Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

リスペクトが全て。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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2020/08よりcloseしていたHPをリニューアルしました。

https://peraichi.com/landing_pages/view/toughnessfighter

より親しみやすく、いろんな方の困った!に応える相談窓口のような存在になれたらという想いが詰まったHPに仕上がってます🙌🏼

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レーニング(練習)メニューを提供するとき。
経験がない競技だったことなんていくつもあるし、自分が選手として経験したよりも遥か上のレベルで戦う選手たちに提供(指導)させてもらうこともザラにある。

そう言ったチームや選手に対して指導するチャンスをもらった時に大事にしていることは、臆することなく囚われず、理解してもらうこと。

ある一定以上のレベルでプレーしている選手たちにしたら、競技を経験したことがないとか、これから指導してもらうのに大した選手じゃなかったらしい、となると肩書きとかどんなチームを見てきたのかとかそのチームの戦績は、とかそんなところが信頼する上での判断材料になると思うんですよね。

そこはもう同じ土俵で話はしない。わかんないことは聞くし、ワタシはこう思う(見える)けどどう思う?とか素直に聞く。答えられなければそれは無意識下で行われていることで、考察する必要がある。ワタシは"プレーありき"ではなく"動きありき"だと思ってる。
だからワタシがそのメニューを提供しようとする意図だったり、そのメニューがパフォーマンスの向上にどう繋がるかといったところを"競技特有の常識"をいったん横に置いて耳を傾けてもらって理解してもらえるか、がむちゃくちゃ重要なのだ。そこをしくじると信頼関係は築けないと思ってる。ただやらされてる、無駄な時間にしかならない。

競技特有の常識はもちろん必要だし大事だけど、囚われ過ぎては絶対に選手(監督やコーチングスタッフも含む)とワタシの間に温度差や溝が生じてしまい、全て無意味、無駄にしかならない。
ワタシが全て正しいわけではない。

ただ、経験したことのない競技であっても視点や切り口が違うだけで目指すべき方向やゴールをお互いに共有して実践するからこそ全てが繋がり意味があるものになる。

全てはRespectがあって成り立つもの。

【余談ですが】

こんなにまともにバスケとSAQトレーニングを融合させたメニューについて話し合ったのは初めてかも。バスケってこうなんだよ、的な圧や、(アタシからしたら)どうでもいいところに執着してるなぁ、、と恐らくお互いに少しのフラストレーションは感じながら……笑。でも、いいメニューが出来たと思う。

お互いにRespectしてるからよね?(笑)

あ、因みにその相手は夫です(爆笑)

ものさしと性分。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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2020/08よりcloseしていたHPをリニューアルしました。

https://peraichi.com/landing_pages/view/toughnessfighter

より親しみやすく、いろんな方の困った!に応える相談窓口のような存在になれたらという想いが詰まったHPに仕上がってます🙌🏼

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コロナという言葉が耳慣れ、蔓延って一年が過ぎて…芽生えたものはありますか?

アタシは断然"モヤモヤ"。それといろんな距離感。自粛警察?とかマスク警察?とか。見えないものとは正反対に、人の本性が垣間見れるようになった気がします。

色々オンラインでいつでもどこでも手軽に顔も見れるし声も聴ける今だけど、距離を置きたいものとそうでないものの境界線も逆にはっきりしたなぁ、と。不自由さの中で何を考えどう生きるか、何を大切にするか…アクリル板の仕切りを目の前に置いて付き合う距離もあれば、シャッターをおろして完全にシャットアウトな距離の人もいる。コロナ禍の新しい生活様式で身につけたのは、自分にとって何が大切か、何が心地いいか、をはっきり自覚するいい機会になった気がする。

ものさしとは" 人が大事にしている尺度 "のことだという言葉を目にした。

なるほど。

何を大切にするかで尺度が変わるから、距離も離れたり縮まったりするわけだ。

じゃあ、何を大切にするかは何で決まるのか。

価値観とか環境によるとは思うけど、どれだけいろんな人やモノの"人生のアップダウン"に寄り添い、見聞きしてきたかでいろんなものさしが持てるようになって、何を大切にしたいかが決まるのかな、と。

