Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

藁になりたい。

くどいほど、縁についての話をすることが多いけど…それほどまでにアタシ自身がやはり縁によって生かされてるなぁと感じずにいられないからであって。

昨年、県の選抜チームに帯同させてもらった時になんとも懐かしい再会がありました。と、言っても『ん、どっかで見たことある』レベルの記憶😅どっかで会ったことあるよね?なんてナンパレベルな声は掛けてないけど、指導しているチームに弟がいました。どうりで雰囲気似てるはずだわ…と再会は勘違いか、と思ったら。

『オレ、高校の時にイシイさんに教わったことあるんですよ』と。なぁーにぃーーー😱

申し訳ないとは思ったけど、そんな記憶はなかった。ただそのチームに行ったことは鮮明に覚えてる。選手の顔を覚えていないのには理由があって(言い訳😅)。スポット的な関わり方で、夏休みにほんの2,3回。それも10年くらい前。そして男女一緒に指導していたので…雰囲気のいいチーム、選手たちだな、という記憶だけで、もはや誰一人名前も顔も記憶にありませんでした😅

そこの先生との出会いもまた、繋がりでした。

その学校とものちに違う競技で繋がり、そこで繋がったT先生とは今は学校は変わりましたが県の頂点を目指してまたご一緒させていただいてます。繋がるもんだなぁ…。

そんな、再会した彼。

非常勤講師を経て、今は公立高校で教鞭をとりながら部活動も指導しています。自身も県選抜として活躍する選手。しかも心根もいい、真面目で熱血で、きちんと人の目を見て話をしてくれる、そんな奴。そんな先生に指導してもらえる学生は何てシアワセなんだろう。…っていうのは、『こっち目線』なのかな。熱量に差があると、お互いツラい。

彼との話で出た『いずれ気づいてくれれば』。

イシイ、選手としては本当に下の下。全国なんておろか、県大会だって1,2回しか出たことない。トレーナーになってからの方が強豪と言われるチームや選手と接してます。

だからイシイがついてるチームの選手たちはイシイなんかよりずーーーっとレベル高いところで頑張ってたり、経験のある選手だったりもする。今就てるチームは全てそう。自分より歳が若かろうが学生だろうが、指導の基本は選手リスペクト、選手ファースト。
選手のためにと思って(良かれと思って、になってはいけない)自分のことは二の次、三の次。それで尽力しても選手が適当だったり中途半端だと悔しい。勿体ないなぁって思う。それは今のこの立場だから思えることで、『いずれ気づいたくれれば』なのかもしれないけど。

だから…たとえ必要とされなくても、その選手が困って、藁にもすがりたいくらい困ってる時に、せめて目に留まる藁になれたらなぁって思う。結構しんどいときもあるけど(笑)

10年以上前、某チーム。核となる選手たちが同い年でした。でね、全然必要とされてなかったんです。それでも試合には帯同するし、テーピングやW-up、クールダウン、雑用もやる。

だから選手を『知らない』わけにはいかないから毎日毎日練習には行くけど見てるだけ。何もしない。必要とされてないから😂

悔しかったけど、通い続けた。仕事だしもう意地だけだったかも(笑)

でも、数年経ってその時の選手とミニ国体でばったり会った時、かな?あの時ごめんってメールをもらいました。今になってあの時のありがたさがよくわかったって。あー、意地だったけど行ってて良かったなぁってほんとに思えた瞬間でした。情熱と想いは時間がかかっても必ず伝わると信じてます😁

もちろん指導するからには強いチームを作りたいと誰もが思う。でも学生スポーツなら、まずはしっかりその競技を学んでもっと知りたい、上手くなりたい、面白い!って思わせられるようなチームや選手を育ててほしい。彼は、そこを強く願っている人間。だから繋がれたのかな、なんて思ってます。

だから、ワタシは藁になりたい。

ん?おかしい?🤣

追加。

言われて気付きました。真意が伝わらない😂

『藁をも掴む』の藁は、役に立たないもの。

いいんです、イシイ的比喩なのです!

