Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

信頼が崩れるとき。

今までの人生で、信頼崩れる瞬間を目の当たりにしたことが何度かある。

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石原軍団の爆破シーンのような派手な倒壊ではなく(笑)ジェンガが崩れるような感じだったり、グラスが落ちてパーンって割れるような、そんな感じ。

そんなこと言って、もしかしたら今まで生きてきた中でイシイだって誰かの信頼を損ねてきたことだってあるかもしれない。

だから自分だけが裏切られた側だと主張する気はないけれど、、一度そうやって失ったもの、壊れてしまったものはなかなか…というかやっぱり元には戻らないと思うわけで。

一度信失ったものをまたイチから築き直すには時間もかかるし傷も負う。それでも取り戻したければ努力するしかない。そうまでしても、ほんの些細なことで信頼は脆くも崩れ去る。それまでの努力や積み重ねなんて何も関係ない。失望をさらに深めることにしかならないと思う。

崩れてしまったら、どうするべきか。

誠意の見せ方示し方が大切だと思う。

最初に、どんな行動を取るのかどんな言葉で伝えるのか。必ず、一生、今度は。そんな言葉は聞きたくない。一生って、どんだけ長いか知ってる?アタシはわからない。明日死ぬかもしれないし、100歳まで生きるかも知れないし。その時までずーーーっと、背負って忘れずに生きていける?難しいよね。殺人でもしたなら話は別だけどさ。

これは、勝手な見解かもしれないけれど。

チームや選手に対しても信頼関係が築けない、もしくは自分の中で信頼関係が崩されたと感じたら、、もうそこにはいられなくなる。仕事だから表面上はうまく取り繕って…なんて出来ない。そんな状態でいい仕事なんて出来るわけがない。わがまま勝手なんだが…イシイの場合、一度亀裂が生じてしまうとなかなかもう、ダメなんです(笑)だっさいプライドなのかもしれないけどさーー…"信頼"だから。信用(credit)、信頼(trust)。綺麗事じゃないけど…欲しいのは信頼なのです。

たった一度のスポットだろうが、信頼出来るかもわからない相手にサポートされたくはないだろう。テーピングだって、ストレッチだって、そう。戦いに臨む前の身体は信頼してる人間に預けたいと思うのが普通だと思う。

相手がまたやり直したいと思って協力を求められたときの対応で懐の深さが試されるのかな。

10年以上も前のことだけど、こちら側からしたら一瞬で信頼もなくした相手から、さも何もなかったかのように"信頼している"という理由でまた協力を求められた。言葉は嬉しいが、、やはり一度崩されたものは頼りないわけで…。

信用を失うのは一瞬、取り戻すのは一生。

そんなふうに言われるけれど、その一瞬の間にその一瞬に繋がる布石が一気にフラッシュバックする。ああ、そうか。なるべくしてなったのか、と崩れ去った後に思う。

【信用】

過去の実績や成果に基づく→客観的、物質的
【信頼】

信用に基づく未来の行動を信じ期待すること→主観的、精神的。

知識や経験、実績がなければ信用はできないけど、成長しようと努力する姿勢は信頼出来る。

そんな人間でありたいと思う。

芸術と呼ぶには程遠い。

" 山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。"

夏目漱石の、草枕の冒頭の一節。

昨日の自分の書いたホワイト、オフホワイト…のくだりで自身を松平定信に置き換え…た、わけではないけれど。ちょっと冷静になったら、草枕の冒頭が出てきた。 

理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、個人的な感情を優先させれば、足元をすくわれてしまう。意地を通そうとすれば雁字搦めになる。何にせよ世間は生きづらい。

はて。

冒頭の一節は知ってるけれど読んだことのない草枕。どんな話なのかとググってみた。

ごめんなさい、、、興味がわかなかった(笑)

冒頭の一節で "人の世って生きにくいよね"って多くの人の共感を得てるけど、何について書かれてるかっていうと、最終的には『人の心を豊かにする芸術は尊い』という結論に向かう話だそう。うーーー、、ん。そうか。人の心を、豊かにする。それは間違いない。小説も演劇も絵画も、、芸術と呼ばれるものは心に響くものがある。

因みに、こう続く。

*()内はイシイの思ったこと付け足してます。

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。(いや…悟ることはあっても、芸術が生まれるのはごく一部の才能ある方たちに限られるかと💦)

人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。(確かに!人間を作ったのが神だとしても世の中をつくったのはその人間たちだもんね!)

やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国に行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。(無人島とか?はじめは良くても絶対不満出てくるよね、大抵の人なら)

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。(結局、どこにいても自分次第ってことよね)ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い

まぁまぁ、共感する。

でもやっぱり冒頭の一節には敵わない。

理知だけで(昨日の松平定信的に言うなら清廉潔白すぎても、というところ)割り切っていると他人と衝突する。個人的な感情を優先させれば、足元をすくわれてしまう。。所詮、常識も感情も"ある程度"というライトグレーな基準はあっても、個人差があり、どこまで許容出来るかで分かり合えるかどうかが決まる。そこで意地を通そうとしたり、多面的に考え過ぎると雁字搦めになる。鈍感な人が(鈍感を気取れる人が)羨ましい。出来ないから、生きづらさを感じるんだ(笑)

達観の境地に至れるならば、周囲にも惑わされずに済む。でもドライに生きたいわけでもない。憧れるけど、、性に合わない気がする。

生きにくさを感じることで、多角的に多面的に物事を捉え、自分は苦しくても自分以外に優しくなれるなら…それも、悪くないだろう。

寛容て束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬのだから。 

生きにくさを感じて何かを悟るからこうしてアタシなんかでも、文字にして吐き出したくなるのかな。芸術とよぶには程遠いけれど(笑)

ホワイト、オフホワイト、ライトグレー。

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もっと言えば、夏真っ盛りの夕暮れ時の空が夕暮れ時では一番好きだけど、今時期のこのくらいの時間にグラウンドで見上げる空が好き。

まだ日の入前の夕陽が残ったオレンジの空は逆に切なくなるのであまり好きではありません…意外にsensitiveなイシイ😅

筋を通す、とか真っ当に生きるとか。

一瞬極めた道の方の言葉にも聞こえますが(笑)至極大事だと思ってます。

基本、ルールを守らない人は嫌い。

曲がったことも嫌い。

自分の当たり前は誰かの非常識かもしれない、とは頭に置きつつも、それも理解しようと努力した上でやっぱりモヤモヤする。
自分が守るのは当たり前。守らないですり抜けた人たちが得するようなことがあったとしても、同じことをするのは憚られるし良心が痛む。モヤモヤしたまま、抜け道をすり抜けるなら真っ向勝負でどーん!とぶつかる方がいい。うん、完全に頭悪い考え方🤣

そこで完結すれば良いんだけどねぇ…。

許せないんだな。

正直者が損をするなんて理不尽だ!と思う。

曖昧にするからグレーゾーンが出来る。
グレーゾーンも大事だとは思う。それもわかる。
誰かが言った『オフホワイト』じゃないけど、真っ白では生きにくい。自分がそこまで真っ白なのかと言われたらそんなことはないんだろうけど。でも、グレーも黒に近いグレーになればやっぱりモヤモヤする。真っ白も、きっと生きにくい。窮屈に感じて逃げ道を探したくなるとは思う、けど。

水清ければ魚棲まず。
綺麗すぎる水の中では魚は生きられない。
太平洋のど真ん中は、濁りのない紺碧の海だけれど、『海の砂漠』と言われるほど魚はほとんどいないらしい。
鮎は清流でなければ生きられないかと思いきや、清流すぎて鮎も棲めない川もあるんだとか。ライトグレーくらいの世の中の方がちょうどいいのだろうか。

白河の清きに魚も棲みかねて

もとの濁りの田沼恋しき、が頭を掠めた。

 

 

 

最近のできごと。

朝晩めっきり寒くなり、毛布を出しました。

おかしいな、気持ちよく夜空の下、バルコニーでお酒を楽しもうと思っていたのに…寒くてそれどころではない😦ワタシの秋はどこ行った?

