Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

初心。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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秋ですねぇ…。

ここ最近、自分の想いを言葉にすることを躊躇っていました。いやまだ完全に払拭されたわけではないけども。。ここまでどうやって生きてきたか振り返って初心に戻ったら何か見えるかもしれない。そんなふうに思って振り返ってみました(笑)

専門学校を卒業してから怖いもん知らずでフリーランスとして活動を始め、曲がりなりにもここまで20年近くフィジカルパフォーマンストレーナーとしてお仕事を頂いてきました。


と言っても、プロチームやプロ選手に就かせて頂いた経験はないに等しく、県の強豪や全国でそこそこ強い実業団チームだったり学生チームが主だったりします。


若い時はいずれはプロチームに就きたいと思っていました。でもトレーナーとしてのやりがいや感動を最初にくれたチームは実業団でした。仕事や家庭があっての競技。何足もの草鞋を履き、プロじゃなくてもある程度の成績を求められるのが、実業団。初めて、実業団の選手たちと接したのは忘れもしない専門学校の1年生の秋。国体出場チームだったそこでの実習でした。

実業団なので普段は当然仕事をして夕方(夜)から練習が通常でしたが、地元国体ということもありその当時は午後の早い時間から選手たちは体育館で練習していました。

何度も言いますが、選手たちはその競技でお給料をもらっている訳ではなく業務でお給料を頂いてるわけです。会社としたら練習するより遠征に行くより業務優先だろうと思う方もいるはずです。会社にとっては即戦力、というよりもその競技をしていたからこそ、言ってみればその会社の利益とは何ら関係の無い運動部の即戦力として、ちょっと融通が利いて会社に入ってたり…だからある意味、試合に行けて当たり前、ではない。普段の仕事もその競技も他のどんな社員よりも頑張らないといけない、でもプロじゃないからこそ、好きだから続けてる…イシイにとって実業団とはそんな印象でした。


地元国体では見事初優勝。
思えば目の前で試合を見て涙を流したのはあの時が初めてかもしれません。


痛み止めを服用しながらコートに立ち続ける選手、選手たちを支える裏方の方々、ユニフォームを貰えなかった選手たちのバックアップ。それらが全て報われた瞬間に思えて、感動でした。


専門学校の1年生の秋。何も出来ない雑用しか出来ないイシイでしたが、選手たちから思いがけない言葉を掛けて貰ったんです。


『イシイちゃん、ありがとう』


ストレッチしてくれてありがとう。
ボール拾ったり沢山手伝ってくれてありがとう。
いつかテーピング巻けるようになって戻ってきてね。


泣かないわけがない(笑)

その時に心は決まりました。
ワタシは実業団チームでいくつもの草鞋を履いて戦う選手たちの力になりたい、と。

懐事情が厳しいチームが大半です。でもそれ以上にそんな選手たちの力になりたい気持ちの方が大きかったです。だから、それをするためにインストラクターもやったしカルチャースクールの講師、その他色んな仕事もしました。

…そんな国体初優勝の瞬間を目の当たりにした日から18年。


自分の生き方、方向性、可能性にちょっと悩んでる今日この頃。


トレーナーは選手の人生の半分を背負ってると思え。その言葉を胸に、大袈裟に言えば、選手のためにチームのために自分の全てを犠牲にしても構わない。そう思えるチームで仕事がしたい。その想いは何年経っても変わりません。

ワタシの存在はもしかして選手を苦しめているのだろうか?もしそうなら…チームの癌にはなりたくないから自ら身を引きます。


謙虚さと情熱と、感謝を忘れず。
全ては選手のために。それだけは変わらない。

さらに初心に戻れそうな場所へ、行こうと思います。