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菩薩という言葉で、何をイメージしますか?
恐らく多くは"優しくて寛大"とか"慈悲深い"といった言葉を思い浮かべるのではないでしょうか。予想に違わず、私もそうだった。
菩薩のような人、と言われれば柔らかく透き通っていて優しさに溢れて…キンキンで言うなら先日終了した朝ドラヒロインの果耶ちゃんはまさにそんなイメージでした。
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でも菩薩って、もともとは釈迦如来の修行時代を指していた言葉だったそうですが、現代では悟りを求めて修行する僧などを指すそう😦
『人間も悟りを求めて修行を積めば如来になれる』というのが前提で、如来になる前の者たちを指して菩薩、というのだそう。一つ利口になりました🙏
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仏教で"悟り"とは『煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)』と語られるそうです。
煩悩があるからこそ悟りも得られる。
悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となることであると。
つまり煩悩がなければ、悟りの概念もない。
それゆえ、煩悩を離れて菩提(悟り)は得られない。また逆を言えば、悟ることが出来なければ煩悩から離れることも出来ない。。
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何が、言いたいかって言うと(笑)
タイトルの『イシイ、菩薩になるってよ』じゃないけど、イシイ、最近悟ったのです(何をw)。
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諦めじゃない。悟ったの。悟ったんです!(笑)そしたら、以前よりちょっと楽になった。
でもそれと同時に、ある瞬間に虚しさや哀しさを感じて…何かこれでいいのかな?なんて思えて。感情を殺したわけでも失くしたわけでもない。冷めたわけでもない。悟る、ということがこういうことなら何か寂しいなって。
悟るってなんだろう…と調べてみたわけです。
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今までなら、いろんな感情が入り混じっても結果的に良ければその嬉しさが勝って、我慢出来ずに涙ぼろぼろこぼしてたくらいの人間だったのに、その時は一粒の涙も流れなかった。
ヒヤヒヤしたけど、終わった瞬間は"結果"に喜びよりも…安堵とは違う違和感が、手放しに喜ばせてくれなかった。本当に嬉しかったのに。その"結果"が偶然であれ、奇跡であれなんであれ時には大事だと言うこともわかっているのに…涙の一つも出てこなかった。
涙が出ればいいというわけではないんだけれど。だけど。なんか、あーー…、、、感情が動かないって何か寂しいな、と思った。
寂しいなって思うことじゃないんだろうけど。
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今までが轟々と燃え盛る炎だったとしたら、ちょっと火の加減が調整出来るようになった、というところかな。燻ってるわけはない。ぱちぱちと暖炉の火のような、温かさのある炎になれた…なんて言ったら美化しすぎかしら。
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いずれにせよ、悟りの境地に足を踏み入れられた気がしてるのです。シジュウを、前にして。