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なんや、かんや。"新しい生活様式"下で日常が戻ってきたような感じです。

週に3日は5:30に起きて7:30には仕事に出掛け、夕方からはトレーナー業に出掛ける。

初めて7年になるカルチャースクールは初めて生徒数が満員に。ずーーーっと、2,3人でやってきたのにここに来て満員御礼の7名。人生わかんないもんです。

時間があると余計なことをあれこれと考えドツボに嵌っていく悪い癖がある一方、そこそこ忙しくしているとやりたいことが次々に出て来たりする。皮肉なもんです。

今月から始めたnoteの『チリツモLIFE』も閲覧数だけは400を超え、意外に見てくださってる方がいることがわかって嬉しい(≧∀≦)見てくださった方の役に少しでも立てばなお嬉しい✨

チリツモLIFE〜小さなきっかけを未来につなげる〜|フィジカルパフォーマンストレーナーISHII #note https://note.com/passionate_heart/m/me4d10461e5e9

専門学校の講師を離れて数年経ち。

"指導者を育成する"ということからは随分と遠ざかりましたが、それも、いろいろタイミングなんだと思います。どうしても続けたかったわけでもないし、その流れに抗うこともないか、と。受け入れて消化するまではちょっとかかったけど😅

そういえば最近、手相を見てもらいました(笑)

某サイトでオンラインでの鑑定。

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しわっしわの自分の掌。正直女子の手としては赤点級かと(笑)手入れもしてないし爪だってブサイク。

さて、手相です(笑)

緑のますかけ線。

織田信長豊臣秀吉徳川家康にもあったとされる、強運に恵まれ、天才的なアイデアが生み出せるとされているそう😅コミュニケーション能力にも長け、人を惹き付ける魅力も持っている…と烏滸がましいくらい褒められた。うん、そこはよくわからんけど。

性格的には頑固でこだわりが強い面があり、成功と人の恩恵が約束されているけど能力が発揮できる環境にないと絶大な力は発揮されない🤣

また勝負運も強いけど、どん底からの大成功、大成功の後のどん底などと浮き沈みが激しいのも特徴的です🤣当たってる。やっぱ面白いなぁ。浮き沈みが激しい→それゆえ人生の大逆転が狙える運命。いや、平々凡々で良いです(笑)

赤の太陽線。

成功や名声を表すラッキーな線であり、誰にでもあるわけではないとのこと!でもやっぱりあっても変化が激しい線なんだって🤣

グレーの俵紋と呼ばれる線。

指の腹に出る縦じわのことだそう。。これ、シワじゃないのか…😦多ければ多いほど、線が濃ければ濃いほどいいと言われてるとか。米俵に似ていることから俵紋と呼ばれているんだそう。この線があると食べることには困らない、つまりは金運と健康運が良いと言われていると。…とまぁ、生命力も強く、怪我してもすぐ治るもか無理が効くとか(笑)9割型当たっていたと思います。生き様は手に刻まれるのね…(笑)

何で、手相だったのか。

何で、今なのか。

凹んで落ち込んでやる気も行方不明で、おまけに自粛生活だなんだと塞ぎ込みがちな時ではなく、そこそこ忙しく自分のやりたいことがやれてる時にこそ、自分を客観的に見つめたいと思ったから。四柱推命との出会いも、いい波来てる!え?来すぎてない?怖いわーーー!と思っていた時。(運が良すぎると不安になるタイプ)

四柱推命も算命学もタロットリーディングも手相も占いではなく統計学でありその結果を持って自分を見つめ直しどう生きるか…だと思う。

だから彼との相性占います♡とか、そんな文言には全然惹かれない。だって相性占いで相性最悪って言われたらその恋心は冷めるのか?冷めるならそれまでだってことだし、どうせ、、諦めないでしょ?頑張れ、うまくいくよって背中押してもらいたいだけじゃん?って…思ってしまう😅

