Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

裏方。

 

今クールのドラマでニ作、ワクワクしながら観てるモノがある。当然のことながらニ作とも賛否両論分かれていて(やはり否の方が目につく💦)苦しい。顔を晒さずに文字だけで自分の気持ち(考え)をぶつけることの容易さと危うさ。まぁ色んな考えの人がいるな、程度に心に留めるようにはしているけれど。

 

 

『弱くても、戦わなければならない』。

これはその二作のうちのひとつのテーマ。

これ、どんな立場にも当てはまると思う。

例えば今、目下開催中の高校野球県予選。一回戦で優勝候補と当たろうが、戦わなければならない。まして野球で言えばどんな相手であろうと投手は投げなければならない。自分の球が早かろうが遅かろうが、変化球が得意だろうが不得意だろうが、投げなければ試合にならない。どんなに打たれても、ストライクが入らなくても、アウトを3つ取るまでは終わらない。負けるのがわかっていて、歯が立たないことがわかっていても戦わなければならない時はある。その時に大切なのは勝ち負けよりも『どう戦うか』なんじゃないかと思う。

 

弱くても戦う。

これは言葉で言うほど容易なことではない。

負けるのがわかってて戦わなければならない。これほどしんどいことはない。どうせ負けるから、どうせ歯も立たないし、どうせ…と言うならば戦わなければいい。そんなの相手にとっても無駄な時間だ。相手のために放棄すれば良い。ただ放棄するような人間は、きっと何かにつけて理由を自分以外のせいにする。それは、ちょっと卑怯じゃないか?と思う。アタシは諦めの悪い人間なので(笑)何とか引っ掻き傷でも残してやろうと悪あがきしたいタイプ。どうせ負けるなら、失うものなんて何もない。

 

それは、さておき。

戦うならそれなりの準備が必要だと思うのです。準備もせずに勝ちたいと口にするのは無粋だ。でも時として勝ちには不思議の勝ちがあるので勘違いしてはいけない。準備と弛まぬ努力の先に"勝利"がある。プロに関して言えば勝ってなんぼ、だろうけど勝ち方や負け方の印象は観ている人の心に残る。

 

 

最終的に、頑張るのは選手だけど。

その選手を支える人はたくさんいる。

マネジメントという裏方にスポットを当てたドラマがその二作のうちのひとつ。スポーツマネジメントの世界にどこまで忠実に描かれてるのかはわからないけれど(多分すっごい華やかな部分しか描かれてなくて本来もっと専門的でもっと違う面はあると思うけれど)アスリートを支える人がいるその奮闘ぶりと重要さ、魅力が伝わったらいいなぁ、と思う。

 

 

でね、主人公が言うんです。

『アスリートはわがままで自己中です』って。

全員が、とは言わないまでも当たってるとは思う。でも何を言っても許される、何をしても聞いてもらえるわけではない。そこには("ビジネスパートナーとして"も含む)信頼関係がなければ成り立たないわけで、そしてお互い本気じゃないと良い化学反応は生まれない。依存したり独りよがりではフラストレーションがたまる。せっかく支えるなら、存在意義のある人間でありたい。"支える"立場の人間なら誰しもそう思うはず。支えたい想いはあっても行き場がなくなる(空回る)と…虚しさがハンパない(笑)

 

 

裏方の、地味な立ち回りの気持ちがわかるだけに今クールのこの二作はネット民たちに酷評されようとも最後まで観たいと思う。"自分"を保つためにも(笑)

 

 

そのドラマは…

▷競争の番人(月9)

▷オールドルーキー(日曜劇場)

 

です😆

 

 

嫌いだ。

 

歳を重ねるごとに、というとまだ若いだろ!と多方面からお叱りを受けそうですが(笑)

 

 

年々、自分の性格が…嫌になってきました😂

 

 

小学生の卒業式で担任の先生からの手紙に"ユウコの良さは見返りを求めない正義だ、だけどそれは必ずしもユウコにとっていいことではないかもしれない"と書かれていた。

 

中学生の頃、転校する時に担任の先生からクラスメイトの前で言われた。"イシイがこのクラスから居なくなる、それはこのクラスから正義がなくなるということだ"と。

 