どれだけ寄り添い、見聞きしてきたかで感受性の豊かさが変わると思う。いろんなものさしを持ってる人はきっと寛容でおおらかな人なのかもしれない。大切にするものが異なっても否定せずにあの人はこういうものさしで生きてるんだ、と思えたら、優しさに溢れた世界になるんじゃないだろうか、なんつって。

性格もまた、感受性のように後天的につくられるものだと思うけど、性分というものはどうもよほどのことがない限り変えられないように思う。いろんなものさしを持っても、悪い性分が顔を出すと自分が苦しい。それもまた、感受性が豊かだということでいいのだろうか😂

ぶっちゃけ、行きたいところなんてたくさんあるし、会いたい人だってたくさんいる。
でも、行けてないし会えてない。

このご時世、感染対策を万全にして行きたいところに会いたい人に会いに行けばいい。そうは、思う。え、あれは良くてこれはダメ、出来ない。何で?って思うこと思われること、多々あると思うねん!(笑)その基準は自分の物差しで測った結果であって、他者とは分かり合えないものの場合もある。それはもはや性分なのだ(笑)

嫌いじゃないけど、なかなか面倒くさい性分である。なかなかうまく説明出来ないけれど。それでもそんなワタシを素直で可愛いと言ってくれる人もいる有り難さ。ものさし、たくさん持ってるんだろうな(笑)

自信ってやつは。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

2020/08よりcloseしていたHPをリニューアルしました。

https://peraichi.com/landing_pages/view/toughnessfighter

より親しみやすく、いろんな方の困った!に駆けつける相談窓口のような存在になれたらという想いが詰まったHPに仕上がってます。それに合わせて名刺も新調しました。どちらもクリエイターさんにお願いしてきちんと想いの反映された納得のいくものが出来ました。

仕事のスタイルとしては同じこと。

お願いしたい人がいて、その想いに寄り添って最大限尽力したいという人が出逢って、対価を払ってお互いに納得のいくものをつくりあげる。今回も本当に素晴らしい方にお願いすることが出来て大満足です。

バレンタイン前夜に起きた地震

久々過ぎてかなりビビりました。咄嗟に出た行動は180cmほどの食器棚を押さえること(笑)

お陰で数枚は割れたけど最小限の被害で済みました。植木鉢🪴がひっくり返って土が散乱したり加湿器のタンクから水がこぼれて水浸しになったり…とまあまあカオスな状況でしたが😱

不謹慎なようですが、【自信】って何なんでしょ。地震のように揺れて崩れることもある…という面では漢字は違えど自信も同じことが言えるのかな、なんて。イシイはよく自信ありげに見えるそうです😅仕事柄なのかもしれませんが、そもそもそんなに自信満々で何かに臨んだことがあるかと言われたら100%の自信で臨んだことはない、、かも。仕事なら限りなく100%に近い状態で出来るように準備も努力もして臨むのでそんなに不安な状態で臨むことはないけれど、試合や大会なんかにはどれだけ練習しても不安で仕方なくて自信を持って臨めたことなんてほぼないに等しいかもしれません😞

それでも楽しもう!精一杯やろう!とか思えればいいんだけど😅(わずか数%くらいは思ってたかもしれないけど、基本、"楽しむ"という感覚は味わえなかった…振り返ってみたときに"充実してた"と感じることが楽しかったんだ、と思うことにしてる)

そもそも自信って、何なんだろう。

広辞苑によると『自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。また、その気持ち。』と定義されています。

自分が自身の能力や価値を信じられるかどうかはつまり"思い込み"ってこと。よく根拠のない自信って言葉も聞くように思い込みであるはずなのに、多くの人は自信に『根拠』を求める。間違いなくワタシもそうなんだと思う。知識や経験は根拠になり得るものだけど、全てではない。。知識や経験やスキルはRPGゲームのキャラクターの武器と同じ。たくさん持っていても使いこなせなければ意味がないわけで(笑)それに加えて、自分が何を成し遂げたいのかも明確じゃないと、何を武器に戦えばいいかわかんないわけよね。

脳科学者の茂木健一郎氏が学生たちに『根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ。自信に根拠は必要ない。できるかどうかわからない。それでもやるしかない。つまり、「根拠のない自信」とは、とにかく行動するという決意表明だ。』と話したことがあるそうな。

