Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

ときどき、ドライ。

 

この仕事をここまで続けてこれたのは、間違いなく人の"ご縁"に恵まれたからだと思う。

専門学校でたまたま出逢ったチーム。もともとその競技が好きだったと言うこともあってそのチームにどっぷりはまって個人的に試合や練習を観に行くようになって。よく言えばチャンスをモノにしたと言っていいかもしれないけれど、チャンスをうまく、利用したというのが正しいかもしれない。そこの監督Oさんは私のことを可愛がってくださり、専門卒業したらどこでもいいからトレーナーとしてチームに就かせてくれるところを探していたワタシに『紹介してあげる』と声をかけてくださった。自分としては諸々悩み、恩師にも相談して、Oさんの厚意に甘えることにした。そうしてワタシは念願のトレーナー人生をスタートさせることになる。このOさんとの出逢っていなければ、声をかけて頂けてなかったら。神奈川の某実業団チームに行っていたと思う。それはタラレバなのでどうなっていたかなんてわからないし、そっちを選んでいたら今頃…なんてことも微塵も思ったことはない。Oさんには感謝しかない。

とは言え、Oさんとは今は連絡を取ることはない。多分、いや、本気で取ろうと思えば取れると思う。何かの時に一度連絡を取った。けど、それ以降取ったことはない。Oさんの息子さんとも予想だにしないところで出逢って、あぁ、やっぱりOさんはご縁のある方だったんだな、とその時思った。だから、必要以上に連絡を取ろうとしなくてもOさんとのご縁は切れる気がしない。

 

 

ワタシにとってのOさんのように何となく切れずにずっと繋がってるご縁もあれば、何とか繋ぎ止めよう、結びつけよう、と自ら動いて手繰り寄せるご縁もある(こういった縁は縁と呼べない気もするが)。よっぽどでない限り、ご縁は自ら切ることはしない。切られたことは…何度か、ある、な😅

 

 

優劣をつけるわけではないけれど、それでも直感的に"これは疎遠(縁)になるな"と思う瞬間がある。

アメリカのトラフィモウという人のの研究によると人間は『してあげたこと』は『してもらったこと』の35倍覚えているそうだ。なんていやらしい…(笑) つまり『他人にしてあげたこと』と思い込んでいることは都合よく覚えていて、『俺(私)のお陰』と。けれどお世話になった『誰かにしてもらったこと』は身勝手に忘れるわけだ。『あの人のお陰』なのに。

 

 

途切れていく"縁"は、ワタシがその人に対しての恩を忘れた結果なのだろうか。
『してあげている』の多くは『してもらっている』事実のはずなんだけどな。

まぁ、それも含めてご縁なんだろうな、と思うことにしてる。縋ってもいいことないから(笑)

 

そんなところは、ドライなのかも(笑)