 

別に、自慢でも何でもなく。

正義感は無駄に強い方だと思うし、そう思われることも多かった。

それでもだいぶグレーゾーンは広いほうだと、思ってたんだけど、も。それが最近、どうも自分の首を絞めてるような気がしてならない…。

 

 

今日、とっても許せないことがありました。

相手へのリスペクトを欠く行為はスポーツマンとして、いや人間としていちっばん許し難い。

自分の言い分に耳を傾けてほしいのなら、言い方ってもんがあるだろう。大声で高圧的に、しかも相手を指さして一方的に言葉を浴びせるなんて最低だ。と、言いつつ、『言い方ってもんがあるでしょう!!!』と怒鳴りたくなったワタシもまだまだ未熟もんです。(言わなかったよ、出かかったけど抑えたよ、場違いなことはわかってたから)

 

あーーーー、悔しい!!

どうしてああいうのがのさばってるんだ!!!

許し難い!!!

 

って、ジタバタしてる自分も居心地悪い。

 

売り言葉に買い言葉。

何度も何度も口にするけれど、言葉には本当に気を遣う方だ。
自分がいいと思って使ったとしても、もしかしたら相手にはあまりいい印象を与えない言葉だったということもある。

気にすることなく、自分の思ったことを伝えればいいのかもしれないけれど、どうしても気になってしまう。

それこそ自分はいわゆる”言われやすい”性格なので…ほんっといろんな言葉でいろんなアドバイスなんかを頂きます(笑)

その人の為人(ひととなり)を知っていれば、まぁまぁ、この人なら致し方ないか、とか誉め言葉なんだろうなぁとか折り合いはつく。折り合いはつけれるけど、なんでその言葉をチョイスしたんかなぁ…ってモヤモヤはぬぐえない(笑)

わざわざありがとうございます、も受け取る側にとっては嫌味に取られるのでは?‼と気にしてしまうイシイ。特に感謝の気持ちを伝えたいときなんてどうしたらいいんだぁぁぁぁぁ!!!と悩んでしまいます(笑)

【わざわざ】という言葉には二つの意味があって、①何かのついでではなく、労力を惜しまず特別にそのためだけにするさま。『-見舞いに来てくれた』➁わざと、故意に。『ー人の仕事を邪魔しに来る』。

 

どちらも何かのついでではなく特別に惜しまず…だけど、なんとなく、➁のイメージが強い(ワタシだけ!?)。使う人次第で自分なら①の意味で受け取れるけれど、果たして人様に使うのはどうしたもんだろう…と。

 

 

昔、行くところ行くところで結構出くわすお方いまして。
その方に『あんたはハイエナか!』と言われたことがありました(笑)

ハイエナって、こーーーーんな動物だって知ってました?(笑)

賢くて愛情に溢れ、霊長類にも匹敵する複雑な社会をつくる、アフリカで最も成功している肉食動物、なんだそう。でも全く正反対、頭が悪く大食漢の腐肉食動物という『イメージ戦略が大失敗した』動物だそう。

文学作品や民芸の影響が大きいそうだけど、ハイエナと言われていいイメージを持つ人ってあまりいないと思う(笑)

その時20代だったワタシにとって、それはとてもじゃないけど褒め言葉としては捉えられなかったんですよね(笑)

ただ、大好きなあぶない刑事の中で(笑)こんなシーンがありましてね。

『人は俺たちのことをハイエナと呼ぶ。』

『俺たちもその呼び名が気に入っている。』

タカ&ユージが気に入っているのなら褒め言葉として受け取ろうではないか!!!!と思った当時のワタシ、エライと思う(笑)

 

 

自身の結婚式の時でさえ義父が顔を綻ばせながら

『いや~、馬子にも衣装だなぁ!』と言った…間違いなく、義父はこのとき最上級の賛辞を照れ隠ししながら伝えてくれたんだとワタシは信じている(笑)まぁ…絶対、自分の父親には聞かせられないと思ったけど(笑)

 

 

