Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

"頑張る"ってこと。

 

"頑張る"って、誰でも何かしら一度はしたことあると思う。その程度はどうであれ、一度も頑張ったことがない人っているんだろうか。よく、努力を努力と思わない、的なコメントは耳にするけど…それなら表現を変えて、"何かに一生懸命に取り組む(=夢中になる?)"としてもいい。頑張る、努力する、夢中になる。程度の差こそあれ、誰でも生きてきて物心ついてから一度はあると思う。

 

小学校の卒業式で、当時の担任の先生からクラス全員が直筆の手紙をもらった。便箋2〜3枚にびっしり綴られた先生からの言葉。もちろん、他のコの手紙なんて見せてもらわないからどんなことが書いてあったかなんて知る由もない。大事にとっておいたのは間違いないけど、今どこにあるかわからない。それでも強烈に覚えていて、忘れられない言葉がある。以前も書いたかもしれないけれど、折に触れてよく頭を過ぎる。その言葉とは。

 

『ユウコはよく気が付くし、行動してくれる。ただ気をつけて欲しいのは、その頑張った評価を他人に求めないってことだ』

 

小学6年生のワタシがその言葉を正確に理解したかはわからないけれど。学級委員長もやっていたし、確かに『先生、○○やっておく?』『先生、○○しといたよ!』なんてことは日常茶飯だったけど、別に褒めてもらおうとかそんな下心はなかったと思う(多分w)。先生は、そういうのはおべっかを使ってる(←これ北海道の方言なんですって!)と思われかねないから気をつけるんだよ、的なことが書かれていた。また2年生の頃の話しで、私はだいぶ後になってから知ることになるんだけど、当時大好きだった担任の先生から実は嫌われていたという。その理由はわからない。母親が担任の先生からワタシみたいな子供は嫌いだ、と言われた(←それもそれですごいと思うw)と聞かされたこともあった。

 

***

 

閑話休題

昔話はどうでもいい。本題は、"頑張る"ということ。6年生の時の担任の先生に言われたことがずっと引っかかっていたから、なのかどうかはわからないけれど、いつしかワタシの中では

 

頑張ることは当たり前。

頑張ったかどうかを評価するのは自分ではない。それは他人が評価すること。

 

が常識だった。

もちろん、自分で自分のことを褒めたり認めたっていい。でもそれは表に出すべきではない。でももしも。ワタシの頑張ってること、必死になってること、夢中になっていることを伝えることで誰かが"自分も頑張ろう"って思ってくれたり、頑張って!と応援されたら、それはそれでとても力になるし、素敵なことだとも思うわけで。。

 

だから、必要以上に他人に評価を求めるな(ひけらかすな)、ということなのかな…なんて。

捻くれてるわけではなく。難しいなぁ…と。

 

 

でも、最近思うのは

"自分にできることは他の誰にでも出来ること"。

冒頭にも書いたように、頑張ったことがない人って、殆どいないと思うわけ。程度の差こそあれ。

だって毎日は"選択"と"挑戦"の繰り返しの積み重ねでつくられてく。しいてはそれが人生というものになるのかな、なんて。

どんなに考えても必死になっても、"やっておけば良かった"と悔やむことは一度や二度あるはず。悔やむことがダメなんじゃない。繰り返さなきゃいいのだ。だって人は完璧じゃないから。

 

自分のために頑張るのは、当然。

でも頑張ることが目標になってはいけないよね。

それじゃ意味がない。ただ"頑張ってる自分"に酔いしれてるだけでいつまでたっても何も変わらないし叶わない。

ほんのささやかなことでも、ちょっと努力がいることでも、めちゃくちゃ頑張らなきゃいけないことでもいい。

 

でも人生で一度くらいは腹の底からガッツポーズが出るくらい頑張ってみたっていいと思う。

とめどなく涙が溢れるくらいの達成感を味わってみたっていいと思う。

それが他人からしたら"なんだそんなこと"でもいい。ほんのささやかなことでも、ちょっと努力がいることでも、めちゃくちゃ頑張らなきゃいけないことでも、自分が感じられたらそれでいい。

そして誰かのそんな姿を、全力で応援したい。その刺激は確実に自分のPowerになる。

 

多分、その想いが強いからこの仕事してるんだと思う。誰かの全力を全力で応援してそれが叶う瞬間の目撃者になりたい。決して、感謝されたいわけじゃない。もちろんありがとうと言われることは途轍もなく嬉しいしPowerになる。でも言われたいだけで応援したり支えたりしてるんじゃない。全てを懸けて何かを成し遂げようとするその姿に、自分が奮い立たされるんだ。自分も頑張ろうって。

 

だからこそ、自分の選択と挑戦にも妥協しないように生きたいと思う。

 

そして、あ、イシイが頑張ってる!アタシ(俺)も頑張っかな、なんて相乗効果が自分の知らないところで起きてたら何で幸せなんだろうって。

 

だからこそSNSは誹謗中傷や愚痴めいたことを晒す場ではなく、そんな場であって欲しいと思うのです。見ず知らずの人の頑張る姿にも、誰もが知ってる著名人の頑張る姿にも、誰かの心には響く。その時必要な誰かに、きっと。

 

結局、何が言いたいかって言うと(笑)

人生で一度くらいは腹の底からガッツポーズが出るくらい頑張ってみたい。とめどなく涙が溢れるくらいの達成感を味わってみたい。

一度と言わず、何度でも。

それが出来る人生ってめちゃくちゃ濃くてシアワセだなって思いませんか?