、年齢的にも、日本一への挑戦も三度目だし、全てにおいて来シーズンは区切りがいい。もうワンシーズン、Playerとしての彼を見ることが出来そうで今は安堵している。きっと、ニケも(笑)だから、追い込んで欲しいときはいつでも声かけてねって念を送っておく(笑)

 

 

とか言いつつ。

明後日はいよいよ、我がチームの入替戦です。

f:id:physical141yuko:20230127091259j:image

コロナ禍と同時に新体制になり、なかなか難航しながらも荒れる海原を漕ぎ続けた3年。

 

最後は気持ちだろ!!!笑

久々に、というか今シーズン初めて全員揃いそうです。

だからニケよ。お願い、私たちに微笑んで。

 

 

考えるな、考えろ。気付け、感じろ。

世の中、矛盾してることってたくさんある。

"Don't think,feel."

f:id:physical141yuko:20230112083127j:image

考えるな、感じろ。

有名なワンシーンですが(笑)

この一言においても受け取り方は様々で。

考えるなって、本当に考えてないわけではないと思うわけで。感じるままに行動する、感じるままに動く、というノリは理解できるし嫌いではないし、むしろ大事だとも思う。
でもこのDon't think feel.を言える人の境地って、むちゃくちゃ考えている人だと思う。歳を重ねるごとに何かを得ようとする時にまずやってみることもよりも頭で理解しようとする。もしくは自分の知識をフル稼働させて考える。それは悪いことではないと思う。リスクマネジメントとしても効率を求める上でも大事だと思う。なかなか的を得た表を見つけたのでシェアさせていただく。(micさんと言う方のBlogから拝借)

f:id:physical141yuko:20230112083645p:image

日頃から考えない、ここぞと言うときに感じない…これは確かに思考の放棄であり人間の放棄(笑)ラグビーだって、バスケだってなんだってとにかく普段は基本は考え抜かないといけないはず。自分の体がどう動いているのか、どんなポジションが最適なのか、どんな飛び出し方でポジションに入るのか、どうやったらいい連携が出来るのか,などなど。

でもここぞいう本番や、ゾーンに入った時は考えていない(=Feel)、つまり感じて勝手に身体が反応する、動く…それが理想だと思う。
そういう大切な瞬間にまで考えて反応するようなでは頭でっかちすぎる。『最後は気持ちだ!』と言われる所以もここにある気がする。


指(自分の体や自意識)に囚われないで、月(課題、岩)の真のありよう見抜かないといけない。
でもその境地に達するためには、日頃からthink,think,thinkを重ねるべきなのだ。
その思考の連続を積み重ねた先に、ここぞの場面のFeelにつながる瞬間がある。

 

 

言葉というのは厄介なモノで、発した側、受け取る側によって真意が180度変わってしまうこともある。受け取り側の心境次第では素直に受け取れない(受け取りたくない)ことだってある。そこまで慮って会話しようとしたら疲弊してしまうかもしれないけど…誰だっていつだって、その言葉のまま素直に受け取れるとは限らない。もしも発した側と受け取る側の関係性が多少なりとも周りよりも濃いならちょっとくらい慮って欲しいと思うのはわがままなんだろうか。そんなことを考えていて、"Don't think feel"を思い出したわけですが(笑)

 

そこでまたふと思い出したのが小学校の時の恩師の言葉です。

小学校の5,6年生の時の担任の先生。今でもよく覚えているのでよほどいい思い出だったんだと思います。会いたいなぁ、と思ったこともあり大検索をして昨年何とその先生にたどり着いたんです!が、なんとその先生は校長先生になられており((((;゚Д゚)))))))メールでコンタクトを取ることに成功はしたけど、一度きりの返信のみでその後は返信がなく、再会は未だ叶わず。

 

卒業式の朝、教室に行くと(だいたいクラスでいちばん早かった)全員の机の上に手紙と一輪の花が置かれていて。しかも封筒はちょっとふっくらしていて、アタシの手紙だけでも3枚の便箋にびっしりと認められていた。初めての卒業生ではなかったはずなのに、40人近いクラス全員にそれだけの量の手紙を書いてくれた。

 

多分、その手紙も押入れの段ボールのどこかにまぎれてるはず。捨てるはずはない。その中に書かれていた言葉で今も思い出す言葉がある。

 