そんなイシイ、ちょこっとですが四柱推命鑑定出来ちゃったりします(笑)

手相って、

利き手は『現在と未来』
逆の手は『潜在的な事や過去』
なんですって。

心電図のような激しい感情の起伏も、もう仕方ないことなんだなといろいろ納得。もうね、持ち味よ持ち味。こうなったら(笑)

2021年のために、残りの2020年をしっかり地に足つけて生きようと思います。

平々凡々がいいと言いつつ気が付けばいつも大なり小なり、無い物ねだり。

どうせ欲しがるなら卑屈になるんじゃなくて可能性(ノビシロ)があるってことにしよう。

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ムラサキシキブが目につく季節。

花言葉は聡明、上品、愛され上手。

ああ、そんな人間になりたい…、とまた無い物ねだり。それもまた可能性(ノビシロ)ということで(笑)

生と死。

10月から朝ドラをリアルタイムで観られるのは水〜金曜日。月火は仕事の関係上、23:00のBSプレミアムでの再放送でしか観ることができない。

https://twitter.com/asadora_nhk/status/1316227207413596161?s=21

今日は実に見るに耐えない15分だった。

朝ドラの話をしたいわけじゃないのです(笑)

生きるということと、死ぬこと。

毎日どれだけの人が亡くなって、どれだけの新しい命が誕生してるんだろう。亡くなった方々の中には志半ば、の方も大勢いるに違いない。誰もが" 我が生涯に一片の悔いなし!"とラオウのように生きられればいいけど、そうもいかないだろう。

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そういうワタシも昔むかしの20年近くむかし。

死にたいなー、、というかサチさんの言葉を借りるなら消えたい、と思った時期があった。こんなワタシでも、あった(笑)

でも今、ちゃんと生きてます。

あなたが生きている今日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった今日。そんな言葉をよく思い出す。何もない毎日かもしれないけど、その何もない今日を迎えたくても迎えられなかった人もいる。価値観は人それぞれだけど、無駄にしちゃいけないなと思う。

それは今朝の朝ドラを観ていて痛いほど感じた。戦争は殺すか殺されるか。殺した側にも殺された側にも愛しい人や家族がいる。誰にもシアワセな結末は訪れない。

この平和な今、もっと毎日大切に生きなければ、、と思ったけど。

もういつ死んでもいい、と目の前で言われたことが二度。その二度目が今日だった。アタシより一回り以上も若いコ。最後に会ってから4年?が経っているし、そのコの人生に濃く関わったのも2年くらい。だから何も知らない。それでも、、いつ死んでもいいって…言われると切ない。何をしてあげられるわけでもない。何かしてあげたとしてもかえって中途半端な優しさになってしまうんじゃないか、と心配になる。でも命を自分で絶って欲しくない。

自死を選ぶほどツラさなのか、そのツラさは本人にしかわからない。

でも残された人は無力感とどうにもならない気持ちでいっぱいになる。" 知らなかった "ことさえ罪悪感を覚える。今朝の、裕一のように。

目の前で、ではないけれどアタシも自死で大切な人を亡くしたことがある。

だから、生きて。とは簡単に言えない。

言えないけど、生きて欲しい。

生きるも死ぬも一人では出来ないこと。この世に存在する限り、誰かがいるから生まれてこれて、誰かのお陰で荼毘に伏すことが出来る。

♪生きとし生ける全ての物へ注ぐ光と影

花は枯れ大地は罅割れる そこに雨は降るのだろう

僕は君が思うような人間じゃない

そうさそんな人間じゃない

生きとし生けるものへ、が頭の中でリフレイン。

わがままジュリエット。

つい数日前に、感情で生きていると書いたばかりなんですが。

冷静沈着、ポーカーフェイス、俯瞰して物事を見れる人…めっちゃ羨ましいです。そんなん出来たらもっと楽に生きられるのに。

とは言え、心電図のように激しく波打つイシイの喜怒哀楽をそのまま表に出してるかと言われたら、出してはいない。自分の中で一生懸命消化、鎮火しようとします。それが堪らなく苦しい。

どうしてわかってくれないの!!!