その他にも『それ褒めるときに使う?』って思う言葉を使われること多々あるのですが。結局、言われやすい人なので(笑)それならこの際、裏を読まずに素直にぜーーーんぶ褒め言葉として受け取ればハッピーか!!!と思い始めた(笑)

例え陰で褒めてねぇのにあいつ馬鹿だなぁ~とか笑われてたとしても(←こういうこと考える時点で歪んでる?笑)ポジティブに受け取った方が幸せかなぁ~、なんて。

 

そんなこといちいち(←これもわざわざと近いと思われる言葉の一つ)考えるイシイはやっぱり面倒な性格なのでしょうか(笑)

でも売り言葉に買い言葉って言葉もあるくらいだし。自分の口から出る言葉には自分の素直な気持ちと相手へのリスペクトは欠きたくないなと思うのです。

 

好きじゃない。

 

いてもいなくても、変わらないかもしれない。

どうせ変わらないなら、居ることで役に立ちたいと思うのが自然だろう。それがそこに留まる理由でありエゴでもある。

"居てほしい"と思われたいのは承認欲求。

 

 

"居て欲しい"と言わせたいわけではない。

お世辞や建前ではなく本心で思ってもらえたら嬉しい。ただそれはやはり、たまに言葉や行動で示してくれたら…なんて。

でも"わかってるよね?"っていう、それはそれでよく言えば空気のような存在でいるのが当たり前で…って。でも当たり前は当たり前じゃないと思うんだよね、面倒くさいこと言うと。

 

 

自分は役に立っているのか、必要とされているのか。そう考えてしまう時点で承認欲求の塊なのかもしれないと思えてしまって、カッコ悪いやら情けないやらの自己嫌悪。

自分が居たいって思うからここに居るの!ってエゴを突き通せる鋼のメンタリティが欲しい。

 

 

しばしば、自分がわからなくなる。

自分のことを好き!と胸を張って言える自信はない。長所は?と聞かれても言葉に詰まる。

どちらかといえば自分に関しては嫌なところばかりが目につく。自分のことがそうだから、他人に対してはまず良いところを見つけることにしている。

 

自分が嫌いなわけではない。好きじゃない。

嫌いと思ったら生きいてくのが辛くなる。

嫌な奴だな〜…と思うこともあるし、些細なズレにイラッとしたり違和感を感じてしまったり。誰かに迷惑を掛けなければいい、とは思うけれど自分がしんどい。じゃあそんな性分を改善すればいいんだけれど。ワタシは"正論"とか"こうあるべき普通"とか、そういったものの呪縛に囚われてるように見えるらしい。呪縛って(笑)なるほど、そんな表現が当て嵌るのか。呪縛に囚われている自分に陶酔してるわけではない。解けるものなら、解きたい…というかこの苦しさからは放たれたいとは思う。ただ、そんなにカンタンに解けるものではないし、全否定もしたくない。これはあくまで自分の考えだけど、今までの自分を全否定してしまう気がするから、したくない。自分の中できちんと折り合いをつけて納得して消化したい。

 

陶酔してるわけじゃないけど、こうやって自分を内観出来る自分のことは嫌いじゃない。まだ冷静だと思ってる。(買い被り?)そうやって常に内省出来る自分も悪くないじゃない、他人に同じことを求めなければいいんだから、と囁く自分も、いる。

 

 

とどのつまりはやっぱり自分のことはイマイチ好きじゃないのです。こんな自分にも居てもいい場所や求められる場所が、少なからずある。

"hate"ではなく"Not really"なら、完全排除しなくてもいいのかな。でも苦しい時は誰かに縋りたいのだよ…わがままだなぁ(笑)

譲れないこと。

 

この仕事を続けてきて20年が経つ。

あっという間に駆け抜けてきた。

20年経っても常々、不安で仕方ない。

こんなことを言うと誤解されかねないから弁解しておくけど、当然指導するときは自信を持って指導してます。今このチームに、この選手に必要だと思うものをカスタマイズして提供する。もちろん必ず監督やコーチにも話して双方の意思やゴール設定にズレがないように詰めて進めることも忘れない。その話し合いにズレや歩み寄りが出来ないなと感じる時はそこを去ることも辞さない。ズレたまま進めても決していい方向へは行かない。

