体育館が寒すぎて寒すぎて足の感覚がなくなってます😂
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自分の中で忘れずに待ち続けていたいなぁと常に思っているもの。それは、情熱、謙虚さ、感謝の気持ち。どれを忘れても失くしてもダメだと思ってる。それを強く再認識したのがこの記事。
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https://note.com/hashimotonaoaki/n/na9816bbffbb2
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"自分がたたかっている場所は、自分以外の誰かがたたかいたかった場所"。
これ、名言だと思う。
そしてスポーツの現場に限ったことではないと思う。
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申し訳ないが、地元のチームなのにこの選手のことはよく存じ上げておらず…。でもこの記事を読んでその人柄に惚れました。
自分よりも才能がある選手が、怪我やいろんな事情でプロを断念したり、またプロになっても短い期間で引退する様子を何度も目の当たりにした。『運』という言葉一つで片付けられたくはないだろうけれど、それもまた巡り合わせや運なんだと思う。
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ワタシの仕事にしたって、専門学校卒業と同時に勢いでフリーランスではじめたけれど、やりたくてもやらなかった人もきっと居たんだろうなって。覚悟が足らなかったとか、そんなんじゃなくてやっぱりどうしてもやりたかったものが出来なくて諦めざるを得なかった人も居たんじゃないかなって。逆に自分の中で諦めた…手放した?ものもあるし。たまに周りがキラキラして見えたりちょっとチクッとするような羨ましさを感じてしまうのはそういうことなのかな、なんて。
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"どんなに追い詰められたって、うまく行かないことが続いたって、
『だいじょうぶ、まだ、たたかえる』
と、自分に言い聞かせます。この仕事が、やりたくてもできなかった人のために。"
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もしかしたら今のワタシだって、誰かがこういう生き方したかったって思う生き方をしてるのかもしれない。
何てことないことでも、自分が今この場所で踏ん張ってることが、もしかしたらどこかの誰かの背中を押すこともあるかもしれない。誰かが踏ん張る姿を見て"自分も"と奮起することがあるように。
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そうか。
そういうことなんだ。ワタシが常に持ち続けたい情熱とか謙虚さとか感謝って、つまりはこういうことなんだって思えた。
自分のために頑張ることも、誰かのために頑張ることも。どちらもあっていい。ただ、その"自分がたたかっている場所"は、"自分以外の誰かがたたかいたかった場所"かもしれないということを忘れないようにしよう。
そうしたらどんなに苦しくても踏ん張れるかもしれない。踏ん張ったら、それはのちのち笑い話や武勇伝になって何にも変えられられない自分だけの財産になるはずだから。
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うん。2022年のイシイは去年よりも少しだけ、前向きにモノゴトを捉えられてる気がする😁