Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

0→1、1→1、1≦ 。



どんなことであっても続けること、続いていくことは容易ではない。

例えば毎日腕立て伏せを10回やる。


そんな誰にでも出来るようなことであったとしても、それを一年続けることが出来る人はどれくらいいるだろう。

 

 

何もないところから何かを始めることも容易いことではない。ゼロ、もしくはマイナスの状態から何かを生み出す、始めるには強い意志と情熱と、弛まぬ努力が必要だ。そうやって"誰か"が心血注いでカタチにしてきたものを、その誰かを知る人、もはや言い伝え的にしか知らない人たちがどんなカタチであれ、引き継いで今に至る。

 

 

 

0→1が大変なことは誰もが容易にわかる。
でもそれと同じくらい、『 1≦ 』にはものすごい労力が必要なのだ。ただ存在していればいい、1→1の現状維持でさえ、多少の責任感や使命感を持った人がいなければ、どんなに良いものも廃れて消える。
それを1≦となれば、組織内には必ずと言っていいほど温度差が存在するゆえ一筋縄ではいかないことの方が多い。 『1≦ 』を目指すというのは言わずもがな、"断固たる決意"が必要なのだ。

 

 

 

 

どこかに何かに所属するということは、せめてその1→1を守る責任は大なり小なりあるということだと思う。それは義務ではなく、歴史ある場所に所属する上での最低限の責任だと私は思う。
それだけ長く存続するというのはそれだけ関わった人たちがいるということ。カタチは違えど、重要文化財のようなものだ。それを後から来た人間が泥を塗っていいわけがない。

 

 

 

先日BSで放送されていた某大学ラグビー部の100周年記念番組を観て、そんなことを感じたわけです。そもそも推しチームゆえ心に響くものがあったのかもしれないけれど(笑)素晴らしい番組でした。

 

f:id:physical141yuko:20240308064516j:image

 

100年の歴史と関わってきた人たちの想い。

一年や二年ではない。百年ですよ、百年。
第100代キャプテン。100代目の最上級生。
100周年の節目に日本一に。
日本全国の、それこそすでにあちらの世界に逝かれたOBの念やら何やら(笑)含めたらとんでもない数の先人たちの想いを背負い、とんでもない重圧がのしかかったシーズンだっただろう。それもまた巡り合わせなんだよね。見方を変えれば千載一遇の巡り合わせ。味わいたくても誰もがそんなメモリアルな境遇を味わえるものではない。

とは、いえ。
めちゃくちゃしんどかっただろうなぁ。。
惜しくも力及ばず、決勝で敗れて準優勝だったけれど。

 

 

 

何かを生み出す、何かを引き継ぐ、続けていく。

0→1、1→1、1≦。

どれも並々ならぬ労力、強い意志、情熱と言ったものをひっくるめて断固たる決意がなければなしえない。

 


それと…出来れば同じ熱量で断固たる決意を胸に秘めた仲間がいれば尚、心強い。そういう人間の集まりって素敵だなと思うし、そういう人間でありたいなと思うのです。

 

 

 

歴史というには烏滸がましいけれど、曲がりなりにも続けてきた私の20年。一人だけど、一人じゃない。恩師や今まで関わってくれたチームやスタッフ、選手、声を掛けてくれた先生たち…今の私はその方々との出会いあってこそ。だから中途半端なことはしたくないのです。

私は頼まれなくても"1≦"を実現しようと無駄に背負い込むタイプではあるけれど(笑)常に本気!だけど、もっと本気出す。私のことをよーーく知ってる皆さま。砕け散ったら、骨は拾ってください(笑)

 

f:id:physical141yuko:20240308064721j:image

市場価値とか評価とか。

FacebookInstagram、X(旧Twitter)、Threads。

 

自分に関係のある人のはもちろん、関係のない人のでも興味がありそう、とか何かしらに紐付いてたくさんの投稿が次から次へと流れてくる。

 

SNSを何で始めたのかよく覚えていない。

元々Blogを始めた方が先だった。

仕事の宣伝のため、だったのかもしれない。でも結局SNSから仕事に繋がったかどうかは…(笑)意外にも仕事につながったのはHPやBlogだった気もする。仕事に繋がった、というよりも仕事やセミナーで知り合った方々とのその後の交流の場として活躍しているのがSNSのような気がする。

