Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

そう、ただの厄介なヲタ。

 

想いは深ければ深いほど底なし沼のようにはまる。どっぷり浸かって、あわや溺れそうになるくらいでやっと、自分がそこまではまってることに気付いたり。

 

はまることは、悪いことじゃない。
はまるのは、本気だから。
はまっていくことに気が付かないくらい、真剣だったから。
度が過ぎた想いも、ときには受け手にとっては力強く背中を押してくれる追い風になることもある。矛盾するようだけど、"節度のある度が過ぎた想い"は、強い。そして強い想いは誰かの心を突き動かしたり、誰かの妬み嫉みを買ったりする。ただただ純粋に想っているだけなのに。

 

 

本気と情熱は、どんなに時間がかかっても伝わる。
私はそう信じてる。
でもそれは”努力は必ず報われる”と同じことかもしれない。
どんなにどんなに時間をかけても、響かない、伝わらないことも、きっと、ある。

でも沼にはまる人は、響くか響かないか、伝わるか伝わらないか、とか。
究極のところ、そんなことどうでもいいのだ。
有り余る想いの丈を(出来ることなら)押しつけがましくなく、ぶつけたい。
見返りなんていらない。相手の成功、活躍、生き生きとするさま…それを見れれば、それだけで十分なのだ。自分の〇〇のお陰かも、とかそんなこともどうでもいい。すべては推しのため。はい、いわばヲタなのです(笑)

 

そんな推し活めいたことが自分の生業に絡んでいたりすると、苦しむことも多々ある。生業であればそこには金銭が発生する。金銭は責任であり、対価である。対価とは他人様からの評価だ。もちろんこちら側から交渉することも多々ある。自分の価値を、業界の価値を下げないため。だけどそれが全てではない、と私は(だからダメなんだ、甘いんだとお叱りを受けることを承知で)そう思っている。

 

ボランティアが悪いとは言わない。
ボランティアは無償の愛だけど、当たり前ではない、無償の、愛。
無償が当たり前だと思う方々には決して届けたくない無償の愛。
私はビジネスのうえに、この当たり前だと思うなよの無償の愛を注げる相手とお付き合いをしたい。ずぶずぶでもなく、なぁなぁでもなく、お互いにリスペクトがなければこの関係は築けない。何と言われようと、これは私のやり方。細々と21年積み重ねてきた経験の中で確立していった、私が私らしくあるためのやり方。

 

こんなに厄介なのに(自分でも嫌になること多々あるのに)それでもイシイがいい!!と言ってくれる少数派の方々のお陰でここまで歩いてこれた21年。感謝しかないです。これからも私のやり方で地道に一歩ずつ、必要としてくれる人のために尽力してい