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誰だって、いい環境に身を置きたいと思うのが普通の感覚だと思う。(その"いい環境"は人によって違うのはさておき)より良いところを求めるのは普通の感覚だとは思う。
でもそのいい環境って、自然と出来あがることもあるかもしれないけど…大概は"誰か"が声を上げて時間をかけて作りあげたものだって忘れられがちでは?
more betterを求めるのは全く悪くない。
求めるベクトルを何処に向けるか、が重要なのかなと。外に外にばかり求めるのは虚しい気がする。かと言って0→1は大変なのもわかる。
帰属意識とかその場所や人に思い入れがあればmore betterのベクトルは必然的に現状を変える方へ向く。自分(だけ)が居心地のいいところのmore betterを求めるならベクトルは外へ向く。大して関心も思い入れもなければ可もなく不可もなく、の現状維持。
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想いの温度差は大なり小なり、どこにいたって存在する。それは致し方ない。育って来た環境も違えば、大切にしたいものの優先順位だって同じ方を向いていたって異なる。AIやクローンじゃないから当然のこと。誰かを"変える"ことは難しい。ただ、情熱と本気は人の心を揺さぶることが出来るとワタシは思っている。
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多少のバラつきはあれど同じ想いを持って、集まったチームなら、一度くらい情熱と本気をぶつけあえる集団であって欲しいと思う。それは、理想論でしかないのか。
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自分は何も出来ないと思ったその瞬間は、ベクトルは自分にしか向かずスコープが狭くなっている証拠。
確かに、世の中代わりはいくらでもいるし、どうにかなる。わかってはいても虚しくなるときもある。だけど、そこにいるなら誰かのために、チームのために、ほんの些細なことでいい。
必ず、何か一つは出来ることがあるはずだ。
それもまた自分じゃなくてもいいことかもしれない。それでもその"誰にでも出来ること"をどんなときも率先して全力で出来る人はチームに対する帰属意識や仲間に対する想いが深い人だな、とワタシは思う。あくまで、ワタシの持論です(笑)
誰も自分のいる場所やいいなと思う場所をそんなふうに考える人なんていないのかな。自分にとっていいか、悪いかだけで考えられたらどんなに楽だろう…なんて思ったり。
自分の今いる場所だって、会ったこともない誰かが築き上げたものかもしれない。その人の想いを踏み躙るようなことはしたくない。今、そこにいる人間が次に繋げていかないといけない。悪きものは改善して、いいものはもっと良いものにして、次に繋げていかないと。
そんなん、考えちゃうんだな。