 

 

一応、ね。全てにアカウント持ってるんです。

だけどXやThreadsはほぼほぼ閲覧のみ。

この二つは閲覧するだけでものすごく感じることがある。Xなんか、恐らく素性を晒してる人が少ないような気がする。全く知らない人の投稿に、ただ通りかかっただけの人がまるで通り魔のように辛辣で粗野な言葉を投げつけてる惨状を目の当たりにして、顔も名前もわからなければ、人間とはこんなにも容易く他者を傷つけるかもしれない言葉を投げつけて平気なフリをしているのかと悲しくなる。いろんな人のいろんな考えに触れ、改めて言葉って伝え方って大事だなぁ…なんて思わずにはいられない。もちろんむちゃくちゃ優しい言葉もある。だから本当にいろんな人いるなぁ…って(笑)当たり前のことですが(笑)

 

 

でね、やっぱり紐付いてというか関連して同業者の人たちの投稿を目にするわけです。

 

よく知ってる人、

お世話になった人、

関わったことのある人、

全く知らないけど気になる人。

 

どれもこれも、刺激になります。

みんなすごいなぁ、頑張ってるなぁ、

あぁ、自分ももっと頑張らないとな、と。

私の周り、本当にすごい人ばっかりなんです。

すごいなぁと思う裏側で、それに比べて自分は…とどうしても思ってしまう。私に出来ることは、他の誰かにも出来ること。だけどその中で"私"は選んでもらえるほどのモノを持っているのだろうか、と。私でなければならないモノ、はないとしても誰にでも出来るけど"あなたがいい"と選んでもらえる仕事がしたい。それは、他者承認によって自分の存在意義を確認するっていう…。自己肯定感の低さを露呈することに他ならないけれど。

私でなければならないモノはない、と自覚してるわりには、何がなんでもそこにしがみついていたい、と意固地にならないところだけは自分を褒めてもいいかなとも思う(笑)

 

トレーナーです!!と20年以上も声を大にして生きてきたけれど。今更、自分の市場価値に悩む日々。勢いだけで突っ走ってきた時代を経て大人になったってことでしょうか。

 

誰にでも出来ることだから私には需要がないかもしれない。誰にでも出来るけれど、その上での"私らしさ"や"私ならでは"ってあるのかな…とついつい、思ってしまうのです。

 

 

そんなこと考えてるから、自分の想いも承認欲求高めに映ってしまうんじゃないかとか、誰も見てくれないんじゃないか(←やっぱり他者評価は得たいw)とか、私なんてと若干卑屈になったり、、となかなか投稿できないのです。

 

 

ふと、思い出した。

何度か登場した小学校6年の時の担任の先生が卒業式の日にくれた手紙の中の言葉ー…。

 

"自分の評価を他人に求めないこと"

 

今になっていちばん深く突き刺さるなぁ…(笑)

変わってない、のか?私。なんて、今ものすごく衝撃を受けたけれど。

ちょっとくらい、委ねてもいいじゃないですか。揺るがない自分らしさを持ち続けるために。

 

チームが強くなったり、勝ち星を重ねたり。いい選手が輩出されたり。それはチームに関わるものとしてサイコーに嬉しく誇らしい。逆になかなか勝てなかったり、チームの雰囲気や士気が高まらなかったり低迷が続くと、大袈裟に言うなら自分の存在自体に絶望を感じはじめたりして(ワタシじゃない人だったら、ワタシが悪いのかもしれない、みたいな)。それは他者評価というよりもう自己肯定感の低さによるものだけど(笑)

 

チームというのは生き物なので。

うまくいくときもあれば、全然ダメで、そのダメな感じが永遠に続くかのような時期もある。

そんな時は本当につらくて、才能や実力があれば大丈夫とは限らないし、運やタイミングなど色んな要素が絡み合って、こうすれば絶対にうまくいく!というものはこの世の中、ないように思う。

 

