Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

やり甲斐と生き甲斐。

元アスリートで現フリーター。私としてはウマが合うタイプなのでマメに連絡を取り合う彼女から『どんな仕事が向いてると思いますか?』と聞かれました。

 

彼女は元企業アスリート。

普段は仕事をしながら、他の社員たちよりもちょっと早くあがって練習をする。

現役の頃と引退してからでは配属が変わったりする企業もあるようだけど、ここは引退後も変わらなかったよう。彼女は社に残り、社業に専念し普通の会社員生活を送っていた。

 

それが、急に退職して地元へ戻ったと思ったらそれも束の間、その後すぐに全く縁もゆかりもない土地に(そこそこそこに行く理由はあったらしいけど)住んでアルバイトをしながら生活している。それも今までとは全く畑違いの仕事をしている。学生時代もアルバイトなんてする暇もなかったであろう彼女はそんな生活も楽しんでるのかな、と思っていたけど。いろいろ思うこともありそんなに遠くない未来に地元へ帰ろうかな、とも言っていた(笑)。

 

さて、彼女の質問。

『ゆーこさん(←イシイの下の名前)から見て私ってどんな職業が向いてると思いますか?笑』

 

彼女が前の職場を選んだのは、その職種や仕事内容というよりも、きっとその競技を続けるということ、そこそこのトップレベルのチームであるということ…という魅力が勝ったと思う。仕事の内容とかよりも、競技が優先だったよね?きっと。と聞いたら案の定、そーです、と。彼女だけじゃない。引退後だけでなく、現役中でも"仕事にやりがいが感じられない"と選手がこぼすのを耳にしたことがある。

 

 

そこに就職したくて準備してきて内定を勝ち取った人と、競技が続けたくてそこを選んだ人と。当然のことながら仕事に対するモチベーションも価値観も違う。現役中に仕事にもやりがいを見出せたとしたら、それはとても幸せなことだと思うし、引退した後も違う目標を持って働き続けられると思う。

 

現役時代の恩返し、とそこで最後まで勤め上げるのも転職するのも、どちらもその人が決めたことであれば尊重する。

 

ただ、もし転職するのであれば。

仕事の選びかたを考えた方がいいと思う。

"仕事そのもの"にやりがいを見出すか、やりがいはそこそこ、生きていくための補償や何かを最優先に選ぶか。そこが大事なんじゃないかなぁ、と。

仕事、ストレスになる時もあるじゃん(笑)

ワタシみたいに好きなことを仕事にしたって、ストレスを感じることはもちろんある。好きだからこそ、割り切れなくて苦しくてしんどい時もある。

 

だから仕事の位置づけをどうするか。

そこでまずは選んだほうがいいんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

偉そうなことは言えないけれど。

これからは競技のない企業生活。

本当に心からやってみたい!と思う仕事に巡り会えればそれはそれで素敵なこと。それならきっとどんなことがあっても頑張れると思う。

真面目な彼女だからどこに就職してもきちんと勤め上げると思う。だからこそ、これからの人生で何を大切にするかをいちばんに考えて選んでほしい…としか、言えなかった。とは言え、ね。お金も補償もそこそこなければプライベートも充実しないし、仕事に対するモチベーションだって上がらないだろう。

 

 

仕事を選ぶって、簡単じゃないよね。

ワタシは割と早い段階で"好きなこと"を仕事に選んで突っ走ってきた。

 

生き甲斐とやり甲斐は微妙に違う。

生き甲斐は自分本位の感じ方であって、自分自身が生きている意味や価値を実感できる場所。

やり甲斐は人や社会などの周囲からの評価を得ることで、自分の存在価値を実感できるの場所。生き甲斐とやり甲斐は微妙に違うけど、隣り合わせな部分もあると思う。

やり甲斐の延長線上にある生き甲斐も、ある。自分がやりたいことでやり甲斐を感じることが出来たら、それは生き甲斐に繋がる。

 

話しが少し逸れたかもしれないけれど。

とどのつまり、仕事を選ぶって簡単じゃないなってこと(笑)

ワタシはやり甲斐よりも生き甲斐を優先させて選んだから今がある。ワタシにしか出来ない仕事なんてない。"誰にも出来ること"だからこそ、やり甲斐や生き甲斐をそこに感じたい。ワタシにとってそれが自分の社会的存在価値や意義に等しいから。

 

そんな生き方に、うーーーん、リスクは大きいかもなぁと今更ながらに感じる。

だから彼女には悩まず、でも考えて。向いてるとか向いてないよりは仕事に何を求めるかを明確にして次の仕事を選んで欲しいなぁと思うのです。

 

どっち?

