Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

進むために、振り返る。①

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

まだまだ暑い福島。

漠然とトレーナーになりたい!と思ったのは遡ること24年前、中学3年になる前の春休み。

バレー部だったイシイは練習試合のネットプレーで派手に捻挫をして、象の足🐘みたいに腫れて病院に行ったところ外踝の剥離骨折と外側靱帯断裂。同じチームの後輩に勧められて行った治療院が、運命の出会いでした。そこの院長、腕のいいと評判だったようで県内ニュースで取り上げられるようなちょっとした有名アスリートも足繁く通っていたようで。もともと、そこを教えてくれた後輩がそこの院長先生大好きだったようで(笑)この後輩の方が『先生みたいなトレーナーになる!』と豪語していました。まぁ、おかげでトレーナーという仕事を知ったわけです。怪我によってスタメン落ちして出場機会も得られなかったら最後の中体連が終わり、諸々あった中学時代はすっ飛ばすことにして、市内指折りの新学校(普通科)へ進み、トレーナーになる!という夢だけはずっと心の中で温め続けソフトボールに全て捧げた高校3年間。20年以上前のことなので当時と言えばまだトレーナーという言葉は一般的ではなく、、イルカ?とか、ちょっと知ってる人だとマッサージとかする人だよね!みたいな。まぁまぁまぁまぁ。イシイも治療院の院長と、雑誌なんかでみるプロスポーツの世界のトレーナーしか知らなかったので確かだったのは『選手の役に立ちたい』という想いだけで、何をしたいとか、そんなことは全然わかってなかった。ぼんやり体育大のトレーナー学科に進学したいといくつか候補を挙げて模試に臨んだものの色々あって割と早い段階で専門学校に決めた。進学校のプライドをかけて特待試験を受けることに。10月頃?には合格を決めて、受験勉強をする友達の邪魔をしないように、筋肉の名前だけでも覚えておこうって本読んでたな(笑)

入学した専門学校。

はっきり言って…カルチャーショック(爆笑)

今はだいぶ変わったけど、当時は体育大に行けば良かった…と後悔する日々(爆笑)

でも、あそこに入学しなければ間違いなく今のイシイはいないわけで。体育大に行ってたら、それはそれでビッグな人間に?なってかもしれないけれど…所詮、タラレバ。

何より今、後悔してないので結果オーライ💡

専門学校での2年間。

トレーナーになりたい。その想いを確固たるものにした出来事は1年生の今頃でした。

【続く】