自分の評価を他人に求めないことだ、と。

良く気がつき進んで動く。それは素晴らしいことだ。先生、〜やっておいたよ。とか先生も気付かないこともあるから有難い。でもそれを妬む人もいて、評価を下げかねない。的なことが書かれていて。気が付いて何かをしたことは褒められたいからでもなく、気が付いたから。そこでやめておけばいい。やっておいたよ、と言う必要はない。もちろんこれは褒めてもらいたくて、見返りを求めて発したわけではなく何のウラもない、ただただやっておいたよ!っていう報告だ(ったと思う)としても、しない方がいいんだなと何十年も経ってから思った。当然、この手紙をもらった時はこの意味が理解出来ていなかったと思う。

 

そして12歳のあの頃から28年経った今、その『自分の評価を他人に求めない』が頭を掠めたのだ。頑張る、努力するのは当たり前。頑張れ、と言ってもらえるのは応援されてる証拠。自分でどんなに頑張っていても努力していたとしても、それは自己評価の域を出ず、頑張りも努力も他人の評価。ただ、自己評価もなければ頑張るモチベーションにはならないから自分で自分を褒める、認める、そしてまた頑張る。それでいい。自分の評価を他人に求めるな。先生、先生はあの頃の私にどういう想いを込めてこの言葉をくれたんだろう?今となってはわからないけれど、とっても深い言葉を贈ってくれたなぁと今更ながらに思った。

 

私は私の思うように言葉を選んで使う。

相手にどう受け取られたか、相手の真意はどこにあるのかは詮索しない。それは自分の評価を他人に求めることに似ている気がするから。

ただ、自分が言われたくない言葉や伝え方はしない。相手へのリスペクトを忘れない。それでいい。

 

考えるな、考えろ。

気付け、感じろ。

 

2023年のテーマだな(笑)

いいひと。

誰しも"万人に好かれることはない"とわかっていても、やっぱり嫌われるよりは好かれたいと思うのが人間ではないかと思うのです(笑)

 

ある人にお話を聞いていただいていたときに

良い人と思われたいか的なことを言われて、ハッとしました。うん、多分ワタシは『良い人』でいたい人なんだと思う。万人に好かれることはないし、好かれたいとも思ってもない。矛盾するようだけど、根っから良い人になりたいわけではなく、嫌な人よりは良い人の方がいいよね、くらいで良い人でいたいタイプなんじゃないかと思ってます。

 

とは言え、自分を偽ったり過剰に相手を褒めちぎったりするのは好きではない。要はお節介なんだと思う。それは裏を返せば"誰かのために何かをしてあげる自分がたまらなく好き"ということになるのか?そういうわけでは…ないと思うんだけど、思いたくないだけかしら?(笑)

 

 

誰かを励ましたり、誰かにエールを送ったりするときに今まで使ったこともないような表現や例えが"降りてくる"ことが多々あります(笑)

そんな表現使ったことないのに、と自分も驚くのだけれど、決して口から出まかせではない。

本当に相手のことを思って、どんな言葉で伝えようか、どうしたら追い風になるようなエールを送れるだろうかと考えて、考えているうちにふっと降りてくる。

 

 

お節介な性格とはきっと、根底に"良い人"でありたい願望があるのかもしれない。

でも、決して良い人になりたい、が先に来ての行動ではないと思いたい(笑)

少なからず"良い人と思われたい"自分と、

心底目の前の、大切な人たちへの応援したいという自分との間で、矛盾を抱えながら、案外腹黒いのかもなぁ…なんて思いながら。損得勘定ではなくそれも、これも全部自分なんだと受け入れようと思います。

 

 

どんなふうに生きたいのか?