役に立たないであろう藁でさえも掴みたいときに、その藁にすらならなかったら…本当に悲しい。一縷の望みをかけて掴む、せめて藁に。

役に立つかどうかは掴んだ人次第かも。でも、全力で助けたいと思います。

 

Habit。

SNSで、劣等感に苛まれることが多々あるイシイです😅

今、流行なのか『○○を止めるな!』的なキャッチコピーをよく耳にする。

いろんなものが自粛や中止の傾向にある中で、やれることをやろう、という働きかけや行動を起こすことは素晴らしいことだと思う。

仕事先やチームのことを考えるとなかなか学びに出向くのも憚られるし、最近気付いたのだけど、何気に私はオンラインで学ぶということが向いていないっぽい🤣2時間くらいならまぁ、、でも一日とかになると多分、無理。。

自宅は居心地良すぎて集中出来ないタイプのようです😅なんて時代にマッチしない人間なのかしら…。

ということは。

運動も同じなんじゃないかと思うわけです。

意志の強い人、お尻に火がついてやらざるを得ない人、もともと好きな人…なんかはきっとどこででも、どれくらいでもやれる。時間がない、場所がない、ない、ない、ない。ないは言い訳。アタシだって資格の更新のためとかやらなきゃいけないことや自分が学びたいことなら2,3時間くらいはあっという間です。集中力にも持続時間がある。人それぞれだと思うけど、嫌いなものにはやっぱり長続きしない。

と、なると自分の意思で始めないと続かないし出来ない。

案ずるより産むが易し、とはいうものの。

何からどこからどうやって展開しようかなと悩む日々。

重い腰を上げて『やろう!』と一大決心をしなくともやれること、あると思うんだよなぁ…。

『僕に3分だけ時間を戴けませんか?』

の彼じゃないけど、3分も、長い。お腹空いてる時の3分って長くない?(笑)

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だからイシイは思った。

『1分でいい、イシイに預けてみない?』と。

1日24時間(1,440分)のうちの1分。

いや、それも長いっていうなら1日24時間(86,400秒)のうちの30秒でいい。

イシイに預けてほしい。チリも積もればなんとやら。イシイに預けた分だけ、素敵な習慣となっていつの間にか還るはず。

人の心は繊細だから。
何に傷付くかは人それぞれで、他人には分からないような些細なことにも傷付いたりもする。
でも同じように別の些細なことで幸せになれたりもする。ささやかなシアワセは、ささやかすぎてそれが当たり前にとられがちで見えてるのに感じてるのに気付かなくなってたりする。

毎日目が覚めて、天気がいいとか悪いとかそんなことに一喜一憂することさえもシアワセと思うか、当たり前と思うか…。
そうやって人は、近くにあるはずのシアワセすら感じなくなって見えなくなって、しまいには気付かずに通り過ぎて自分は不幸だ、ツイてない、ダメな奴だ、と思い始める。それってちょっと…いやかなり悲しい。

1/1,440分でも、30/86,400秒でも積み重ねた分だけ自信になる。遠回りにみえても必ずその"チリ"は自分だけの山になり、見える景色がいつの間にか変わるはずなんだ。

そんな、習慣をつくるきっかけになりたい。

ちいさなことの繰り返し。

その過程で"欲"が出て来たら、、最高だよね😁

 

 

進むために、振り返る。⑦

【未来予想図 編】

イシイが保持している、"誰かを指導する"という立場に立つ上での資格に、健康運動指導士というものと、介護予防運動指導員というものがあります。

これはイシイの中でも大切にしている資格です。特に自治体や企業さまと仕事をする上でのちょっとした肩書きになるのかな、と思ってます。

そもそも部活やアスリートに関わることの多いイシイですが、カルチャースクールの講師も7年くらい務めてます。過去には某企業や自治体で保健師さんや管理栄養士さんとタッグを組んで地域にお住まいの方々や健康診断の結果をもとに従業員の方々への運動教室を開催していました。そして、一般の方々にはイシイ、優しいんです。信じられないでしょうけど!(爆笑)

運動する、というのはワタシにとっては何でもないことでむしろ身体を動かす、自分を追い込む、大好きです(笑)アスリートに至ってはトレーニングは嫌いな人もいるけど、目標があるなら避けては通れない道なので、飴と鞭を駆使して思いっきり追い込みます(笑)

でも、至って普通の毎日を送られてる方々にとっての運動ってなんだろう?と考えると…リフレッシュや楽しみではあっても、苦しいツラいことはしたくないはず。やるとすれば、何か目標があるから。

痩せたい、いつまでも健康でいたい、などその目標は本当に、アスリート以上に多種多様で、人それぞれだと思うわけです。

知ってますか?