ただ、そういう山あり谷ありの中で、ここまでなんとか続けて来られたんだから、少しくらい胸を張っても良いかなとは思うのだけれど。

 

財産。

 

根拠は、ない。いやないわけじゃない(笑)

ちゃんとそのための準備はしてきたつもりだ。

 

初戦は、奇しくも昨年のこの大会の、しかも初戦で思わぬ負けを喫した因縁の相手。ちょっとした不安はありつつも帯同出来ず前半だけYouTubeで観戦。なかなか苦しい、9点差を追いかける展開。ああっ、気になるから観るんじゃなかった!!とちょっと後悔(笑)勝利報告の連絡をもらって飛び上がるくらい嬉しかった。後々、ニュースで最後のトライシーン観て腰抜かしそうになった。15-12、土壇場で2年生が逆転トライを決めた大逆転勝利。なんつー試合!!(◎Д◎)

 

f:id:physical141yuko:20231021154857j:image

 

まさに九死に一生!!

それもあって、準決勝は勝つ未来しか見えなかったわけです。

 

でも、

どんなに準備をしても想定外のことは起きる。

アタシがチームに合流した時はもうその"想定外"はとうに起きていた。でも、なんていうかそんなの関係なく(辛勝になるかもしれないが)勝つだろうな、と疑わなかった。アタシにしたら珍しい。想定外は想定外で覆して新たなヒーローが生まれて、雨降って地固まる、的な状態で決勝に乗り込んでいくだろう、と。

 

f:id:physical141yuko:20231022192516j:image

 

前半は我慢比べ。

お互いあと一歩のところまでいきながら決まらない。悪くはない。ただ、先制トライは先に取りたい。お互いに重なる、小さなミスやペナルティ。

前半27分。

待望の先制トライを取ったのは相手だった。え、なんで、と思うくらい止められずあれやあれという間に抜けて中央に決められてしまった。

 

嫌な時間だなとは思ったものの、わずか5分も経たないうちに取り返した。CKは外れて5 - 7で前半を折り返した。

 

悪くない。

良くもないけど、悪くはなかった。

後半、先にトライを決めて追いつければやってくれるだろう。体格的にはやや劣るもののフィットネスでは負けていない。ここからが勝負だ、と。

 

ところが後半開始早々、これまた悔しい形でトライを決められてしまう。CKは外れて5 - 12。

まだ、焦るような時間じゃない。

ゴール下に集まる選手たちの目も、当然のことながら諦めた顔はしていなかった。

 

なかなか敵陣へ切り込めないものの、しぶとくしぶとくDFで食らいついて追加点を与えない。小さいミスが、攻撃の足を引っ張る。

 

そのまま、ノーサイド

5 - 12。花園への挑戦は幕を閉じた。

 

泣き崩れる選手に歩み寄り、整列を促す。

アタシはというと。

不思議と涙は出なかった。

精一杯、やった結果だもの。

決勝の景色を見せてあげたかった。あの舞台に立ったことがあるか否か。それだけでも変わる。その舞台に足を踏み入れる資格は十分にあった。

 

このチームに来て、5回目の花園予選。

最初の年は決勝の舞台に立ってめちゃくちゃいい試合だった、と賛辞を頂いた。

でもそれ以降は手が届かなくて、準決勝にすら進まない年もあった。

年々、厳しさを増して追い込んだ。

あれだけ頑張っても先輩たちは勝てなかった。

まだまだ厳しくいかないと、本気で追い込まないとあそこには行けないんだよ、と言い続けた。

人生で一度くらいは限界突破するくらい追い込んだってバチは当たらない。むしろ、その経験は必ずこの先の人生で自信になる。少なくともアタシはそう思ってる。だから毎回声を枯らして厳しい言葉を投げかけて追い込んで…本気で、選手と向き合ってきた。だからこそ一緒に決勝の舞台に立つ未来しか思い描いていなかった。そして、その先もこの選手たちなら連れて行ってくれるんじゃないかと本気で信じていた。

 

 

最後の挨拶を監督に促されたけど、正直…話したくなかった。だって、一言でも発したら涙腺が崩壊しそうだったから(笑)優勝して泣かせて!って散々言ってきたし、このチームに来てから負けて泣いたことは…(一度あったかもしれないけど)ない、はず。

