Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

道。Part 2

今日は異様に暖かい((((;゚Д゚)))))))

思わず半袖…でパソコン作業。

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今年はいろーーーんなことで悩むことが多かったなぁ。結局は自分に矢印が向いてるから脱却するのも自分でしかないんだけど。そう簡単に自分は変えられないものです😅

先日も書いた

" 社会的に評価されないことよりも、人に批判されることよりもそういう外側の基準で自分で自分にダメ出しすることが何よりも自分を凹ませて生きるエネルギーを奪うんだよね "

と知り合いのSNS

誰かに批判されたりしなくても、勝手に外側の基準に自分を当て嵌めて、あーー、、って(笑)

最近、"やめるべきこと"を教えてもらいまして。自分なりに常に考えてます。

*期待しすぎると裏切られるから諦める。

→言い方、雑だけど期待もしない、諦めもしない。ありのままを受け入れられる人でいよう。

*たとえ尽くしたとしても見返りは求めない。

→これは昔から言い聞かせてる。

*誰にでも好かれることは難しいから自然体でいること。

→出来てるか微妙だけど、万人に好かれることはないと分かっている。

*何も解決しないから怒っている人と同じ土俵に立たないこと。

→うっ。でもこれ自分が"怒ってる人“になりかねないので注意⚠️

*いつまでも執着せずすぐ手放すこと。

→これは難しい。なんせ諦めの悪い奴だから。

*自分を見失わないように頑張りすぎないこと

→どこまでやったら頑張りすぎなのかよくわかんない。

内側の基準だけじゃもちろんダメだし、外側の基準に影響されすぎてもダメだと思うわけで。

誰かの成功や挑戦に自分を重ねて、不甲斐なさを感じてもやもやする。近しい人であればこそ嬉しいはずなのに、心の奥ーーーの方で燻ってる。それがいい方向に燃え移ることもあるけれど、、SNSなんて表面でしかないのにね(笑)

もともと、大したことないんだけど、あーーー、アタシ大したことないなぁってよく思う。でも、最近ちょっと答えが見えてきたかも、かも。アタシは"ここ"で生きていくんだ、って。こうやって生きていくんだって決めてたじゃん。わかってたじゃん。キラキラしてる方に目移りして羨んでた、だけ。それに気付いて、受け止める余裕が出てきたっぽい。

もしも誰かが 不安だったら
助けてあげられなくはない
うまくいっても ダメになっても
それがあなた(ワタシ)の生きる道♪

道。

四十を目前に控え、惑うことばかりな日々。

こうなると何故かいつも頭を過るのは、仁義なき戦いの松方さんの

『わしら、どこで道、間違えたんかの…』

というセリフ。

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どこで間違えたんだろう、自分の人生。

そう思ったことありませんか?😅

"僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る"

有名な高村光太郎の詩。

実はちょっと、いやかなり長文の詩なのだ。

最後の一節を切り取ったものが有名な今の『道程』なんだけど、じつは初期のその冒頭が、かなり唆る。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕のふみしだいて来た足あとだ

だから

道の最端にいつでも僕は立っている

 

何という曲がりくねり

 

迷い まよった道だろう

自堕落に消え 滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩に もみつぶされたあの道

 

ふり返ってみると

…と、続くわけです。

まぁ、振り返ってみたところでわかるわけもないし、わかったところでそこに戻れるわけでもない。きっとそのポイントに戻って別の選択をしたところで、安堵するのは一瞬で…恐らくのちに同じようなことが起こる。