日本のフィットネスクラブに通われてる方は世界なら先進国の中でもめっちゃ低くて3%ちょい。これだけ24時間ジムが乱立して今までのフィットネスクラブも24時間営業にしたりして、パーソナルトレーナーだってありふれてるのに!!時間がない、はもう通用しません。24時間営業なんだもの。時間がないのはつくらないから。つくれないくらい忙しい方もいらっしゃると思います。でもそこって、『運動』の概念を変えればいいんじゃないかって思ってて。

正規雇用は一度もないけど、いくつかの大手ジムでスタジオインストラクターやジムトレーナー、パーソナルトレーナーを経験してきました。今はもう全てきれいさっぱり辞めて3年ほどになります。が!カルチャースクールは続けてます。サークルでのレッスンも、お願いされたら喜んでいきます。

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ただただ長生きするんじゃなくて、出来れば少しの痛いところとか不調とかなく笑顔で気持ちよく毎日過ごせて、行きたいところに自分の足で行けて、食べたいものを美味しく食べることが出来る。それで長生きしてこそシアワセだと思うんです。そういった未来のために、何かできることがあると勝手に思ってます。

運動=○○っていう固定概念を取っ払って、日常生活にいつのまにか習慣化されてったらいつのまにか調子いいぞ、みたいな。そんなお手伝いがしたい。

専門学校で講師をさせてもらっていた時、恐れ多くも『コーチング理論』なんて授業を担当していました😅

その当時、よく学生に言ってました。

1年後、3年後、5年後。

何がしたいのか、どうなりたいのか。

目標ないとあっという間に過ぎてくよ、なんて偉そうなこと言ってました。

言い訳的に言わせてもらうならば、自分が専門学生の頃はトレーナーになりたい!やらせてくれるところを探す→手紙書きまくる→…と即行動!みたいな感じだったワタシ。具体的でないにしろ、やりたいことはブレてなかったし、やれる場所を探したり、的外れなことはしてなかったと思います。無茶苦茶だけど。

でも気付いてました。

ここ最近のワタシ、自分の未来を具体的に描けないことに。これじゃダメだ、と本屋で自己啓発本の棚の前に仁王立ちして吟味して買ってきて読んでも途中で読み進められなくなる。

ペルソナを作れとか、3年後どうなっていたいか、とか。考えられないんだなぁ…。

でもそれはのちに『ゴールは意識の外にある』と教えてくださった方に出逢えたので、今はそれでいっか!と開き直ってます。
だってワタシからは選手やチームを選ばない。イシイに来て欲しい、っていうところこそがイシイのクライアント、と思ってるので。

その受け身がいけないのか?!と悩んだこともありますが、今はそれがワタシのやり方、ゴールは意識の外!見たことない景色だもん!と開き直ってます。

だから振り返ることは出来ても、未来は…なかなか描けないんです😅

それでも、今はやりたいことがあって、その輪郭が見えてきたので見切り発車…的な感覚も否めないけど、発表しちゃおうかな!自分のケツに火をつけるために🔥

イシイ、"預かり屋" 始めます!

あなたのささやかな目標を預からせてください。達成するために努力するのも習慣化するのも皆さん自身でイシイではないんです。イシイがどんなに頑張っても、めっちゃいいトレーニングを考えたとしても!やってもらえないと何の意味もないんです。だからある程度、皆さんが一人で頑張れるようになるまで、イシイにその目標や夢を預からせて欲しいんです。

勘の良い方はピンときましたよね、あずかりやさん。 

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¥100/日で何でも何日でも預かりますっていう盲目の主人が営むあずかりやさん。

¥100よりはちょっと値上げしますが(笑)

ささやかな目標や夢を達成するまで、イシイにそのやる気、預けてみませんか?