 

嗚咽を抑えきれなくて涙を流す選手たちを前に、うまいこと言えず…、一言、口を開いたらもう、ダメだった(笑)格好つけてるわけじゃなく、泣かないでちゃんとお礼を言いたかった。3年間ありがとうって。そして、力になれなくてごめんって。監督にも、ありがとう、しっかり成果出てたよ、と言っていただいたけど…やっぱり勝ちに繋がらないのは素直に受け取れず、どんな顔をしていいか、どう返していいのかわからず…。自分の力不足も、間違いなく否めないのだ。

3年生と、決勝に行きたかった。

だから、『俺等の代もきついトレーニングよろしくお願いします。この気持ちは忘れません。』と2年生からメッセージをもらって、有難いなと思った。まだアタシを信じてくれていることに、共に戦いたいと思ってくれることが何より嬉しかった。また、一緒にあの舞台を目指すことを容認してもらえたようで。

 

悔しいって気持ちは、ナマモノだから。

アタシは絶対忘れない。

勝ちたかったけど、悔しさも味わえるのは選手たちのおかげ。本当に本当に、ありがとう。

 

このチームにアタシを呼んでくれた監督にも。

感謝しかありません。

監督のつくるチームは本当に毎年いい選手たちばかりで、元気があって頑張るいいチーム。本当に幸せでした。

 

今までの選手たちとも会いたいなーー!!

会いたくないって言われるかなーー!!笑笑

何と言われても、財産なのよ。

好きだと言われようが顔も見たくない!と言われようが(笑)出会ったチーム、選手、保護者、スタッフ…全て、今のアタシをつくってるもの。

トレーナー人生21年。数えきれない人たちと出会って感謝されたり罵倒されたり、いろいろ。

たくさん泣いてたくさん笑ってきた。

全て財産。あとどれくらい増やせるんだろう。

 

f:id:physical141yuko:20231022214310j:image

 

監督の元、花園に挑んだ5回のシーズン。

いつもアタシを笑顔で迎え入れてくれた選手たちに感謝です。

 

 

 

 

 

more,。


誰だって、いい環境に身を置きたいと思うのが普通の感覚だと思う。(その"いい環境"は人によって違うのはさておき)より良いところを求めるのは普通の感覚だとは思う。

 

 

でもそのいい環境って、自然と出来あがることもあるかもしれないけど…大概は"誰か"が声を上げて時間をかけて作りあげたものだって忘れられがちでは?

more betterを求めるのは全く悪くない。

求めるベクトルを何処に向けるか、が重要なのかなと。外に外にばかり求めるのは虚しい気がする。かと言って0→1は大変なのもわかる。

帰属意識とかその場所や人に思い入れがあればmore betterのベクトルは必然的に現状を変える方へ向く。自分(だけ)が居心地のいいところのmore betterを求めるならベクトルは外へ向く。大して関心も思い入れもなければ可もなく不可もなく、の現状維持。

 


想いの温度差は大なり小なり、どこにいたって存在する。それは致し方ない。育って来た環境も違えば、大切にしたいものの優先順位だって同じ方を向いていたって異なる。AIやクローンじゃないから当然のこと。誰かを"変える"ことは難しい。ただ、情熱と本気は人の心を揺さぶることが出来るとワタシは思っている。

 

 

多少のバラつきはあれど同じ想いを持って、集まったチームなら、一度くらい情熱と本気をぶつけあえる集団であって欲しいと思う。それは、理想論でしかないのか。

 


自分は何も出来ないと思ったその瞬間は、ベクトルは自分にしか向かずスコープが狭くなっている証拠。

確かに、世の中代わりはいくらでもいるし、どうにかなる。わかってはいても虚しくなるときもある。だけど、そこにいるなら誰かのために、チームのために、ほんの些細なことでいい。

必ず、何か一つは出来ることがあるはずだ。

それもまた自分じゃなくてもいいことかもしれない。それでもその"誰にでも出来ること"をどんなときも率先して全力で出来る人はチームに対する帰属意識や仲間に対する想いが深い人だな、とワタシは思う。あくまで、ワタシの持論です(笑)