自分はツイてるかツイてないか。どっち?

(某ドラマチックにw)

 

今回、ツイてる!と思ったら次の瞬間ツイてねーーーっ!と思ったり。そんなことの連続だった半年振りのセミナー講師。

 

f:id:physical141yuko:20220226164404j:image

 

のっけから久々に下ろしたブーツの底が剥がれるというアクシデント。

最近読んだおかえり効果もあり…20年振りにふらっと行きたいと思ってた場所もあったし、会いたい人もいた、愛しの北海道。とは言え、やはりアレと悪天候に憚られ、会いたい人も行きたい場所も最低限にした、せざるを得なかった。

 

そして新函館北斗駅で新幹線降りた途端にこれ以上先へは進めないと分かった時の絶望感。

猛吹雪、見知らぬ土地、頼れる人もいないし、相変わらず今回手配した旅行会社とはウマが合わない。ここまで来て、ツイてないなぁ…と思ったけど、その日はまだ函館まで行けたし宿もあったし、何ならJRじゃなかったら北海道へは辿り着けなかった。結果、何とか任務遂行出来る可能性はまだ残されてる…ってことは、十分、ツイてるじゃないか!

 

ホテルに着いて、夕方からオンラインで打ち合わせ。画面越しでも顔が見れると安心した。

もともと前日入りの予定をしていたものの、思った以上に被害の大きかった雪害により公共交通機関が麻痺状態。明日もJRは運休、ということで翌日の高速バスの始発で札幌入り、セミナーには午後から、ということに。

 

が!!!

何と翌日、高速バスも終日運休に😱😱😱

 

f:id:physical141yuko:20220226170820j:image

 

こっちはこんなに晴れてるのに。

北海道はでっかいどう…、、。なんて本気で思った。4日間のセミナーは急遽予定を変更してオンラインで座学を前半2日間で行うことに。あーあ、何しに来たんだろ…と情けなくなり。

こんなんなら、北海道にすら来れなかった方が良かった…と思ったりしたものの、ここにいれば、公共交通機関が動けばアタシは現地に行ける!諦めるな!と思い直し、マンボウで閑散とした街を壊れたブーツで散策。

 

f:id:physical141yuko:20220226171627j:image

 

マンボウのため臨時休館で上ることは出来なかったけど…上から見たかったな、五稜郭

ラッピも海鮮も行かず、ひたすら3食コンビニでホテルに缶詰。3日目の朝。高速バス運休の連絡がない!勇んでホテルをチェックアウトしてバス乗り場へ。定刻より早く来たバスに乗り込みいよいよ…と思ったのも束の間。高速道路が通行止め、迂回路も見つけられない…とまさかの発車せず降ろされる😱😱😱まだ、早朝7:30。え、、どうしよう。バスセンターのカウンターで手続きを促され、列に並んで、頭は真っ白。どうしよう。今日、行かなかったら何も出来ない。え、またあの旅行会社に電話しなきゃいけないの?それもやだ。なんならそれがいちばんストレス。最悪なシナリオしか浮かばなかった(笑)

 

バスは夕方18:18に運行予定とのこと。

それなら今日中に行ける!!とチケットを振替、急いでついさっきチェックアウトしたばかりのホテルへとんぼ返り。たった今チェックアウトした部屋で構わないから利用させてもらえないか、と懇願したところ、デイユース利用があるとのことでそれを手続き。バスに乗るまでの間の居場所を確保😭😭ツイてるっしょ。ホテルとバス乗り場、目と鼻の先だったのもツイてた。これで18:18のバスさえ動けば、アタシはツイてる。

 

f:id:physical141yuko:20220226172923j:image

 

函館に着いて約52時間が経過して、ようやく。

札幌行きのバスが出た。しかも高速道路も全面復旧。札幌まで高速でいける!!

もう、札幌に辿り着けるなら何時になっても良かった。さすがに高速バス6時間は堪えたけど日付が変わる直前に何とか札幌に到着。

札幌、異次元でした😦

 

f:id:physical141yuko:20220226173550j:image

 

地下鉄の最終でホテルの最寄りまで…と思ったものの。最早駅がどこかもわからず時間もない。諦めてホテルまで2km弱、このカオスな雪道をあのでかいリュックと壊れたブーツで徒歩で向かうという所業。もはや、修行。でも何より辿り着けた安堵の方が勝ってた。日付、変わってるけど!もう数時間後には怒涛の丸一日実技のセミナーが始まるけど!このために来たんだよ!やっと始まるよ!とカオスな雪道を歩きながらマジで泣きそうでした(笑)

 

f:id:physical141yuko:20220226174432j:image

 

5泊予定だったホテル。こういう状況ですからと二度の当日キャンセルの連絡にも神対応でし本当に感謝😭😭😭

 

ようやく、幕を開けたワタシの使命(笑)

受講生と初対面、そして何よりいい学生ばかり!2年振りの木賀さんにもいい刺激をもらい、忙しいのにわざわざ来てくれたあべちゃんにも感謝😭😭😭

 

f:id:physical141yuko:20220226174735j:image

 

一生懸命な学生だったのでこちらもフィードバックにヒートアップ🔥🔥出逢えて良かった。無事に全日程終了、全員合格!!