ポーカーフェイスやドライな性格への憧れもあるけれど、それはやっぱりワタシらしくない。その時その時の自分の感情に素直に。

喜怒哀楽の激しさこそがワタシらしさだと思うので(笑)自分の感情に蓋をしない。しっかりその感情をその瞬間に味わう!そうしたら人生を謳歌してる!充実してるって思えるのかな。

そんな年にしたいです、2023年。

 

冬至と夜明け。

今日は冬至でした。

冬至とは、太陽の位置が一年で最も低くなり、日照時間が最も短くなる日。

f:id:physical141yuko:20221222213318j:image

冬至の日の日照時間て、夏至と比べると北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるんだそう。結構な差😱

かつての琉球王朝では、冬至点を過ぎて最初に昇って来る朝日のことを"若い" "てぃだ(太陽)"=若てぃだと言って、大吉兆なんだとか。

そしてこれは琉球だけでなく、世界中の文明に必ず『冬至点の儀式』があるという。

エジプトのカルナック神殿に、冬至点の瞬間にだけ、まっ直線に光が差し込む部屋があるとか。なんて神秘的!!

伊勢神宮宇治橋も、冬至のその瞬間に一直線になる計算で建てられているんだって。

 

 

沖縄の、玉城城。

ここは、夕日が岩石をくり抜いた城門を通過して城外に照射し、夏至の日は朝日が反対に城門を通り拝所の香炉を照らすんだそう。

ひとつ知ると、芋蔓式に調べたくなるもんです(笑)日本だけではなく世界中に冬至点の瞬間の太陽を捕まえようとした痕跡がある。それがなんとも…いとおかし(←いい表現が見当たらない💦)

 

 

冬至は、太陽の力が一番弱まった日。

この日を境に、再び太陽の力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意で『一陽来復』、冬至を境に運気が向いてくるとされている。今年の冬至点は12月22日6:48。

福島の日の出は6:50。ほぼほぼ冬至点と同じでしたが、残念ながら雨でした☔️

だから私にとっては明日の朝日が生まれ変わった最初の太陽!(と思おう!と思ってる)

 

 

思い返すと2022年はほんと、稀に見るほど幾多の災難に苛まれた一年で…。

なんで、どうして、と喚きたくなるくらい、頭を抱えメンタルをすり減らしながら、良くも悪くも"近い"我が家は何度も何度も険悪な空気を醸し出し😅まぁ、お互い大人なので?(笑)爆発させることはなかったけれど。それでも最後の最後にも思いっきり打ちのめされたときはさすがの我が家も涙を流し。そんな、一年(笑)

これ以上、辛いことはないだろう。こんなにしんどかったんだから、これよりどん底はない…、そう言い聞かせるしか、ないじゃん😅

神様は乗り越えられる試練しか与えない、とはいうけれど。こう次から次へと…ほんとに?これ、乗り越えられる?こんな強くないよ?と何度思ったことか(笑)でも、本人はつらい時、苦しい時に、"今がいちばんツラいんだ、ここさえ耐えたら"と言い聞かせて踏ん張ることほどしんどいことって、ない。それでも。

 

"The darkest hour is just before the dawn."

夜明け前が、いちばん暗い。

 

終わりかけの時期が最も苦しい。

それを乗り越えれば、事態が好転する。

そう、今がいちばん暗い。

そう言い聞かせるために冬至ネタに重ねてみました。ツラかったこと、しんどいことの多かった人。今日の冬至に肖って、今日からちょっとずつ運気が向いてくる、だから顔あげて歩こうって一緒に思いましょ。

 

柚子湯もかぼちゃもありつけなかったけど、気持ちだけは一陽来復

 

f:id:physical141yuko:20221222223521j:image

 

あ、最後に。

いつも読んでくださる皆様。

今年もありがとうございました。

顔も名前も知らない方と、知り合いの方と

どちらの割合が多いかわからないけれど。

来る年が皆様にとって素敵な年となりますように。

色褪せないもの。

 

f:id:physical141yuko:20221126200232p:image

https://youtu.be/obi-zd9drgk

 

こっちもいい。

f:id:physical141yuko:20221126200340p:image

https://youtu.be/pL1diIobCoY

 

 

CMをみて、脳裏で口ずさんで、

不覚にも涙がこぼれそうになった。

 

この曲が発売されたのは1991年。

それから30年以上経っても色褪せることなく胸を打つこの歌詞。それはもしかしたら私の熱苦しい性格ゆえかもしれないけれど😅

 

負けないこと

投げ出さないこと

逃げ出さないこと

信じ抜くこと

ダメになりそうな時

それがいちばん大事

 

他でもない自分に負けないこと。

どんな時も投げ出さず、逃げ出さず立ち向かうこと。そして自分を仲間を信じること。どんな時もそれが出来る人間やチームは強く魅力的だと思う。だからドイツを撃破した日本の選手たちを見て勇気をもらえたり、感動がむくむくと沸き起こってくるんだと思う。