 

誰も自分のいる場所やいいなと思う場所をそんなふうに考える人なんていないのかな。自分にとっていいか、悪いかだけで考えられたらどんなに楽だろう…なんて思ったり。

 

自分の今いる場所だって、会ったこともない誰かが築き上げたものかもしれない。その人の想いを踏み躙るようなことはしたくない。今、そこにいる人間が次に繋げていかないといけない。悪きものは改善して、いいものはもっと良いものにして、次に繋げていかないと。

 

そんなん、考えちゃうんだな。

"頑張る"ってこと。

 

"頑張る"って、誰でも何かしら一度はしたことあると思う。その程度はどうであれ、一度も頑張ったことがない人っているんだろうか。よく、努力を努力と思わない、的なコメントは耳にするけど…それなら表現を変えて、"何かに一生懸命に取り組む(=夢中になる?)"としてもいい。頑張る、努力する、夢中になる。程度の差こそあれ、誰でも生きてきて物心ついてから一度はあると思う。

 

小学校の卒業式で、当時の担任の先生からクラス全員が直筆の手紙をもらった。便箋2〜3枚にびっしり綴られた先生からの言葉。もちろん、他のコの手紙なんて見せてもらわないからどんなことが書いてあったかなんて知る由もない。大事にとっておいたのは間違いないけど、今どこにあるかわからない。それでも強烈に覚えていて、忘れられない言葉がある。以前も書いたかもしれないけれど、折に触れてよく頭を過ぎる。その言葉とは。

 

『ユウコはよく気が付くし、行動してくれる。ただ気をつけて欲しいのは、その頑張った評価を他人に求めないってことだ』

 

小学6年生のワタシがその言葉を正確に理解したかはわからないけれど。学級委員長もやっていたし、確かに『先生、○○やっておく?』『先生、○○しといたよ!』なんてことは日常茶飯だったけど、別に褒めてもらおうとかそんな下心はなかったと思う(多分w)。先生は、そういうのはおべっかを使ってる(←これ北海道の方言なんですって!)と思われかねないから気をつけるんだよ、的なことが書かれていた。また2年生の頃の話しで、私はだいぶ後になってから知ることになるんだけど、当時大好きだった担任の先生から実は嫌われていたという。その理由はわからない。母親が担任の先生からワタシみたいな子供は嫌いだ、と言われた(←それもそれですごいと思うw)と聞かされたこともあった。

 

***

 

閑話休題

昔話はどうでもいい。本題は、"頑張る"ということ。6年生の時の担任の先生に言われたことがずっと引っかかっていたから、なのかどうかはわからないけれど、いつしかワタシの中では

 

頑張ることは当たり前。

頑張ったかどうかを評価するのは自分ではない。それは他人が評価すること。

 

が常識だった。

もちろん、自分で自分のことを褒めたり認めたっていい。でもそれは表に出すべきではない。でももしも。ワタシの頑張ってること、必死になってること、夢中になっていることを伝えることで誰かが"自分も頑張ろう"って思ってくれたり、頑張って!と応援されたら、それはそれでとても力になるし、素敵なことだとも思うわけで。。

 

だから、必要以上に他人に評価を求めるな(ひけらかすな)、ということなのかな…なんて。

捻くれてるわけではなく。難しいなぁ…と。

 

 

でも、最近思うのは

"自分にできることは他の誰にでも出来ること"。

冒頭にも書いたように、頑張ったことがない人って、殆どいないと思うわけ。程度の差こそあれ。

だって毎日は"選択"と"挑戦"の繰り返しの積み重ねでつくられてく。しいてはそれが人生というものになるのかな、なんて。

どんなに考えても必死になっても、"やっておけば良かった"と悔やむことは一度や二度あるはず。悔やむことがダメなんじゃない。繰り返さなきゃいいのだ。だって人は完璧じゃないから。

 

自分のために頑張るのは、当然。

でも頑張ることが目標になってはいけないよね。

それじゃ意味がない。ただ"頑張ってる自分"に酔いしれてるだけでいつまでたっても何も変わらないし叶わない。

ほんのささやかなことでも、ちょっと努力がいることでも、めちゃくちゃ頑張らなきゃいけないことでもいい。

 

