Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

感情論。

ワタシは感情論で動く。

情には熱く脆い方だと思う。
でも、正論や冷静さも併せ持ってる…つもり。
いつも自分を俯瞰して見ている自分もちゃんといる(つもり)。
常に、心電図のような感情の起伏が自分の中にある。どうにもならないこと、どうしようもないことに振り回されて飛び上がったり下がったり、忙しい(笑)どうしようもないのに、振り回される。もうそれはどうしようもない(笑)性分なんだもの。

自分が常に正しいとは思っていない。
人の数ほど正義も信じるモノもあると思う。
それは似通っていたり相反するモノだったり様々で、でもそれは言い換えればどんな人からも学ぶべきことはあるということ。



あらゆるSNSは情報を得るために大事な手段。だから呟き界にも呟かずに籍だけは置いているんだけど(笑)そこでの表現の自由さに驚いたり感心したり、ちょっとイラッとしたりほっこりしたり。

『 "若いのにすごいね" この言葉はもうすぐ失くなると思う。年上のほうが経験値高い説なんてもうとっくに崩壊した』という書き込みを目にした。…表現の自由は、、使い手次第だなとつくづく思う。ま、それはおいといて。

能力、実績、ポテンシャル、空気を読む力、年収、どれをとっても年齢に比例しなくなってる。小学生が動画アプリで稼ぎ、中学生が起業し、世界には4歳半で起業した女の子もいる。

うん、それは事実だしすごいこと。
言い換えれば、誰にでもチャンスを掴み取れる時代である、ということ。でも人として忘れてはいけないのは相手が誰であれ敬うことではなかろうか。歳に関係なく相手を敬える人は素晴らしいと思う。若いのに○○ねとか、年齢重ねてるのに○○ねとか。相手を讃える単なる形容詞だと思えばいいと思うわけ。嫌味に使われる場合もなきにしもあらず、だけどそれは取りよう、ということで。

経験値って言葉が宜しくないのかな。
だって歳を重ねるほど、いろんな時代を生きて、見てきてるわけで。戦時体験をして今を生きてる人と、今小学生で動画アプリで稼いでいる人とでは経験値が高いとか低いではなく、そもそもの土俵が違う。生きてきた時間の濃さや、どんな世界で生きているかどうか…で共感する人も共に生きる世界が変わるだけで…一概に経験が浅いだとか経験値が高いだとかって言えないんじゃないかな、と思うわけ。

人を敬うこと、感謝すること、筋を通すこと。
人として忘れずにいたい。

アタシには何もないから。
この3つだけは忘れずに生きようと思ってる。
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。

激情型とまではいかないけれど、イシイは感情で生きるのである(笑)