と自分だけが悲劇のヒロインになる気はない。

事実は1つだけど、考え方は幾通りもある。

どうしてわかってくれないの!!!とぶつけたい感情は、完全にイシイの中だけの" 正義 "でしかない。それでもイシイも人間なのでやっぱりぶつけたくはなります。カンタンに同情してもらいたいわけじゃない。かと言って、(頭ではわかってる)正論をぶつけられたくもない。だって、わかってるもん…(笑)

思いましたね?いつも自分に思ってますよ!

うっわ!なんてわがままな奴っ!て🤣

剥き出しの感情って、剥き出しなはずなのに表に出さないと、出すまいとしている自分の内側だけが傷付く。誰に迷惑をかけることもなくていいんだけど…自分は超絶苦しい。だから、憧れる。冷静な人に、穏やかな人に、慈悲に溢れた人に。

いつでも感情は剥き出しだけど、その矛先は誰かには向けたくないし誰のことも傷付けたくない。でも、苦しい自分のことは誰かに救って欲しい……あーーー!なんて、わがままなんでしょΣ(゚Д゚|||)そしてそれも、自覚してる。

それぞれの、正義。

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タイトルは、『わがまま』から連想しただけで全く関係ないデス(笑)

 

 

感情論。

ワタシは感情論で動く。

情には熱く脆い方だと思う。
でも、正論や冷静さも併せ持ってる…つもり。
いつも自分を俯瞰して見ている自分もちゃんといる(つもり)。
常に、心電図のような感情の起伏が自分の中にある。どうにもならないこと、どうしようもないことに振り回されて飛び上がったり下がったり、忙しい(笑)どうしようもないのに、振り回される。もうそれはどうしようもない(笑)性分なんだもの。

自分が常に正しいとは思っていない。
人の数ほど正義も信じるモノもあると思う。
それは似通っていたり相反するモノだったり様々で、でもそれは言い換えればどんな人からも学ぶべきことはあるということ。



あらゆるSNSは情報を得るために大事な手段。だから呟き界にも呟かずに籍だけは置いているんだけど(笑)そこでの表現の自由さに驚いたり感心したり、ちょっとイラッとしたりほっこりしたり。

『 "若いのにすごいね" この言葉はもうすぐ失くなると思う。年上のほうが経験値高い説なんてもうとっくに崩壊した』という書き込みを目にした。…表現の自由は、、使い手次第だなとつくづく思う。ま、それはおいといて。

能力、実績、ポテンシャル、空気を読む力、年収、どれをとっても年齢に比例しなくなってる。小学生が動画アプリで稼ぎ、中学生が起業し、世界には4歳半で起業した女の子もいる。

うん、それは事実だしすごいこと。
言い換えれば、誰にでもチャンスを掴み取れる時代である、ということ。でも人として忘れてはいけないのは相手が誰であれ敬うことではなかろうか。歳に関係なく相手を敬える人は素晴らしいと思う。若いのに○○ねとか、年齢重ねてるのに○○ねとか。相手を讃える単なる形容詞だと思えばいいと思うわけ。嫌味に使われる場合もなきにしもあらず、だけどそれは取りよう、ということで。

経験値って言葉が宜しくないのかな。
だって歳を重ねるほど、いろんな時代を生きて、見てきてるわけで。戦時体験をして今を生きてる人と、今小学生で動画アプリで稼いでいる人とでは経験値が高いとか低いではなく、そもそもの土俵が違う。生きてきた時間の濃さや、どんな世界で生きているかどうか…で共感する人も共に生きる世界が変わるだけで…一概に経験が浅いだとか経験値が高いだとかって言えないんじゃないかな、と思うわけ。

人を敬うこと、感謝すること、筋を通すこと。
人として忘れずにいたい。

アタシには何もないから。
この3つだけは忘れずに生きようと思ってる。
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。

激情型とまではいかないけれど、イシイは感情で生きるのである(笑)