でも人生で一度くらいは腹の底からガッツポーズが出るくらい頑張ってみたっていいと思う。

とめどなく涙が溢れるくらいの達成感を味わってみたっていいと思う。

それが他人からしたら"なんだそんなこと"でもいい。ほんのささやかなことでも、ちょっと努力がいることでも、めちゃくちゃ頑張らなきゃいけないことでも、自分が感じられたらそれでいい。

そして誰かのそんな姿を、全力で応援したい。その刺激は確実に自分のPowerになる。

 

多分、その想いが強いからこの仕事してるんだと思う。誰かの全力を全力で応援してそれが叶う瞬間の目撃者になりたい。決して、感謝されたいわけじゃない。もちろんありがとうと言われることは途轍もなく嬉しいしPowerになる。でも言われたいだけで応援したり支えたりしてるんじゃない。全てを懸けて何かを成し遂げようとするその姿に、自分が奮い立たされるんだ。自分も頑張ろうって。

 

だからこそ、自分の選択と挑戦にも妥協しないように生きたいと思う。

 

そして、あ、イシイが頑張ってる!アタシ(俺)も頑張っかな、なんて相乗効果が自分の知らないところで起きてたら何で幸せなんだろうって。

 

だからこそSNSは誹謗中傷や愚痴めいたことを晒す場ではなく、そんな場であって欲しいと思うのです。見ず知らずの人の頑張る姿にも、誰もが知ってる著名人の頑張る姿にも、誰かの心には響く。その時必要な誰かに、きっと。

 

結局、何が言いたいかって言うと(笑)

人生で一度くらいは腹の底からガッツポーズが出るくらい頑張ってみたい。とめどなく涙が溢れるくらいの達成感を味わってみたい。

一度と言わず、何度でも。

それが出来る人生ってめちゃくちゃ濃くてシアワセだなって思いませんか?

 

 

信じることと、期待すること。

 

まだまだ連日TVで大きく取り上げられるバスケ男子日本代表の48年振りに自力で掴んだ五輪出場。

 

いやー…めっちゃ感動した。

選手それぞれにドラマがあって、しかも毎試合ヒーローが違う。そして諦めずに向かっていく姿。素晴らしかった。

 

f:id:physical141yuko:20230905182852j:image

sanspo.comより(一応引用元掲載)

 

 

で、渡邊選手の言葉がすごく響いた。

『"信じる"っていう、"Trust"、"Believe"っていうのを、(HCが)ずっと僕たちに対して言ってくれていた』、的なコメント。

 

そして、それに対してトムさんが

『"信じている"という言葉は深い』と言った。

 

そう、"信じる"って、深い。

と同時にそうかTrustもBelieveもあるのか、と気付いた。何となく予想はついたけど、ググる

どちらも『信じる』という意味だけど、

"Trust"は、相手自身(人格自体)を信頼する、任せられるという意味で、

"Believe"は、人が言う言葉、内容、物事を信じるという意味。

 

そして、トムさんのいう"深い"の意味。

信じるって、一朝一夕で出来るもんじゃなくて、毎日の地道な積み重ねの上に溢(こぼ)れる言葉だと思うのです。短くてもいい、一目でもいい、一言でもいい。同じ空間、経験を共にすること。

HCであるトムさんは今回のチームで合宿1日目から、しつこく、しつこく、『自分たちを信じることが必要だ。それが君たちにはまだ、できていないことだ』と言っていたとか。

『自分を信じて』と言い続け"BELIEVE"という言葉を合言葉のように使い続けたHCの信念。

その言葉の深さは、考えられない程の努力と真摯に向き合い続けてきたからこその証だと思う。

 

 

言葉の力

情熱の力

諦めない力

信じる力

 

全て、一朝一夕では築き上げることのできないもの。

世界大会で勝った経験がないにもかかわらず、選手たちが自分たちの可能性を信じていた。信じさせてくれた。そういうチームを作り上げるって生半可な覚悟じゃない。改めてすごいなと。

 

 

