やりたかったこと。好きなこと。
自分で選んだはずなのに『向いてないのかな…』と感じる瞬間は誰しも一度は感じたことがあるはず。好きなことを極めようと志したことがある人なら尚更この『向いてないんじゃないか』の壁にぶち当たったことがあるはずだ。
かく言うワタシも21,2歳の頃にこの壁にぶち当たった。21,2!!若造もいいところ!!ひよっこもいいところ!!笑
でもその時のワタシ、本気で悩んでました。
トレーナーに向いてないのかなって。
でも、どうしてそう思ったのか詳細は忘却の彼方…覚えてません笑
専門学校卒業して、何の後ろ盾も下積みもなく、学生の頃のわずかな実習経験とやる気だけを抱えてフリーランスとしてスタートさせたトレーナー人生。そりゃ、壁にもぶつかるって(←でも多分大した壁じゃない 笑)
その頃、実習の時にお世話になった社会人チームの方とお話しする機会があって、ぽろっとこぼしたんでしょうね。その方、国体も日本一になったことあるけどバックアップメンバーでユニフォーム着れなかった。でもチームのために練習はもちろん裏方の仕事や応援も全力でしてた。
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俺も、向いてないのかなーって思ったことあるよ
って。
向いてないから辞めた方がいいって言われたら
辞められる?(笑)その程度?(笑)
向いてるか、向いてないかより
好きかどうかだと思うよ。
・
そう言われました。
うん、確かにって若造イシイもその時思った。
『向いてないのかな』って
いや、本人はその時は本気でそう感じて悩んでるんだけど、『向いてない』って言われて諦められる人、どれくらいいるんだろうって。
いや、すんごい権威のある人とか尊敬してる人とか、そう言う人から『向いてない』って烙印押されたとしたら、結構堪えると思うけど…誰かに言われる『向いてない』っていう言葉はどこか呪縛的だけど、自分で『向いてない』って思うのはちょっと逃げ道というか、本能的な言い訳なのかな、なんて思うのです。決してそう思う人が弱いとかそういうことではなく、ワタシ自身もたびたび思ったことあるし。
向いてないから、辞めた。
それはきっとどこかでずっと誰かの、何かの、せいにして言い訳し続ける気がする。
向いていようが、向いていまいが、好きか嫌いかは変わらないはず。
運動神経が悪いからスポーツは向いてないと思うけど観るのは好き、とか。
スポーツそのものは好きだけど、playすることには向いてないからplayするのは嫌、みたいな。
この場合、スポーツそのものは好きなわけだ。
だったら向いてる向いてない問題も、その矛先が向いたものを『自分が好きかどうか』が大きな焦点になるのでは。
好きなことを選んでもうまくいかないこともある。むしろ好きだからこそ手を抜けなかったり極めようとしてしんどかったり苦しかったりすることが多々あるはず。だって、そこまで好きじゃなければ適当に済ませればいいだけの話だから。
ワタシの友人には、"好きだからこそ好きなことは仕事にするもんじゃない"と明言したコがいる。それはそれで正しいと思う。
好きだからこそ、仕事にするのもあり。
好きだからこそ、仕事にしないのもあり。
要は"どんな風に"好きでいたいのか、だと思う。
先にも述べたように好きだからこそしんどかったり苦しかったりすることは多々ある。そのしんどさや苦しさに押し潰されて、本来好きなものが嫌いになってしまうのは本末転倒だと思うわけで。
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だから、SNSで『向いてないのかな…』とぼやいた彼にダイレクトメールを送らずにはいられなかった。せっかく好きになって夢中になったものを嫌いになって欲しくなかったから。
(もっと近くにいる)誰かにそんなことないよって言って欲しかったかもしれない。
心配するほど、悩んでないかもしれない。
それでもおせっかいなワタシはいてもたってもいられなくなって、彼にかなり久々にダイレクトメールを送った。今の彼と同じ歳の頃のワタシも、同じような想いを抱えていたから。
向いてないかな、と思ったら。
まずはそれが好きかどうか自分と向き合う。
そしてどんなふうに好きか、どれくらい好きか、まで掘り下げる。ドMなくらい好きなら(笑)向いてるとか向いてないとかじゃなく、しがみついてでも齧り付いてでも気が済むまで辞めなきゃいい。それほどの熱量よりも疲労感や不満、嫌悪感がボロボロ溢れるようなら、嫌いにならないうちに距離をおいた方がいい。つまり、仕事としてではなく趣味程度に収まる範囲で愛でるのがいい。
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『この仕事は、このブランドは 間違いなく好きですね………』頑張ります、と彼。
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向いてるとか、向いてないとかじゃなくて。
好きかどうか。
どのくらい、どんなふうに好きなのか。
どうか彼が好きなものをずっと、ちゃんと、好きでいられますように。