 

 

ただ常々考えるのは、"自分は必ずしも正しくないかもしれない"ということ。自分がしようとしてること、指導したことは本当にそのチームや選手が欲していたものにフィットしていたか。カタワになっていないか、偏見はないか。フィードバックを求めるのは見返りが欲しいんじゃなくて次に繋げるため。今回よりも次回、もっといいものを提供出来るようにしたいから。

 

 

トレーナーと一言で言っても10人いれば10通りの関わり方がある。そもそもトレーナーと名の付く確固たる資格といえばAT(アスレティック トレーナー)くらいのものだ。AT以外にもさまざまな資格があり、それらを武器に自分や売り込み、需要と供給の成り立つクライアントを見つける…。ワタシは治療こそ出来ないけれど、選手のポテンシャルを引き出す、パフォーマンス向上のための一端は多少なりとも担えると自負してる。それがウエイトトレーニングであり、SAQトレーニングであり…それをどう、競技レベルに落としこむか。そんな意味合いもこめて、いつの頃からかワタシは自分のことを"フィジカルパフォーマンストレーナー"と名乗るようにしている。え?どんなことするの?と大抵聞かれるので自分の想いを熱弁する(笑)想いに共感してくれた人のために最大限尽力する。ぶっちゃけ肩書きなんてどうでもいい。届けたい人に、求めている人に想いとイシイが届けばいいのだ。

 

 

かと言って、パフォーマンスが向上したりチームの勝利、記録更新などの成果は選手が貪欲に取り組んで努力した結果であって、決してワタシがすごいわけでも何でもない。だからどのチームにいたとか、誰に指導したことがあるとか本当はどうでもいい。この人に教わりたいな、なーんてオーラが出せる人間になれてたら、それでいい。肩書きも経歴も、別にいい。

 

 

負け惜しみでも言い訳でもなく、だから今からプロチームに行きたいとかはない。強かろうが弱かろうが、求められてそこにいたい。求められたいっていうのは、承認欲求かしら(笑)でも、独りじゃ成り立たない仕事ですから。

100万円の使い道。

『100万円あったら、あなたは何をしますか?』

そう聞かれて、あなたは即答出来ますか?
即答できる人ってどのくらいいるんだろう。




お金があったらもっと〇〇出来るのに。
時間があったら…
それって本当にそうだろうか。
お金があといくらあればそれは叶うの?
時間はあとどれくらいあったら満足する?
明確に答えられる人は本気の人だと思う。

『人は2000連休を与えられるとどうなるか』

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著者の上田啓太氏が6年間、驚異の2000連休以上を過ごした実話。
読んでみたいような、怖いような。
さわりの部分だけならここから読めるので興味を持った方はぜひ覗いてみて欲しい。
人は2000連休を与えられると一体どうなるのか? | 読書 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

お金、休み、時間。
きっとほとんどの人が欲しいものにあげると思われる。
仕事が忙しければ休みが欲しい。それも1日じゃ物足りないからもう少し欲しい。
具体的に何日もらえたら、しっかりリフレッシュしてまた頑張って働こうと現実に戻る英気が養われるのか果たして自身で理解できる人はどのくらいいるだろう。
お恥ずかしいが、イシイは正直わからない。1日で満足する時もあれば1週間あってももっと欲しいって思うこともあるかもしれない。どこで誰とどうやって過ごすかによっても変わってくるだろう。



何が言いたいのかというと(笑)
ざっくりしてる欲求は叶いにくい、もしかしたらほぼほぼ叶わないもんなんだろうなぁってことです。(もしくは叶ったことに気付かない)
そして明確な夢も目標もない人間に限って、人の夢や目標に難癖をつけがちなんじゃないかな。もしくは『本当にやりたいことは100万じゃ叶わない(足りない)からなぁ~』なんて言い出すんじゃなかろうか。それってさ、お金のせいで出来ないんじゃなくてきっと本気じゃないんだろうね、なんて思えてしまう。
好きな本を片っ端から買って買って買いまくって読み漁る。値段を気にせず好きな本を好きなだけ手に入れることが出来てそれはそれはものすごく幸せなこと。でもそれで100万円を使い切る…ってのもなかなかな大変なことだと思う。(別に使い切らないくてもいいのかもしれないれどそれなら100万縛りじゃなくてもいいわけで)
チームのために人工芝のグラウンドをつくって…体育館をつくって…とかチームの指導者なら思う人もいるかもしれない。実際、イシイの知人に宝くじを当てて土地を買って人工芝のグラウンドをつくる!!と宝くじを買っている方もいる。

