・
・
メジャー過ぎる曲なので好きな曲のランキング的には自分の中では大して高くない(天邪鬼的思考w)のだけど、よく頭に浮かぶこのフレーズ。
・
"尽きせぬ自由は
がんじがらめの不自由さの中にある"
・
何も不自由さや規制されることがないのは確かに快適かもしれない。でも快適な日常から"もっと快適に!"と向上心を持てる人の割合って少ないんじゃないだろうか。
それは本当に無理?
いや、どこかにきっとできる方法があるはず!
出来ない理由よりも出来る方法を探す。
そこがきっと試されてるところなんだろうな、本当に心底それをやりたいかどうかを。
出来ない理由はいくつも出てくるかもしれないけど、やりたい理由は"やりたい"という思いだけ。
ダメだと規制されるからその中で出来る方法を探そうとする。不自由さを知るからこそ、自由を求めたくなる。ないものねだりって人間の本能で、ないものねだりから行動に移せる人はきっと成功する人なんじゃないかな…なんつって。ないものねだりしか発動しないのは非常に格好悪い。そんな人間にはなりたくないなと常々思ってはいるのです。
・
・
ないものねだりが過ぎると、どうしてこうも自己中心的なんだろうと自分が嫌になる。でも、"何も自己中は悪いことではない"と言う人もいる。自己中心とは、貫く強さ。
みんなの頼りになるということでもあるんだよ、と。ちょっと斬新でした。自己中にはなりきれない、と自分では思っているものの、他者評価は如何に😅
・
閑話休題。
今回このフレーズが頭に浮かんだのは、なんてことはない。多少の?気持ちの浮き沈みはあれど平穏な日常生活がちょっとして不便に侵されたから。もはやこれは持病?オリンピックよりも短いスパンで襲ってくる、ドデカい腰痛。ぎっくり腰、なんて一言で片付けたくない!違うもん!(笑)
・
・
SOSを発信するのが苦手なワタシだけど、そんな可愛げのないワタシにもサラッと手を差し伸べてくれる人がいる。なんてシアワセなんだろう。ツイてない、うまくいかない、面白くない…ない、ない、ない。本当に?"ない"中にも必ず何かは"ある"。それに気付いて大事にしないとね、と思うのです。