Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

自由は、不便。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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先週の土曜日、SAQシンポジウムに参加して来ました。SAQを通じて知り合った尊敬する方々と一同に顔を合わせることが出来る年に一度のイベントみたいなものでもある。さらに演者が魅力的だと尚更テンションは上がる。

土日2日間に渡って開催されるシンポジウムの初日の最後を飾るのがチャリティ講演。今回はパラアスリートの髙田千明さんとそのパートナーの大森茂一さん。

全盲の選手が競うT11というカテゴリーで戦う髙田さんは今も光がほんの少しわかる程度だったんだとか。先天的な弱視で、20歳前に完全に視力を失って、本格的に陸上を始めたのはなんと22歳。100mと走り幅跳びで大会に出る彼女。でも走り幅跳びを『見たことすら』ない!これ、ものすごく衝撃でした。

身体を動かさずともイメージトレーニングだけで、跳び箱だって跳べるようになる、という研究結果もあるのに。『見えない』ということはお手本や見本を見ることが出来ない。耳と、手。音と触覚、触って足の角度や位置を一つずつ正確に記憶しイメージの模型を頭の中で組み立てる。何も見えない状態でパートナーの声だけを頼りに真っ直ぐ走る、踏み切る、跳ぶ。。陳腐だけどすごい、という言葉しか出てこなかった。見えないから出来ない、ではなく出来ることを最大限に駆使して挑戦する。それは別にパラアスリートに限ったことではないけれど、五体満足の私たちは『出来ないこと』ばかりに目がいきがちで、出来ることの可能性すら狭めてしまっているのでは、と思えた。あることが有難いのになぁ。。勿体ない。

そして昨日。

東京オリンピック女子マラソンの最後の一枠をかけた大阪国際女子マラソンが開催されて24歳の松田選手が自己ベストを更新、更に五輪派遣記録を突破設定して最後の一枠をほぼ手中にしたような結果で終わったのだけど。

ワタシが注目したのは同世代の福士加代子選手。先頭集団から遅れ始めても何かやってくれるんじゃないかって思ってたけど…『ごめん、辞めるわ』とカメラに向かって言い、25km地点で途中棄権。松田選手の走りも絶賛し、今回よりも厳しいであろうラストチャンスの次戦、名古屋ウィメンズマラソンを見据えていたコメント。外野はね、ああだこうだ言うの(笑)でも本人にしかわからない感覚と覚悟がある。あえて途中棄権出来たその判断、ワタシは凄いなと思うけどなぁ。

で。

そんな時に愛読してる為末大氏の『夢についての考察と激励』を読んだわけです。

夢は叶うかどうかわからないし、叶えてもそれは一瞬。その余韻に浸ることは出来ても、いつまでもそこに浸っていてはダメになる。

夢を叶えようとして頑張った結果、叶えられる人はどれくらいいるんだろう。

叶わないことの方が多いかもしれない。

為末さんが言うように、本気で何かを目指すと、欲しかったものとは違うものを手に入れて充足感を得ることがある、というのも納得出来る。そして、メダリストである為末さん自身もメダルによる自信は時間と共に色褪せても、そこに至るまでやりきった自分に対しての自信は一生色褪せない、と書いている。

何が言いたいかって言うと(笑)

なんの関係もなさそうなこの3つの話題ですが。土曜日に髙田さんの話を聴き、日曜日に福士選手のコメントを聴き。今朝、電車の中で為末さんのBlogを読み。

夢がある、目標があるっていいなって思ったんです。オリンピックに出る!とかそんな大それたことじゃなくていい。今日は5分でいいから自宅でトレーニングしようかなとか。そんな小さなことでもいいから積み重ねたら自信になる。自分に自信が持てたらまた違う景色が見える。せっかく見えて、話せて、聞こえて、自分の足で自由に歩けて、食べたい時に食べたいものが食べられる。。自由は時に不便だ。自由であることを忘れて選ぶこと、行動すること、感覚を研ぎ澄ませることも、いつでも出来るとしまいには無意識のうちに面倒くさがりサボりがちになる。当たり前は当たり前じゃないのに。

偉大なるNBA選手の突然の訃報も相俟って、そんなことを思う。もっともっと、濃く生きないともったいない。自由は使いこなさなければ不便でしかないと心に留めて、漠然と過ごすことはやめよう。人生は儚い。