間違えたかどうかは、その後の自分の生き方次第。間違えた、と感じるならどう軌道修正するか考えればいい。その道をまだ歩きたいかどうかにもよるけれど。

間違えた、とは思っていない。

あの頃、真剣にこの道を歩きたいとただそれだけだった。歯車が狂い始めて感じるのはカードが足りないのかもしれないということ。

それが本当に原因なのかはわからない。結局は言い訳でしかなく、さらには自分はダメなんじゃないかという足枷を自分自身に嵌めているだけなのかもしれない。。

成功体験って、本当に必要だと思う。

達成感や成功体験があるときは多少のトラブルも困難も気にならない。それがない時っていうのはやっぱり自信もないし常に不安が付き纏う。それこそ、冒頭のセリフ『わしらどこで道、間違えたんかの』って頭を抱える負の無限ループ。自信を持っていたことさえも、実は大したことないんじゃないか?本当に意味があるのか?と疑いはじめる。

いやーーーーーー、参っちゃう。

でもきっと、今はこういう時なんだろうな。

40まで、あと1年半くらい。

惑うてばかりでクヨクヨするよりは一旦忘れて、その日その日のやるべきことにしっかり目を向けて生ききろう。その中で見えてくるものがあるかもしれない。

 

 

SNSって。

急激に寒くなりました。

チャリのグローブもそろそろ指抜きではないやつを…と思いつつ、探すのが面倒で(笑)

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" 社会的に評価されないことよりも、人に批判されることよりもそういう外側の基準で自分で自分にダメ出しすることが何よりも自分を凹ませて生きるエネルギーを奪うんだよね "

あーーー、、わかるかも。

と、知り合いのSNSに激しく共感。

承認欲求わりと強めのイシイだけど、社会的に評価されないことよりも誰かに批判されたりしなくても、勝手に外側の基準に自分を当て嵌めて、あーー、、何だかなぁ、みたいな(笑)

その、外側の基準って。

SNSの影響もでかいと思うわけで。

SNS…疲れるなって(笑)

何を書いたらいいんだろう(笑)

完全なる私生活は晒す気ないし(笑)

"こんなん頑張ってます!"的なこともなければ

"これいいよ!"的なオススメ出来るようなことも何もない。

あーーー、アタシ大したことないなぁって。

もともと、大したことないんだけどさっ。

どこまでやったら" 大したこと "かも、わかんないけど😂

誰かの成功や挑戦を見て、自分を重ねて不甲斐なさを感じる。でもその不甲斐なさは自分のやりたいことだったり、やる気スイッチONのきっかけになり得る。

フリーランスでほぼほぼ誰かと一緒に仕事をするってことがないと、やっぱりSNSからの情報は捨て難いわけです。

しかもフリーランスが長過ぎたのか、色々な見聞や経験を深めたい、広めたいっていう気持ちはあれど、、誰から学ぶのか誰と共有するのかって、、選んじゃうんだよなぁ🙄それが深めたい広めたい気持ちの足枷になっちゃってるのかな、、とか。

うん、安定の面倒臭さだ(笑)

覚悟はあるか。

"どうせ“という言葉は好きじゃない。

諦める言い訳に飾り付けするような言葉。

どうせワタシなんて。

どうせ頑張ったところで。

そう言って戦わないことも腹が立つし

戦った後に言われても腹が立つ。

要するに言い訳でしかない。カッコ悪い自分が恥ずかしくてついつい言ってしまう。そんなこともあると思う。でもせっかく死力を尽くしたなら言わないで欲しい言葉、ダントツのNo.1。

何で、そんなことを思ったのか。

こんなSNSの投稿を見つけたから。

勝手に文章シェア🙏

アカウントは制限されておらず万人に向けての発信と捉え、シェアさせていただきます

" どんな覚悟で試合に挑んでる?

   覚悟足りなすぎ。

   その試合出た選手が、毎試合出れるとでも思ってる?危機感足りなすぎ。

    闘えずに失点するのはミスで失点するよりも全然ダメ。

    相手にゴールされるなら必死に頑張った味方に決められるオウンゴールのほうが全然いい。

    試合数出ればそれがすごい事?

