Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

なりたかったもの。

将来の夢、の将来っていつだろう。

小学生の頃は本気で全日本のバレーボールの選手になりたいと思ってた。卒業アルバムにもそう書いた。

はっきりトレーナーになりたいと思ったのは中3の春。なりたいトレーナー像なんてぼんやりしてて、志したときの想いは『アタシは選手の力になりたい!』ただそれだけだった。なぜって、自分が怪我をして最後の中総体に出られなかったから。部内のくっだらないイジメにも耐え死守してきたレギュラーの座も全部消えた。ま、そんなことはもう関係ないけど(笑)

とは言え、高校は公立高校の普通科に進んでソフトボールに明け暮れる3年間。進学校だったものの3年次のクラスは私立文系コースと言いつつ、1/3くらいは専門学校系への進学と就職…とちょっと偏差値は高いけど特殊なクラス。その稀有な1/3に属してたわけです。体育大を家庭の事情と学力で諦めざるを得なく……でも、体育の教員になりたいわけではなかったので意外とあっさり諦め(笑)4年制大卒よりも専門学校の2年課程を修了して2年早く社会に出て経験積んで絶対学歴に負けないもんね!!と鼻息荒くしてました。後に、学歴が必要なこともあるのね…という壁にぶち当たったこともあるけど、今は割愛。

専門学校時代、実業団チームと高校生の部活動で実習させてもらって『チームトレーナー』としての将来像が膨らんでった。専門学校で学んだことは治療ではなく、フィジカルパフォーマンス向上。所謂トレーニング系。知識や経験はちょっとばかし身についたものの資格は何もない。それでも卒業と同時に某大学の男子バレー部と契約させてもらい、活動する場所を得たわけです。ただ専門学校卒のひよっこにお金を出してくれるわけではなく、必要経費は持つけど経験を積ませてもらうということで指導料等は一切なし。昼間、スポーツクラブでバイトしながら夕方から練習に通う。そんな生活が始まりました。

この大学をきっかけにトレーナーとしてお金を戴くようになるのに3,4年はかかった。それでも十分に生活出来るくらい稼げたわけではない。

でも、どこかでトレーナーだけで食べていくのは難しいだろうと初めから腹を括っていた。なぜそこをがむしゃらに『絶対トレーナーで食えるようになる!』と思わなかったのかは今となっては謎。因みに…誤解を恐れずに言うなら未だにそんなふうには考えてない。だからと言って手を抜いたりしてるわけではなく常に本気で選手やチームと向き合ってるつもりです!!

結果的にそれが、アタシの『なりたかったもの』なんだと思う。そりゃ今まで時間とお金をかけて知識やスキルを学んできた分、しっかり元を取るべきだとは思う。でも世の中、裕福なクラブチームや実業団ばかりではない。かと言ってボランティア同然に扱われても面白くはない。(ここで矛盾が生じるかもしれないけど)それでも自分が出来ることで誰かの力になれるなら、喜んで全力で手を貸したい。

アタシの『なりたかったもの』は誰かの力になれる人だったのかな、と最近思い始めた。それも、たくさんの人たちではなく、両手で抱えられるくらいの、誰か。

トレーナーとか、コーチとか、○○指導士とか。何かに固執するから上ばかり見上げて自分が何も出来ない出来ていないように思えて辛くなるのか、と。

とはいえ、自分にしか出来ないことを、と思う割には自分がいないとダメなようではいかん、とも思うし。そうなるとワタシの存在意義ってなんだろうなと。いなくてもいいんじゃない?って。諦めとかそんなんじゃなくて、素直な気持ち。そこにいる意味と"なりたかったもの"って案外二律背反だったりするのかな、なんて。