本気で思っていても100万円では頭金にしかならず夢への最初の一歩にしか過ぎない!という人もいるかもしれないし。でも…100万よ?有難くない?って言っちゃいそうだけど(笑)

正解なんてないし、人の数だけ答えがある。
ただ一つ、間違いなく言えるのは100万円は誰かにとっては使い切れないほどの大金であると同時に、またほかのある人にとってははした金でしかないかもしれないっていうこと。100万円をどう使うかはその人の価値観そのものではなかろうか。
自分で汗水たらして稼いだ100万円と、ある日突然ぽんと差し出される100万円の価値はもちろん違う。どうせタダでいただけるならパーーーーっと使ってみたい!それもいいだろう。でもきっとワタシはそれ、出来ない(笑)貧乏性なんでしょうか(笑)

そんな御託を並べといて。
100万円あったら本気で叶えたいことを真剣に考えてみた。

実は先日の仕事の講師料(¥17,000弱)を物品で頂くことになっているのだけれどそれすら思い浮かばないワタシ…(笑)。真剣に忖度なしに考えてみた。



発表します!
100万円あったらイシイがしたいこと!!

チームジャージ一式を選手全員にお金を気にせず好きなメーカーで揃えてあげたい!!です。

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数年前までは会社からセミプロのように全額補償されてました。ちょうど3年前、HCが変わりそのタイミングで会社からの支援は1/10のほどにまで減り、少なからず自己負担を強いられながら、仕事と両立させながら続けることを選んだ10人の選手に、敬意と感謝と、激励の意を込めて進呈したい。100万あれば叶うはず!想いを押し付ける気はない。それでもう少し頑張ろうって思ってもらえたら嬉しい。

残りは今シーズンの遠征費のタシにする!

それから…さらに残ったら。10年以上ワタシの足となって走り続けてくれたぼろぼろのクロスバイクを新調したいな(笑)

 

 

もしも、100万あったら本気でしたいことがあるという方は応募してみては如何でしょうか。

https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12749350941.html

 

 

 

怒りとは。

 

いつの頃からか、自分はもしかしたら短気なのかもしれないと思うことが多々ある。

でも短気ではあるかもしれないけれど意外としぶとい、しつこい、諦めが悪い(呑気だとは思わない)性格だとも思っている。確かなことは、両極端な性質を持ち合わせているらしいということ。自分のことながらとてつもなく面倒だ。

 

 

"鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス"織田信長"

"鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス 豊臣秀吉"

"鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス 徳川家康"

これは織田信長豊臣秀吉徳川家康の3人の戦国武将の性格を端的に表していると言われている有名な言葉。ご存知の方も多いだろう。

三者三様の成功者であると思っているけれど世間的には15代もの長期に渡り政権を握った徳川家の礎を築いた家康の、成功には強引に事を起こすのではなく、辛抱強く機が熟すのを待つのがポイントである、的なことの例えとして使われることが多いように思える。

この中でダントツ短気損気は信長だろう。

だけどワタシ、信長は嫌いじゃない(宮本英治氏の小説からのイメージが強いけれど)し、むしろ好きな戦国武将のひとり。(いちばん好きなのは武田信玄!)

 

 

だ・け・ど・も!!!