ざっくりしてるけど、絞れなかったんです。

アスリートの力にもなりたいし、一般の方の運動の固定概念を取っ払って行動変容のステージを上げたい。女性ならではの身体の悩みにも応えたい。ペルソナ、つくれないから何でも屋。何でも屋で、預かり屋!良いネーミング見つけたら改名します(笑)

 

進むために、振り返る。⑥

【縁、それはPRICELESS。編】

今でこそ、こんなにラグビーとバスケにどっぷりなイシイですが、トレーナー活動の始まりはバレーボールでした。

元々バレーボールで全日本に入るんだ!と小学校の卒業文集に豪語したくらいバレーボール好きだったので楽しかったけど…

大学の男バレ→そこに練習に来る高校男バレ→そこに練習に来る中学男バレ…と言葉は悪いですが芋づる式に次から次へとご縁を頂きJOCの県代表チームを見せていただいたこともあります。5,6年。バレーボールとフィットネスクラブ、すったもんだあって、間1年、全く関係のない職種でのバイトを経て体育館のトレーニングルームの指導員漬けの日々。さすがに違う競技も見たくなってきて、トレーニングしに来てたお客さんにぽそっと呟いたんですよね。バレーボール以外も見たいなーって。そしたら、繋がっちゃったんです。社会人バスケに(笑)

レーニングルームの常連さん→職場にバスケやってる人がいる。その人に話してみるよ→その方からあっさり監督に話がいく→試合観に来てみてよ!と。

国体予選だったと思います。

会場のロビーで初めて監督とお会いして、そのチームにお世話になることが決まります。この監督との出会いがまた、このあとイシイの人生に大きな影響を与えてくれる最重要key personになります✨

実習の時とはまた違った感覚でした(当たり前だけど)。選手は一番歳が近くて3つ年上。同期入部、にあたる選手は7コ下。選手はそのコを除いて全員歳上。あの実習の頃の選手たちと同じくらいの年齢だったんですね、今にして思えば。でも皆さん家族もいて、小さな子供もいたりして。仕事とバスケ、家庭の3足の草鞋を履いてそこそこ強いレベルで戦う姿は心を鷲掴みされました。この小さな子供たちが大きくなって、自分のパパがバスケやってる!カッコいい!ってわかる時まで支えたい!そう強く思いました。プロよりも(プロはもちろん必要なんだけど)こういったステージで戦う選手たちにこそ、トレーナーが必要なんじゃないのか?!と火がついちゃったんです、心に。

確か26歳の頃です。

未だに微力ながらサポートさせていただいてます。かれこれ12年になります。選手たちも総入れ替えに近いくらい変わって、でもあの頃の選手たちは自分の子供たちのミニバスや指導に一生懸命で。

同期入部の彼が昨シーズンでユニフォームを脱ぎました。30歳。もっともっと続けると思ってたから驚いたけど、とっても彼らしい理由で納得しました。そんな彼の引退試合。少し遅れて入部してきた一番歳が近くてトレーニング大好きな彼も、同じくその日がラストゲーム。一気に2人を見送ることになったわけですが。いつものようにベンチから少し離れたところで試合を観て。たまたま、2人が同時にコート上にいた4Q。最高のアシスト&ショットを目の前でたまたまだろうけど、2人が決めて見せた。
そのショットが決まった瞬間、涙がっ(笑)勝利の瞬間でも何でもないのに、ぼろぼろ、ぼろぼろこぼれてきて、自分でもびっくり!イシイさん、泣いてくれるくらい思ってくれてたんだったら改めて思った、と言われて恥ずかしかったなー(笑)何も知らない人から見たらびっくりされるくらいボロボロ泣いてたもので…😅

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高卒で入部してきた彼らももう立派なパパになり、三十路に突入して。。彼らの最後もいつか来るし、必ず見届けたい。社会人アスリートの引退は、本当の最後。その最後を無事に最高のカタチで飾れるように…出来ることは何でもしてあげたい。彼らの時のように、最後はきっと泣いてしまうだろうけど。

このチームに関われて本当にシアワセでした。

このチームなくして、今の主人との出逢いはありません。そして、ラグビー人生のきっかけも、このチームと関わらなければありませんでした。まさに人生のターニングポイント。

この監督さん、学生のバスケ部にも外部指導として精力的に活動されていてそこに呼んで頂いた時、ワタシの指導を見て『うちにも来てよ』と声を掛けてくださったのが、ラグビーと関わるきっかけになった監督でした。その監督とも、もう12年。もちろんバスケで出逢った監督とそのラグビーの監督は面識ないんです。本当に、たまたま。

