Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

真実と事実。

生きにくい世の中になったもんだ、と齢(よわい)シジュウを前にした若造なりに、生意気なのは重々承知で思う。

『真実は一つじゃない。真実は人の数だけ存在する。だけど事実は一つだ』的なセリフが某ドラマであった。某アニメでは真実はいつもひとつ!と決め台詞があるけれど(笑)

調べてみると"事実は「実際にあった」と多くの人が認められる事柄、客観的に認められる事柄のことであり、真実とは人それぞれが考える本当のこと(事実)で、客観的なものではなく主観的なものである"とある。

何が言いたいのかというと(笑)

これまたドラマの話で恐縮ですが。

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昨日から始まりました。

(公式HPはNHKサイト内のこちら▷https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/)

聞き慣れない、アロマンティック、アセクシュアルという言葉が物語の軸になる。

アロマンティックとアセクシュアルは、それぞれ「ロマンティック(romantic)」、「セクシュアル(sexual)」に否定を表す「ア(a)」を足した言葉だそう。

「シンメトリー(symmetry)=左右対称」と「アシンメトリー(asymmetry)=左右非対称」と同じような言葉のつくり、と言われればわかりやすい。 因みにセクシュアルに何か別の言葉を足した用語はアセクシュアルだけでなく、「ヘテロセクシュアル異性愛)」、「ホモセクシュアル(同性愛)、「バイセクシュアル(両性愛)」など他にもたくさんある。確かに!このことについて詳しく話したいわけではないので興味のある方は先程の公式サイトのスタッフBlogをご覧ください。

閑話休題

多様性という言葉がよく聞かれるようになった。所謂、"みんな違ってみんないい"ってやつだと思う。お互いにああそうなんだね、と認めて尊重しあえたらきっと何の問題もない。(そんな簡単な問題でもないんだろうけど)

私たちがよく口にする『普通は』という言葉も真実に近い意味合いなのかもなぁ、なんて思った。大袈裟なことを言えば、多少なりとも誰かに迷惑を掛けたとしても、命を奪ったり落としたりするようなことでないなら受け止めて、でも自分はこう感じているんだ、とお互いの意思の疎通が取れれば何で平和なんだ!と思うものの、そんな簡単なことではないんだろうなとも思ってはいる。

もちろん偏見は宜しくない。高圧的なことも宜しくない。でなければ発言力がある人が正義になってしまう。

少し前の男尊女卑の思想はそれこそワタシの中にも少なからず残っていて。残っている割に男社会だったトレーナーという世界に足を踏み入れたのは反抗心もあったのか(笑)容認してくれた両親にしても、古き良き厳格な家庭だったのに不思議でならない(笑)

みんな違って、みんないい。

誰が偉いとか偉くないとかではなく、素直に認めて尊重し合えればいい。

アロマンティックもアセクシュアルも、、もっと身近なことで言えば子供を産まないことも。

いつの頃からか、同世代の同性との会話に酷く気を遣うようになった。自分自身の問題かもしれなけれど、独身で仕事が生きがいのバリキャリもいれば、家庭を持ち子育てをして立派なお母さんになってる人もある。夫婦2人、もしくは恋人の関係を楽しんでいる人もいる。オンナ同士の30〜40代は、会話にいちばん気を遣う。そんなこと考えてるのわたしだけかもしれないけれど。(だから行きにくいとか感じるのかもだけど)。

彼氏いないの?恋愛、いいよー。

結婚しないの?結婚ていいよ。

子供つくらないの?子供可愛いよ。

それらはすべて真実でしかない。

彼氏をつくらない、結婚しない、子供を産まないこともいいじゃない。全部、本人の自由なんだから。

自分の中の真実や固定概念や価値観が自分の首を絞めていることもあれば、他人のソレを押し付けられて生きにくさを感じることもある。

ワタシには子供はいない。

欲しいと思わなかったから。

でもヒトの子供は可愛いと思うし、育ててるご夫婦もすごいなと思う。

それが、"普通"なんだろうけど。欲しいと思わなかったワタシは何か人間的に欠けてるんだろうかと何度も思った。

人の数だけ真実がある。

みんな違ってみんないい。

生きにくさを感じたときは、きっとどこかの誰かに優しくなれるときだと思う。少しずつ、自分の見方や感じ方も変えていけたらなぁと思うものの、三つ子の魂百までよね、と言い訳も忘れないワタシなのです😅