ワタシ、決してホトトギスが鳴かなかったら殺してしまえとは思わない。その種の短気損気は持ち合わせていない。どちらかといえばちょっと鳴かせる努力をして、ダメなら鳴くまで待つ。そう、こういうところが諦めの悪いしぶといところなんだと思う(笑)

 

 

短気だなと気付いたのは些細なことでイラッとしてしまうこと。ただ、残念ながら多少顔には出てしまってると思う😅けども、怒鳴るのも、罵声を浴びせることも得意ではないしそんなところに労力を使いたくない。"何故そういうことが起きたのか"をまず自分の中で整理する。そうして大まかな仮説を自分の中で立ててなぜ、どういうポイントにイラッとしたのかを確認して自分の気持ちに折り合いをつけようとする。これ、多分誰にも迷惑はかけていないと思う。頗る自分がしんどいだけ(笑)自分のイライラに折り合いをつけて消化するまで、なるべく八つ当たりしないようにしたい。だからこのイラっとする事象は出来るなら対面で起こらないで欲しいと常々思う。そうすれば不快な想いをするのは自分だけで済むし、余計なことを言わずに済む。もしも今後もう関わりたくないな、関わることはないなと思っても丁寧に言葉や表現を選ぶ時間があるからだ。言葉も表現の仕方も、悪気なく相手の気持ちを逆撫でする人がいちばんタチが悪いとワタシは思う😅そういう人には…なりたくない。

 

 

そんな時にふと頭に浮かんだのはこんな歌詞。

"少しのズレも許せない セコい人間になってたよ"

 

そう、B'zの名曲 "LOVE PHANTOM"の中のワンフレーズです。

あ、アタシはもしかしてセコい人間なのか?と愕然としたわけで😑セコい人間にはなりたくないし思われたくないなぁ。

 

 

じゃあ、なぜイラッとするのか。

自分の意にそぐわないことが起こると人はイラッとすると思うのだけど…それって、きっとワタシのような"○○べき人間"が陥りやすいのかな、と。ワタシとあなたは違う。だからイラッとする前にああ、あなたはそう考えるのね、だからその言葉をチョイスしたのね、なるほどなるほど。と客観的に事実をまず認識(分析)すればいい…と思うのです。

 

 

裏切るより、裏切られた方がいい。信じることは美学だ。それは理想かもしれないけれどそれでは天下は取れない。昨日、鎌倉殿を観ていて思った。どこまで史実に忠実なのかはわからないけれどとびとびで見てても、見入ってしまう。頼朝はなかなか他人に心を開かない。情けはかけても自分の意にそぐわぬもの、謀反を起こそうものなら容赦なく斬り捨てる。頼朝も信長寄りの人間だったのかしら。でも信長の方がワタシは好き。信長はウツケと言われながらも才はあったと思う。頼朝自身は周りにどんな人が居たかで変わるように思う。北条の家に匿われたこと、ここで北条義時と出会い、頼朝の運命は好転して天に生かされてきた…匿われた先が北条でなければ鎌倉幕府は誕生しなかったかもしれない、なんてそんな話はどうでもいい😅

 

 

信じるも信じないも、自分の勝手。

自分が信じて欲しければそれなりの行動をするべきで、それが裏切られたと思うのは相手に対して過度な偏った期待を寄せた自分の失態。誰も信じない!なんてのは侘し過ぎる。だからワタシは信じる。だけど信じていたものが崩れた時に相手に転嫁せず自分をしっかり保てるだけの冷静さを失わないこと。そうすればきっとイライラせずに済むのではないか…と。難しいと思う😅非常に難しいと思う!!誰も信じてないもんね、なんて思うより人間らしくていいと思うのよね、なんて。

 

 

短気かもしれない。

けれど極力八つ当たりもしたくないし、怒声罵声、罵詈雑言(笑)も浴びせたくはない。

基本的にはまわりに対して優しい人間でありたいし、そうだと思いたい(思われたいわけではない笑)。それでもやっぱりイラッとはするのです!人間だもの!(笑)そんな時にどうどう、と宥めてくれる人は、、自分以外に欲しいよね、と思うのです。それってわがままなかしら🙄

 

ここ最近多々イラつくことがありましてね(笑)

何なら今朝もありましてね。いやなに、大したことじゃあないんです。些細なことだと思うんですけどね。イラッとしてしまったんですよ。それでつらつら考えてみた次第でした😅