 

こんな鳥肌が立つような興奮や感動は自分の身近な日常生活ではなかなか味わうことはないかもしれない。それでもどんな些細なことであっても負けずに、投げ出さず逃げ出さず、自分を信じてやり抜けたら、それは間違いなく自信になる。

 

もし、今自分のやっていることにやりがいを感じられなかったとしたら。成果や結果が見えないとなかなかやりがいには繋がりにくいもの。でもそこで負けない、投げ出さない、逃げ出さない、自分を仲間を信じてやり続けることこそがやりがいになるのかな、なんて。やりがいや成果を"外"に求めるから辛くなるんだな、きっと。成果や結果はおまけで(もちろん成果や結果をあげることに最大限尽力するんだけど)、自分がどうあるか。それが大事なのかなと。

 

 

負けないこと

投げ出さないこと

逃げ出さないこと

信じ抜くこと

涙見せてもいいよ

それを忘れなければ

 

 

改めて、いい歌残してくれたな。

大事MANブラザーズ!!

 

それにしても。

あの頃の応援ソングって、今もこうして胸熱になる歌が多い気がする。

 

『それが大事』

大事MANブラザーズバンド 1991年

f:id:physical141yuko:20221126195037j:image

 

『負けないで』

ZARD 1993年

f:id:physical141yuko:20221126195144j:image

 

『どんなときも』

槇原敬之 1991年

f:id:physical141yuko:20221126195523j:image

 

この3曲は応援ソングの王道では?

年代にもよるだろうけど…。

すごいなぁ、色褪せない歌のちから!!!

 

 

追加。

 

『終わらない夢に』

TUBE 1994年

TUBE大好きイシイselect。シングルカットされてないので画像なし(笑)これも今聴いても胸熱です✨

 

 

 

 

以上、30年以上経った今もイシイの胸を熱くする歌でした(笑)

 

 

彷徨うコトバ。

自分の発した言葉が行き場をなくして彷徨っている。

そう、感じることがある。

情熱と本気は必ず伝わる、と思ってきたしそうだと信じたい。必ず、という言葉は必ずしも存在しないと思うので矛盾するけれども。

でも必ず、伝わると思っている。

どれだけ時間がかかるかは誰にもわからない。

時間がかかればかかるほど、発した側は伝わったことを知ることは出来ないかもしれない。

 

理解されるかどうかとか、受け入れられるかどうかは別としても、"伝えたい"と願うこと自体、もしかしたらエゴでしかないのかもしれない。本当に伝えたい想いは直接、声で言葉でと思う。ちょっと言い難いことであれば自筆で認めたり。誠意とはどれだけ相手に伝えたいかの熱量なのかな、なんても思う。

 

 

とにかく自分の想いをぶつけたい!と一方通行で全然構わないから注ぎたい想いもあれば、相手のことを想って、確実に相手に伝えたい想いというものもある。相手のことを思って、って。本当に伝える側は思っていたとしても、受け取り手にしたら有難迷惑だったり、価値観が違えば交わることはないわけで…。

 

ワタシ、よくマウントを取られるというか上からモノを言われることが多い。きっとこうしたらイシイはもっとこうなるのに!!と期待をかけて言葉をかけてくださる方が多いということなんでしょう。何でそんなこと言われなきゃいけないのかなとか、何でそんな風に言われなきゃいけないのかなとか思うことは多々あれど。自分がこう面倒な性格なので、どんなに傷付いても受け止めることにしています。でも、みんながそうだとは限らない。受け止める前に深手を負ってしまう人もいるかもしれないし、あからさまな受け取り拒否もあるかもしれない。受取手にも"選択肢"はあるからね。

 

 

他人への期待って、エゴなんだろうな。

期待されないのも期待しないのも虚しいと思ってしまうのは、価値観でしかないのでしょうか。そんなことばかり考えていると…言葉を発することに臆病になる。彷徨うくらいの言葉(想い)ならいっそ発しない方がいいのかもしれない。でもそれなりに心の中でせめぎ合う葛藤を乗り越えて(ときには見切り発車もある)発した言葉に、嘘はひとつも、ない。