どこでどう繋がるかわからないのが縁。

お金で買えるものではなく…どう、生きるか。当たり前ではない毎日をどれだけ必死に生きるかで縁の種類も太さも変わるのかな、なんて思います。

いちばん最初の刺激をくれた社会人チームのスローガン。

『今砌(いまみぎり)の今を精一杯に』。

愚直に、前へ。

ワタシのやり方(生き方)を後輩たちに勧める気はない。ただワタシはそうやって生きていこう、と初めから思ってた。有名になりたいとか、稼ぎたいとかそんなことどうでも良かった。綺麗事に聞こえるかもしれないけど。自分1人、生活出来ればそれでいい。寝る場所があって、最低限の生活が出来て誰かの役に立てるなら、これ以上の幸せはない…そう、思ってました。美談にする気はないけれど。

イシイだから出来るやり方があって、それで誰かの力になれるなら。こんなに嬉しいことはない。

『(目的もなく)何かいいトレーニングない?』とか『カンタンに出来る方法ない?』とか

『タダで教えてくれない?』とか。

それは正直、腹が立つ。

はたまた、選手を大事にしなかったり、チームの質が良くなかったり、ワタシの存在がチームにとってプラスにならないチームならどんなに大金積まれても、有名選手、チームだったとしても丁重にお断りする。そこは、イシイじゃなくてもいい場所。そこは、見極められる目を持っていると思ってます。

イシイは、心底困ってて勝利とか向上することに飢えてる選手の力になりたい。今も、そう思えるチームにしか携わってません。選手に対して腹が立つこともあるけれど(笑)そこは、愛情ゆえ。本気だから。

【続く】

進むために、振り返る。⑤

【チームは生き物だ 編】

一度も会ったことのない、写真でしか顔も知らないSNS繋がりのチームから熱烈なオファー。

聞けばイシイが関わった選手のマブダチとな。

色々考えたけど必死さが伝わって来たのでそれならばと承諾して、足利まで行くことになりました。それが、ヴォルツとの出会い。

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スタジアムの正面入り口で待ち合わせをして、初対面。『あ、はじめまして』(笑)後にも先にもこんなチームは初めてだと思う。

しかも聞けば今日の試合は結構因縁深い相手。何としても勝ちたい、とのこと。

初めて会う選手たちにコミュニケーション取りながらテーピングを巻き、試合中もSAをさせてもらうことに。(SA:セーフティーアシスタント。試合中に選手が倒れたり何かしたら駆けつけるアレです)選手たちの信頼もクソもない。とりあえず誰かいるっていうだけの、SA。不安だったと思う😅何やかんや、試合には勝って、トーナメントの駒を次に進めることが出来てホッとしました。なかなか濃い1日、濃い経験をプレゼントしてもらえたなと思ったけど…これがきっかけで、ここから4シーズンを共にすることになります(笑)ホント人生ってわからない。

スポットで行ったシーズンは3試合。

最後の試合の日はたった3試合しかいなかったのに心を鷲掴みにされて負けた試合を選手と共に悔しがり涙が出たくらい。そしてまた来シーズンも!との声を頂きまたまた感激。

ヴォルツにとっても、この年がターニングポイントだった気がします。

翌シーズンはヴォルツがアマチュア最高峰、東日本TCL Div.2に参戦することが決まります。

今までよりも格上の相手との試合は、勝つことの難しさ、強いチーム、強くなるための個々のレベルアップというものを目の当たりにしたシーズンだったと思う。初勝利は泣けたなぁ、、

ヴォルツはアマチュアの社会人クラブチーム。当然選手たちはみんな仕事も住む地域もバラバラで、週に一度の数少ない練習で試合に臨んでいました。レベルの高いリーグに所属する=強くなるわけではなく、それぞれが意識と責任を持って臨まないと勝つこともチームを良くすることもなかなか難しい。それは、例え"いい選手"が集まったとしても"よっぽどいい選手"が集まらないと勝つことは難しい。選手の意識を根底から強いものにしていく。アマチュアだから適当にプレーしていいわけじゃない。そんなことを当初から口にして来た選手がいた。このレベルで、こんなにも意識の高い選手がいるんだと驚いた。

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そしてクラブチームだからこそ?プロの世界でももしかしたらあるのかな?意識って、、本当に人それぞれ。どこに目標を置くのか?その目標を口にするならば何をするべきなのか?そのために何を変える?どうする?ここが全員、同じ熱量で同じ方向を向くっていうのがどれほど難しく、、でもそれだけに完全に、とはいかなくてもだいたいが同じ方向を向いた時の一体感は何とも言えないものがある。