    1試合1試合人生懸けてやれよ。

     今日みたいな試合を俺が小学生、中学生の時に見てたらプロなんて目指してない。

     情けない姿見せてなにがプロだよ。

     必死にやって、あんなに上手いのにあんなに頑張るんだ‼️って思わせないと。"

某現役Jリーガーの投稿でした。

そっかぁ…プロの世界でも、あり得ることなのか。と正直ショックも受けつつ。

そうそう、そこなのよ。" 1試合1試合人生懸けてやれよ"これはプロだから当たり前なはず。当たり前だと思っていた世界でもこんなふうに温度差があるなんて。。

人生懸けてやれよ、とまでは言わないけれど。

大人になってもある程度のレベルで競技を続けるなら、やっぱりそれ相応の覚悟や気持ちってあって然るべきだと思うんですよね、勝手ながら。選手側からしたらそれなりの覚悟や気持ちを持ってやってるのかもしれない。それでも、ワタシのような立場の人間から見たら歯痒かったり悔しかったり腹立たしくなるような時もあるんだよね…。どうしてもっとやろうとしないの?もったいない…。ワタシは見返りを求めてやってるわけではないけれど、そんな選手やチームではやる気も削がれる。どうしてそんな選手やチームのために…って思いたくなることもある。別に誰かを満足させて欲しいわけじゃないけど…、、自分のために、チームのためにもっと、もっと。それは、高望みな理想、夢物語でしかないのかな。。

覚悟や気持ちっていうのはあまり言いたくないけれど、やっぱ最後は勝敗がどうあれここが大事かな…って。プロなら勝つことを義務付けられるだろうけど、覚悟や気持ちのない勝利にはきっと心は動かされない。まぁ、、そのためにやるんじゃない、と言われればそれまでなんだけど🙄

何が言いたかったかっていうと。

イシイは泥臭い人間が大好きで、そういう人のためなら喜んで尽力したい、ということです。

ハナから負けると分かっている勝負でも戦わなければならないのなら覚悟を決めて何かを得られる戦いをして欲しい。支える人も応援してる人もいるということ、頼んだ覚えはなかったとしても、たとえ1mmでもいいから忘れないで欲しい…。戦う人の背中にいつも思うのです。

 

鮮度。

失言したことを日本では『口が滑った』という。英語だとこれが"舌👅"に変わるらしい。まさに文化の違い。

言うべきではないことを、うっかり言ってしまう。またその言葉を指して失言、という。

ずーーっと、言葉を大切にしてきた。

親しき仲にも礼儀あり、と常に思ってはいても可愛がってもらってる目上の方に対して馴れ馴れしい言葉や態度を取ることも、ある。それでも節度は弁えているつもりだけども。

伝えたい想いはきちんと声で、伝えるべきだと思ってる。もしくは直筆の手紙。お礼も祝福も謝罪も。これは、昭和の感覚なのか🙄

もちろんLINEやメールでもいい。イシイが大切にしてるのは言葉や想いをよりしっかり伝えるには"鮮度"が重要なんじゃないかと言うこと。

お祝い🥂やお礼はもちろんだけど、謝罪であれば尚のことこの鮮度は重要だと思う。

自分の声で伝えることを何より大切にしていると言いつつ、苦手なことがある。それは"怒り"の感情。そんなにそんなに沸点が低いつもりではないけれど、いかんせん完璧主義で曲がったことが嫌いなので大なり小なりイラっと来ることが多い。大概のことは飲み込むことにしてる。アンガーマネジメントじゃないけど、何故そのような行動、発言に至ったのかを考える。まぁ仕方ないわな、と収められるときもあれば仁義を欠いた(仁義ってw)言動だと一気に沸騰する(笑)それでも怒鳴ることは、ない。多分生涯で怒鳴り散らした記憶はない。怒鳴られたことはあるけど。怒るのってエネルギー使うじゃん…😅すっごい頭に来ても失言したくないし(どんなに相手に非があっても)相手を頭ごなしに全否定するようなことは言いたくない。厳しいことを言って疎遠になった関係もある。もうその時はそれを覚悟のうえで相手に伝える。そこまでいくと分かってもらおうなんて思わず、あなたのこういうところに関して私はこう思う、と言うことを伝えて距離を置く。あとは関わらなければいい。