根拠のない自信は、他者からどう評価されるかではなく、自分が積み上げた行動と経験に裏打ちされる…ということか。まだまだ未熟と言うことですね。根拠のない自信、、なかなか難しいなぁ😅結局、根拠を他人に求めてる(承認欲求、他人の評価)んですかね。

持ちすぎも、持たな過ぎもいかがなものか。

自信ってやつは匙加減が難しい。

最近SNSを見ていてものすごく感じること。

動かないと、発信しないと誰からもリアクションはない。完璧じゃなくても自信がなくてもまずは何か行動を起こす、発信する。その勢い(と言っていいのかわからないけれど)は大事なんだろうな、と思いつつ。その勢いもまた言い換えれば"根拠のない自信"なんだと思う。好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか。それだけだよ!と思われるかもだけど、、そこを飛び越えて行動に移すには根拠のない自信も大事だなって。自信ってやつは厄介だ。

 

ジェラシー。

ジェラシーは原動力になり得るのか。

そもそもジェラシーって、何なんでしょう。

嫉妬と羨望は似て非なるもの。

なるほどな、と思ったのは嫉妬は"手が届きそうなポジションの人"に対して抱いてしまうものという説。手が届かないポジションの人に対しては確かに『くっそー!』というより純粋に『いーいなぁ♡』って感じだもんな(笑)

嫉妬は、手が届きそうって思ってる人に対して抱くものなら越えてしまえばいいわけで。その切り替えと努力の方向を間違えると愚痴ばっかこぼす負のスパイラルに嵌ってく。嫉妬は他人でなく自分に向けるもの。

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人生には自分の力でどうにかできることと、どうにもならないことがある。このコロナ禍で誰もが痛感したことではなかろうか。緊急事態宣言下では身動きが取れなかったり、今までやれたことが出来なくなったり、と自分の力ではどうにもならないことはある。

でも、じゃあ自分の力でどうにか出来ることは0なのか、というとそんなことはないはず。

ジムに行けないからトレーニングが出来ないなんてことはない。工夫次第で何かしら出来る。何のために、何をするのか。そこがブレなければ何かしら、ある。

走れない、ボールに触れない、一人じゃパスも出来ない、ラケット触れない、とか。

ない、ない、ない!!!!!

ないもの、出来ないことには目も意識も行きがちになるのはある意味仕方のないことで、人間らしいと思うし、それでモチベーションが低下するという人がいるのもわからなくはない。

でも、じゃあ、このモチベーションって何なんでしょう。

モチベーションとは動機を意味する言葉。

動機とは人が何らかのアクションを起こす際の要因となるもの。ということは自分が【どうありたいか】、例えばこのコロナ禍が落ち着いた暁にどうなっていたいか、または絶対にこんな風にはなりたくない!っていう動機があればモチベーションは大きく低下することなく保たれるわけだ。いうほど、カンタンなことじゃないかもしれないけど。

だって時間はみんなに平等にあるけど、どれだけその理想や抱いた嫉妬に対してモチベーションを維持して努力出来るかっていうのは、、個人差が顕著に表れる。そこの努力もなしに、もしくは自分はこんなに頑張ったのに!って嫉妬したりするのは…ダサいと思うのよねぇ。。(自戒の念も込めてw)

それこそトレーナーは、あるもの、出来ることに気付けて動けないと、、目の前の選手の力にはなれないんじゃないかなー…と思う。

アタシは。目の前の選手の力になりたい。そのために自分に自信を持てる自分でいたい。

 

守るべきもの。

"ルールは破るためにある。"

一体誰がそんなことを言い出したのか…。

そりゃぁね、車来てなかったら赤信号でも横断歩道渡っちゃったり、とかルール破ったことワタシにだってあります。生まれてこの方、一度もルール破ったことありません!!って人はきっと皆無だとは思うけども。基本、ルールって守るためにあると思うんです。

学校生活や就業規則はもちろん、スポーツやゲームにもルールがある。ルールを守らず好き勝手にやっては観てる方もやる方も面白いことなんて一つもないし、守らなくてもいいルールなら、そんなルール存在しなくていい。