でも、すごいなと思った裏でじゃあ"信じる"と"期待する"ってどう違うんだろう、って。

 

いやいやいやいや、全然違うっしょ!って思う人もいるかもしれない。けど、純粋に気になった。

 

信じる、とは。

本当だと思う、信用する、信仰する。

(日本語って…難しいね)

 

期待する、とは。

ある事柄が実現するだろうと望みをかけて待つ。

 

…。

 

今回で例えるならば、日本代表がアジア1位になってパリ五輪出場を自力で決めて欲しいと思っていて、今日の試合は勝ってくれるだろうと望みをかけて会場に足を運ぶ。TVの前で齧り付いて応援する。まさに『勝つことを期待する』←信じる、ではない。ここでもし『勝利を信じてる!!』と一ファンが言ったとして。それは『信じてる(=期待してる)』ってことよね…って。そんな違いなんて指摘する人もいなければ気にする人もいないだろうよ(^◇^;)

 

 

そういえば以前書いたような気もするけれど、芦田愛菜ちゃんも映画の完成披露イベントで信じると言うことについて話していたのを思い出す。

 

誰かのことを信じるって、

『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と。

 

だからこそ人は

『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言う。でもそれは別に『その人が裏切った』わけではなく、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って。

 

愛菜ちゃんすごいなー。

(↑論点がすり替わってるw)

 

今回で言うならもしも日本代表が負けてしまったとしても、選手やスタッフ陣は『負けに不思議の負けなし』という言葉があるように、相手の方が上だったのだと悔しさを滲ませながら、涙をこぼしながら、相手を称賛するに違いない。でもそこが"期待"していた人たちにとっては○○が悪かった、とか△△が良くなかった、⬜︎⬜︎だったらなー!!などと言い始め、何かと理由をつけたがるのではないだろうか。

 

揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しい。

だからこそ、"信じる"ことも一朝一夕では築くことが出来ないんだと思う。

 

 

ワタシは、信じたい。

自分の関わる選手、スタッフ、チーム全て。

選手やスタッフから信じて欲しいとかではなく、自分が、信じたい。

自分の行動の原動力はそこだな、と今回思った。

だから相手の言動に一喜一憂してるようではダメなのだ(笑)

 

 

信じるって、深いなーーーぁっ!

 

 

心から。

 

母国開催(正式には日本、フィリピン、インドネシアの共同開催)バスケットボールのW杯が熱い。

ランキングでは格上のフィンランドを後半最大で18点ビハインドからの逆転勝利を飾った試合の興奮と言ったら!!

 

第3戦のオーストラリア戦も、なかなか面白かった。優勝候補の一角とも言われる相手に前半こそいいところが出なかったものの、後半10点差まで詰めた瞬間とか、ものすごくわくわくした。

 

 

話題にもなってる某選手の、アレ。

(B.LEAGUE.公式 Twitter(X)より拝借)

 

f:id:physical141yuko:20230830184320j:image

 

 

SNS上でもこの所作に注目が集まっていた。

この写真を拝借したB.LEAGUE公式Xにもその所作について尋ねられた時のインタビュー動画とともにその理由が記されていた。

 

コートに立ちたくても立てない選手がいること、今自分がコートに立っているのは当たり前ではないんだということ。それをコートに入る前に再認識するために一礼して、全力で戦うと誓って入っているという。

 

若干22歳の青年である。

育ってきた環境、いや彼を育てて来た指導者の方々が素晴らしい方々だったんだろうなと思わずにいられない。

上っ面だけではなく、本当に心から感じて思っていなければ続けられない所作だと思う。顔を上げた彼の目の力強さがそれを物語っている。ただのルーティンとかそんなものではない。

 

 

日本には、素敵な言葉がある。

『礼に始まり礼に終わる』。

作法を守り、また相手への敬意を示すことが何よりも重んじられるべきである、という武道の精神。礼儀・礼節、感謝をもって試合に臨むことは、ある意味勝敗よりも…重要である、という日本の心。

 

 

すっかりアップするのを忘れてて、今リアルタイムで順位決定を見ながらそんなことを思った。

日本人としての誇り。頑張れ、NIPPON🙌