勝手な言い分かもしれないけど、論破したいわけではないので分かってもらえなくてもいい。あ、分かってもらいたい人、縁を切りたくない人にはきちんと声で、それも新鮮なうちに伝えるかも🙄それでダメなら自分が悪いから仕方ないんだけど。

売り言葉に買い言葉、と言うように怒りに乗じて言葉を投げつけられたら気持ちいいだろうな、と思わなくもない。ただ、一時の激情で口から溢れた言葉には一瞬でいろんなものを失う力がある。そして火に油を注ぐように言わなくて良いことまでどんどん出てくる。相手を罵倒するつもりだったその心ない言葉が、まわりまわって、いつか自分に跳ね返ってくる気がしてならない。その瞬間はスッキリするかもしれないけれど、後味が悪い。それが、嫌なのだ。

だから、良いか悪いかは別として怒りを伝えることが苦手です。しょっちゅうイラッとするくせに(笑)

イラッとした瞬間、それは自分の世界の中での常識や感情で反応したこと。言葉を選べないほど追い込まれていたのか、余裕がなかったのか…とちょっとでも相手を思いやれたら、かける言葉もじっくり選べる。こちらがどんなにそう消化しようとしても相手は知る由もないことなので第2波が襲ってくることも…多々、ある(笑)そうなると、もはや"そういう人よね"という分類になり距離感が変わる。それでいい、と思ってる。

失言はその人に対する見方を一瞬で変えてしまう。

何を選ぶか、鮮度は、伝え方は…

言葉を話せる人間だからこそ、大切にしたいなと思うのです。

 

 

 

 

 

 

てっぺんか、唯一無二か。

稽古していても私だけ空気が違う…。

悔しいけどどうにもならん。

その言葉を絞り出すことがどれだけ悔しくて苦しいことか。やりたいことと、現実。努力ではどうにも埋まらない現実があることに気付くことがある。

もちろん、好きなことやりたいことであっても
夢を叶えるまでのプロセスが楽しい(これも何を楽しいと取るかは人それぞれなんだけど)ことばかりではなく、もちろん苦しいこともたくさんあるわけで。

でもその中で、自分の実力と現実を見比べた時に『あぁ、』と悟る時がある。というか、そこであぁ、と気付けたことは苦しくてもその行き止まりまで行けたことはものすごくシアワセなんだなと思えた。誰かに引導を渡されれば後悔が残る。あの時ダメ元で挑戦していたら…と必ず悔やんで誰かのせいにする。

悟って、自ら決断出来ることは『やりきった』証なんだと思う。そこまで挑戦出来たことに、支えてくれた人たちに環境に、素直に感謝出来ると思う。

夢をかなえられる人、夢を持って生き続けていける人って…どれだけいるんだろう。
そもそも、『夢を叶えた』ってどの時点で言えることなんだろう。叶えれば次の夢がまた出てきてきっと永遠に夢って見続けて追い続けるものなんじゃないかな。

意欲があっても才能に恵まれない人もいれば、

才能があってもチャンスに恵まれなかったり、環境や事情と言った自分ではコントロール出来ないものによって阻まれて…そんな人もいると思う。もちろん、やりたいことや好きなことが見つからない人も…。

誰が幸で不幸かなんて他人が決めることじゃない。自分が決める(感じる)こと。

追い続けた夢への道がそこから先へは延ばせないことを目の当たりにして現実を知って、ここまでやり切れた自分は幸せだなぁって、まわりは到底無理だと思っていたら"やっぱりね"、と言う。もしかしたら本人も無理だと思ってたかもしれない。それでもたとえ1%の可能性だったとしても、それに懸けることが出来る(許される)環境なら、道が途切れるその渕に立つまで努力するのもアリだと思う。諦めや折り合いなんかじゃなく、次の目指すべきものや自分の大切にしたい想いが見えるはず。それって、ものすごく清々しい。