でもただ守ればいいか、と言ったらそうではないと思うんです。たまに『あれ?このルールおかしくない?』と思った経験は誰しもあるはず。そう言う時には黙って従うのもどうかと思うし、勝手に破るのもどうかと思う。

ルールはそれが設定された時の時代や状況、環境に合わせて設定されているはず。それらが変わればアップデートしなければならない。だからスポーツのルール改訂なんかは頻繁にありますよね。よりよく、より面白くするために為されてること。ルールは規則であって正解ではない!これが規則=正解になると正義の定義と同じになりかねないと思うわけで。

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https://passionate-heart.hatenablog.com/entry/2021/02/01/095529

何のための規則なのか、を考える必要があると思うんですよ!!!ルールは破るためにあるんじゃない。破った方がいいと思うなら黙ってやらずに周りを納得させる、アップデートした改善提案をするべき!!誰も傷つけないとか迷惑かけてない、とかはね、個人の匙加減だと思うの!!…あまり言い過ぎるとこれはイシイの正義でしかないのでやめときます。

(熱くなってるのにはちょいと理由がある…)

"型をしっかり覚えた後に"型破り"になれる"

故・中村勘三郎さんの名言です。

最近何かの番組で市川猿之助さんも言ってました。型があってこその、型破りであって、型(基本)がなければそれは型無し。その一方で、型に囚われてばかりいても進化が出来ないのも事実…んーー!何とも奥が深い!!

型も、ルールも、『何のために』を理解したうえで守る、もしくはアップデートしていく必要がある。

剣道や茶道などで、見掛ける『守破離』も近いものがあると思う。

【守】: 師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。

【破】: 他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。

【離】: 一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

型を【守】る、→型を【破】る、→型を【離】れる。 全て、これ。破天荒に見える人だって、成功している人は必ず基礎や型があるはず。

バレなきゃいい、怒られないからいい、自分さえ良ければいい。もしくは誰も傷付けたり迷惑かけなきゃいいでしょ、もっと最悪なのは自業自得で俺が悪いんだし、的な開き直っちゃう"肝が座ってる"を勘違いしちゃってるタイプ。それはね、、型破りでも何でもなくて、ただ単に自己中なだけだと思うのです。それで得すること、何もないと思うけどな。

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怒るの苦手です。でも、注意はします。

それでもバレなきゃいいや、怒られなかったセーフ!みたいなのは違うよ、と言いたい。

守らなきゃならないこと、守った方が断然いいこと。みんな本当はわかってるはずなのになぁ。失くしてから気付いても遅いのになぁ。

 

 

キサラギ。

2021年もあっという間に2月が来ました。

ほぼ、日の出と変わらずに家を出る生活も今日と明日でしばしお休みに入ります。

晴れた日は寒さは厳しいけど空気が澄んで気持ちいい!約3kmの道を歩いて駅に向かいますがとっても心地いいです。

1月は和風月名で睦月。寒い冬に身を寄せて仲睦まじく暮らす月…ということで、睦月。

現在の月とはちょっとズレてるけど、今に残る和風月名や異称、別称は季節を感じさせる素敵なものばかり。

2月を表す『如月』も諸説あるけど、"衣更着(きさらぎ)"が転じた説が有力みたいです。厳しい寒さに備え重ね着をする(衣を更に重ねる)季節、という意味だそう。その他にも、陽気が更に来る月だから"気更来(きさらぎ)"になったとか春に向けて草木が生えはじめるから"生更木(きさらぎ)"になったとか。読み方は変わらねど素敵な字並び✨と思うのです。

そして明日は120数年振り?の2月2日の節分、そして立春。暦的には春が来る🌸

まだまだ外は雪景色だけども(笑)

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昨日、TVで某プロスポーツ選手が言葉について語っていました。言葉の選び方、掛け方。自分がいろんな苦しい経験もしてきたからこそ掛けられる言葉がある、と。

若かりし頃なんかもちょっと知ってるだけにいい歳の重ね方してきたんだな、いい人とたくさん巡り逢ってきたんだろうな、としみじみ。

人は変わろうと思えばいつからでも変われる。そう信じたいもんです。

ネガティブな言葉が与えるものは不安や恐怖。

それは本人も気付かないうちにずっと心に棲み続ける。その言葉を発した方はそんなことさらっと忘れてしまうというのに。

ネガティブな言葉が悪いとは思わない。

ネガティブな言葉を、どう使ってどう届けるか。結局は使い手次第なんじゃいかなと思うのです。ポジティブな言葉だってぽんぽん言われたり、空気読まないで言われたらバカにされてるような気になりません?ワタシだけ?😂

