Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

進むために、振り返る。④

20歳で専門学校を卒業してから18年。

たった18年だけど、めちゃくちゃ濃縮な人生でした。ざっと数えても社会人チーム7つ、大学〜中学の運動部21、選抜チーム3、プロチーム1つ…とスポットも合わせると相当な数。改めて数えると多いな(笑)

そもそもトレーナーだけで食べていけると思っていなかったので(これは働き方ややり方次第なのかもしれませんがイシイ流ということで突っ込まないでください)収入が確保出来る仕事としてフィットネスインストラクターや、体育館のトレーニングルームの指導員なんかもしてました。トレーナー活動を第一に考えていたため、苦労した点も多々、多々…。ジムのシフトに代行を立てすぎて『どっちの仕事が大事なの?』と言われてしまったり、トレーナー続けてながらうちで仕事しない?と声をかけて頂き…二度あることは三度ある…?うん、それくらい掌ひっくり返されて職を失ったこともありました(笑)今となってはいい思い出ですが、当時は完全に鬱ってました(笑)それも、思い出。

出逢ったたくさんのチームで、それはそれは貴重な経験をたくさんさせてもらった。

春高バレーまであと一歩のところまで勝ち上がったり、日本を代表するような選手と戦う姿を目の前で見たり。勝つことの難しさ、一流が試合に臨む前の顔、ルーティン、日々の考え方…本当に色々な経験をさせてもらいました。年代も種目もさまざまなチーム、選手たちにトレーニングを指導して来ました。その時々で勝つことよりも大事なこともありました。『何のために』やるのか。偶然の勝ちよりも、確かな過程の方が心に残るもの。

チームは生き物だ、というのもこういった活動の中で感じたもの。

それを特に感じさせてくれたのは日本一のアマチュアクラブを目指す宇都宮ヴォルツ。

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国体の成年15人制のトレーナーをさせてもらったことで繋がった縁でした。

一度も会ったことのないヴォルツの選手からSNSでメッセージ。試合に来てくれるトレーナーがいない、来てもらえないかということ。面食らいました(笑)テーピングを巻く、というの一種の信頼関係のなせる技だと思っているのでスポットで行って…というのはあまり気が進まない😅トレーナーをしていた成年15人制の選手の中に同級生がいて、SNSでイシイの投稿にもコメントをくれたりしていたので藁にもすがる思いでイシイに連絡をくれたそう(後日談)。

そんな些細なことから、縁は繋がっていきます。

【続く】