学生スポーツよりも、難しいかもしれない。

守るものや大事にするものがそれぞれに確立しているからこそ、その選手の魅力なんだけど…チームのことを優先的に考えられないとその魅力ゆえ、なかなか歯痒い想いをしたりするのだ。人一倍、熱量と想いのある"彼"がね。

でも諦めずにチームを強くしたい、日本一のアマチュアクラブをつくりたい、と何を差し置いてもチームのことを最優先にして来た彼もすごい。(もちろん、そんな彼を支えて来た理解ある家族も素晴らしい)

今はもうイシイはチームを離れましたが。

チームはリーグ昇格初年度から毎年、それはまるで生き物の成長過程を見るかのように山あり谷ありな出来事を乗り越えて進化を遂げ、今年1月にはクラブを法人化。外国籍の選手の加入などもありますます楽しみなチームになった。

covid-19がなければ、ね。

でもそんな逆境も逆手に取り、きっとまた胸が熱くなる試合を魅せてくれるに違いない。

本当に、心根のいい漢気のある選手のたくさんいるいいチームなので🔥

大学、高校のラグビー部8校、成年、社会人は3つ。どこのチームにもドラマがあっていいチームでした。今週末から花園予選も始まります!今のチームに全てを懸けてサポートします!

スポーツの種目で言えば、ラグビーとバスケの2つだけが、もう10年以上関わってます。ラグビーに関わるきっかけになったのは、まさかのバスケから。その話は次回に。

本当に、ご縁に感謝です。

【続く】

 

進むために、振り返る。④

20歳で専門学校を卒業してから18年。

たった18年だけど、めちゃくちゃ濃縮な人生でした。ざっと数えても社会人チーム7つ、大学〜中学の運動部21、選抜チーム3、プロチーム1つ…とスポットも合わせると相当な数。改めて数えると多いな(笑)

そもそもトレーナーだけで食べていけると思っていなかったので(これは働き方ややり方次第なのかもしれませんがイシイ流ということで突っ込まないでください)収入が確保出来る仕事としてフィットネスインストラクターや、体育館のトレーニングルームの指導員なんかもしてました。トレーナー活動を第一に考えていたため、苦労した点も多々、多々…。ジムのシフトに代行を立てすぎて『どっちの仕事が大事なの?』と言われてしまったり、トレーナー続けてながらうちで仕事しない?と声をかけて頂き…二度あることは三度ある…?うん、それくらい掌ひっくり返されて職を失ったこともありました(笑)今となってはいい思い出ですが、当時は完全に鬱ってました(笑)それも、思い出。

出逢ったたくさんのチームで、それはそれは貴重な経験をたくさんさせてもらった。

春高バレーまであと一歩のところまで勝ち上がったり、日本を代表するような選手と戦う姿を目の前で見たり。勝つことの難しさ、一流が試合に臨む前の顔、ルーティン、日々の考え方…本当に色々な経験をさせてもらいました。年代も種目もさまざまなチーム、選手たちにトレーニングを指導して来ました。その時々で勝つことよりも大事なこともありました。『何のために』やるのか。偶然の勝ちよりも、確かな過程の方が心に残るもの。

チームは生き物だ、というのもこういった活動の中で感じたもの。

それを特に感じさせてくれたのは日本一のアマチュアクラブを目指す宇都宮ヴォルツ。

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国体の成年15人制のトレーナーをさせてもらったことで繋がった縁でした。

一度も会ったことのないヴォルツの選手からSNSでメッセージ。試合に来てくれるトレーナーがいない、来てもらえないかということ。面食らいました(笑)テーピングを巻く、というの一種の信頼関係のなせる技だと思っているのでスポットで行って…というのはあまり気が進まない😅トレーナーをしていた成年15人制の選手の中に同級生がいて、SNSでイシイの投稿にもコメントをくれたりしていたので藁にもすがる思いでイシイに連絡をくれたそう(後日談)。

そんな些細なことから、縁は繋がっていきます。

【続く】

 