戦ってるものも大切にしたいものも、バックグラウンドも。誰かと同じように見えることはあっても全く同じじゃないはずなのに、自分にないものや自分が欲しかったものに挑戦したり手にしたりした"同じ側"の人間を見ると嫉妬を覚えてしまう。何で自分は…っていう醜い羨望。

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羨んでも人を貶したり蹴落としたりする人間には成り下がらないように。それはその人の努力の証。花屋に並んだ花のように、みんな違ってみんないいのに、どうして比べたがるんでしょ(笑)あの国民的大ヒットの歌は好きではなかったけど、歌詞が刺さる。刺さるけど、わかるけど。オンリーワンも、No.1も、どっちも欲しい。いや、正確にはNo.1じゃなくてもいいんだけど。常にそこを目指す気持ちは持ち続けたいと思ってる。あ、だから嫉妬するのか(笑)

才能ってやつは。

ー…何かの才能があればって思わなかった?

目標があるのがそんなに偉いの?

好きなことなんてない。

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アタシは、割と早い段階からやりたいことを見つけて突き進んできた。それで生きていけるかどうかなんて深く考えずに、ただただ『やりたい』という気持ちだけで学生時代を走り抜けた。むしろ、これだけで食べていく(生きていく)ことはきっと難しいと、どこかでずっと感じてもいたけど先のことなんてどうでも良かった。

だからと言って目標ややりたいこと、好きなことが見つからないという人を理解出来ない、と思ったこともないし、いいもんだよ!と押し付けた記憶もない。

ーうん。音や梅を見て、羨ましく思うこともあったけど、夢を追い続けるなんてそれはそれで大変そうだし。

そう、どっちも、苦しい。

好きなことがない、やりたいことがない。自分がひどく惨めでダメな人間に思える人もいれば、好きなことをやってるからこそ苦しむ人もいる。…才能、なんて言葉があるからいけないんだ。何か天性の、特別なものに聞こえてしまう。好きなことを、ただただ続けてきただけでわ何の才能もない。謙遜でも何でもなく自分ではそう思ってる。ただ、"続けてきたこと"に関しては少しばかり胸を張っても良いのかな、とは思ってる。諦めかけても、続けてきたことだけは。

ー人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、
ほんの少し簡単にできること…だったかどうかはわからない。でもワタシはこれがやりたい!という想いだけ。やりたいこと、好きなことだけど悔しいことも辛いこともたくさんあった。

吟ちゃんの言葉、良かったなぁ。

人の話を聞くのがうまいのも才能。
家事の手際が良いのも才能。
コロッケが上手く揚がったときは"アタシ天才!"って自分を褒める…。

才能って派手に見えて生まれ持ったもので特別な人にしかないんだって思いたくなるけど、日常の中にあるんだなって思えた。

身近にあり過ぎて、見失ったり気付かなかったりするんだろうな。だから他人が羨ましく思えたりする。アタシなんてすぐ自分はダメだーって思うし人の成功を素直に喜んであげられないことも多い。何でアタシはうまくいかないんだろうって。僻んでる自分、カッコ悪いなぁって思う。

才能も気付けなければ持ち腐れるし、わかってても努力しないで鼻にかけてても誰にも相手にされない。何が才能かわかんなかったら、目の前のこと、今日一日に悔いがないよう一生懸命になればいい。その積み重ねが、悪い方向にいくわけない。

と、言い聞かせて今日も生きていこうと4kmの道のりを傘をさしながら歩いてます(笑)

好きなところ、いいところ。

誰かに教えてもらえたら、素直に受け入れてありがとうって言おう。気付かせてくれて、そう思ってくれて、ありがとうって。