何でもかんでもポジティブに捉えたり、ネガティブな気持ちに気付いたらポジティブに切り替えようとしたり、というのは違うと思ってる。

まずは、感じたままを大事にしたい。そして次になんでそう感じたのかを冷静に見極めたい。自分の気持ちには素直でありたい。素直であってもそれは自分の中だけのもので、押し付けるものではない。自分が正しい(正義)と思ったとき、人間はどれだけでも残酷になれる。"正義"の怖いところは、自分が正義だと思うとためらいなく相手を傷つけることが出来てしまう…。怒りは自己を正当化し、正義になりすまそうとする。気をつけないとね。仏教のお話なんか読んでても出てくる話題です。

たまーに、書き忘れることもあるけど何とか1ヶ月続いた手帳の日記。自分の気持ちと向き合い、今あるものに目を向けるにはとてもいい習慣です。

今日から2月。朔参りには行けないけれど…

一年の中で最も短いこの月を終えた時に、充実したひと月だったなと思えるように過ごそう!

 

覚悟。

NPO法人 日本SAQ協会[NISAQ]レベル3インストラクターに2021年1月19日に合格致しまして、認定書戴きました(*꒦ິ⌓꒦ີ)

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恐れ多いです。みんな、すごい人ばっかり。
比べるもんじゃないってのはわかってるけど…オリンピック選手のトレーナーさんもいたり、とにかくすごい人がたくさん。

イシイは。

専門学校卒業してから、2006年にレベル1。
そこからどっぷりハマって、シンポジウムにも足を運び最短でレベル2の試験に挑んだのが2008年。横浜のスタジアムでの試験でした。

あの緊張感(恐怖感ともいう😅)は今も鮮明に覚えてます😂

あれから、10年以上。
専門学校レベル1セミナー講師や、東北をまわってジュニア世代へのセミナーを何度も担当させて頂いてきました。ダメダメで怒られて泣いたこともあれば(笑)思うように出来なくて悔しくて落ち込んで、これじゃアカン!!と他の人のセミナーにお邪魔させてもらって勉強したり。ものすーーーーんごく、鍛えられました。
今でこそ、母校でも在学中に学べるシステムがあるけどアタシの頃はなかったから、SAQに出逢えたことも奇跡。


レベル3なんて雲の上で、アタシには手の届かないものだと思ってました。
まさか、受験資格をもらえる日が来るなんて。そしてまさか合格する日が来るなんて嘘みたいです(*꒦ິ⌓꒦ີ)

素直に、嬉しかった。

決して調子にのってるわけではない。でも、沢山の方に支えられて、学ばせてもらって、、その感謝と頑張らねばという決意も込めて、SNSで発表したら、、、まぁ、ものすごい反響でした😅Facebook始めて以来初?のいいね!の数。おめでとう!って言われて……嬉しかったけど、ちょっと後悔しました😅

資格は、ただの肩書き。合格したから言うんじゃなくて。待ってますよ、合格しました。それを公表するのって、覚悟がいる。出来ないなんて言えないし出来て当然と思われる。何でお前が、って思ってる人も少なからずいると思う。でもコツコツ、地道に積み重ねてきたことを認めてもらえたと思ってる。だからそんな風に思われた人たちにも認めてもらえるように!頑張るのです🔥

SAQトレーニングは全ての土台になるものだと思ってます。ラダーが上手いとかマイクロハードルがどうだとか。そんなんじゃない!それだけじゃない!(笑)


ただ、きっと当たり前すぎるのかなぁって。
当たり前過ぎて見落とされがちで、軽視されがちで…だけどとっても大事な根っこの部分だと個人的には感じてます。根っこがしっかりしていればどんな花も咲くことが出来るはず。。そう信じてます。SAQトレーニングの持つ魅力と底力を正しく伝えていけるように、自分自身もこれまで以上に精進し活動していきたいです、という覚悟を背負うための報告でした🔥

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