進むために、振り返る。③

【番外編・就職活動】

2年間の専門学校生活はあっという間に終わりました。

1年生の時の国体での経験で『絶対トレーナーになる!!』と決めたイシイは

2年生の5月ごろに一度だけ就職試験を受けます。それも一般企業の。

トレーナーになる!と決めたもののじゃあどうやって、どこでトレーナーになろう?と考えた。その時すでにフィットネスクラブという考えは全くなく。今よりもパーソナルトレーナーなんて言葉は出回ってなかったので、フィットネスクラブの仕事をしながらトレーナーをする、というのはどちらも中途半端になると考えていたから。

一般企業…かなり大手です。言ってしまいましょう(笑)

JRです。

当時プロ野球選手を輩出するぐらいの強豪社会人チーム。

一社員として入社してスタッフとして(マネでも何でも‼)と思っていたのを担任に話したんでしょうね、きっと…担任の先生が受験要項を持ってきてくれたんです。当時は…多分、今みたいなエントリー?とかなかったと思うんですよ。やったことないし。どうやって応募したのかもよく覚えてないけど、仙台支社に一次の筆記試験、受けに行きました。クレペリン検査?あれが大変だった…。頭から湯気出そうになりながら解いたのを覚えてます(笑)元進学校の意地、一次をパスして二次の集団面接へコマを進めます。6人?くらいだったかなぁ…大学、公務員ビジネス系専門学校の方々だったと思う。イシイ、かなり異色なスポーツ系専門学校。その異色を裏切らない発言をします。

『ウチを希望した理由を教えてください』

『御社の野球部のトレーナーになって都市対抗野球で全国優勝したいです!』

面接官のみならず、受験者の皆さまからも視線を集めたことは言うまでもない…。

面接官は確か2名?だったかな。お一人は冷ややかでしたが、もう一人はご自分の場所に野球部の選手がいたらしく、笑顔でお話しくださいましたが。結果、ここで終了。いやいや通過した方がびびる。

そんなこんながあって、もう就職試験は諦めたイシイが次に取った行動は。

調べられる限りの全国の社会人スポーツチームに手紙を書きまくりました。メールじゃなくて…手紙、ね(笑)ジャンル問わず、もう出せるところ(HPとか情報があるチーム)に100通近く書きました。いちばん遠くで岡山だったかな。もう、どこでもよかった。トレーナーとしてチームに就かせてもらえる(もしくは勉強させてもらえる)ならどこでも良かった。

そんなイシイに2つのチームから返事が来るという奇跡。2つとも当時の2部のトップチームの男子バレーボールチーム。神奈川と愛知でした。2つとも会社に就職を斡旋することは出来ないがチームとしては大歓迎だと。住むところと仕事を見つけて来てくれるなら、とのこと。神奈川の方は練習も観に行きました。もう、神奈川に行く気満々でした。

ところが。

実習先でお世話になった監督さんからひょんなことからご連絡をいただき、卒業後の進路について尋ねられ。経緯を話して神奈川に行こうと思うと伝えたところ、そんなリスク(住むところも仕事も、そして見知らぬ土地)を背負って挑戦しなくても、こっちで(宮城)で紹介するよ、と言っていただけたのです!もう寝耳に水。

某企業チームと、大学の男子部をご紹介頂き…色々なしがらみもあり、一人で決められず。今も師と仰ぐ恩師に正直に昨年の国体後からここに至るまで全てを話して…大学の男子部を紹介してもらうことに。

あの時企業を選んでいたら、なんてタラレバは考えたことはありません。確かに、今とは全く違う人生を送っていたかもしれない…そう考えると、人生は選択の連続で大きな決断だったり、苦しい決断を迫られることも多々あるけれど、、しっかり考えて選択しないとな、と思う。ただ、選んだ方が正しかったかどうかなんてことはその後の自分の努力次第だと思う。こっちを選んで良かった!と思える人生にしたい。あの時。大学を選んでいたから繋がって繋がって、今がある。いい経験させてもらったんです、このチームでも。約5年間携わらせて頂いて、2年ほど前からまた少しお手伝いをする機会をもらってます。

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人と人との繋がり、ご縁。

値段なんてつけられないしどこにも売ってない。思えばずっと、人と人との繋がりで色んなチームに関わることが出来ました。フリーランスとしてひとりだけど、ひとりの力じゃない。そのことは自分がよくわかっています。

今度は後輩たちのためにそんなご縁を繋ぐことが出来たら、ある意味恩返しになるのかな…なんて思ってます。

【続く】