みんな、お疲れさま!&ありがとう!

 

f:id:physical141yuko:20220226175218j:image

 

木賀さんの視点、考え、伝えかた。

いい刺激をもらいました。

 

f:id:physical141yuko:20220226180744j:image

 

お互い、熱量だけで生きてきたタイプ(笑)理解してもらえる、共感出来るって嬉しいな、と心の底から感じた。木賀さんと初めて会ったのは10年以上前。今回が2年振り3回目の顔合わせ(笑)ご縁があったんだな。あべちゃんとも、4,5年振り2回目!の顔合わせ🤣本当に合う人って、そんなにしょっちゅう会える人じゃないことの方が多いのかも。

 

 

帰りの手配にも例の旅行会社とすったもんだありましたが😅人のフリ見て。いい勉強させていただいたと思うことにしよう。

 

ずっと運休だったJR。

何と当初の予定よりは6時間ほど後ろにはなったけど復旧🙌🏼🙌🏼

夜通し復旧作業に尽力された方々に本当に感謝しかないです😭😭😭

 

そんなこんなで、なんやかんや無事に終わったので御礼参りを、と駅までの途中にある、恐らく昔よくお参りに来ていたと思われる、神社へ。微かな記憶を辿ってもここだったのかはわからず😅途中、このカオスな雪道で転倒して立てなくなってるおじいちゃんを通りすがりの男性と助け起こしたりして。

 

f:id:physical141yuko:20220226180200j:image

 

御神籤は大吉でした。

ありがとう北海道。やっぱり好きだよ北海道。

 

f:id:physical141yuko:20220226180249j:image

 

久々に見たテレビ塔

 

f:id:physical141yuko:20220226180339j:image

 

森彦珈琲と


f:id:physical141yuko:20220226180336j:image

 

やっぱりラーメン!

どちらのお店もスッカスカに空いてた…雪とアイツと。。ちょっとだけ、罪悪感少なめで札幌満喫しました。

 

 

帰路。

札幌を出て、まもなく6時間。

高速バスだったら函館〜札幌だよ!!盛岡まで来ました。もうすぐ、一週間振りの我が家。

 

 

ツイてる?ツイてない?どっち?

うん、きっと、いや絶対、ツイてたよ。

全ての経験に感謝🙌🏼🙌🏼

 

とりあえず肩と背中とハムがバキバキです😂

 

追記。

行きたかったのは、懐かしの小学校と昔住んでた辺り。会いたかった人は、もう2人ほど。

 

こんな状況でも行けたんだもの、きっとワタシは北海道に縁がある。またの機会ということで楽しみは取っておこう。

 

 

 

欲しいもの。

 

仕事における"やりがい"って、何だろう。

もちろん、仕事そのものにやりがいを求めていない人も居ると思うし、そもそも"やりがい"なんて考えたこともないという人もいるかもしれない。

 

 

1日の1/3が働く時間と考えると、やりがいを感じて楽しく働けるのに越したことはない。けれど某大手企業が行った調査では6割以上が『食べていくために働いている』と回答しているとのこと。やりがい云々よりも生活の安定を第一に仕事を選んでいるというのがやっぱ現実なのかな…。やりがいを持って働いている人の方が少ないのかなとは薄々感じてはいたけれど。そりゃそーだよね、どんなにキレイゴト言ってもお金がな買ったら生きていけないもんね。

 

 

就職活動をしたことがない、唯一受けたことかあった企業もその企業というよりそこの運動部に興味があった。入社出来ていたとしても業務そのものに魅力をもっていたわけではなく、私の興味はそこの某運動部にのみ注がれていた。

今や少なくなってしまったけれど、実業団で日中は仕事をして、夜間や休日に練習をして、なんなら平日もトレーニングをしたり…という企業アスリートの中には入社したての頃や競技人生に幕を下ろして社業専念した時に初めて"仕事におけるやりがい"の壁にぶつかる人も多いのではないかと思う。

 

 

きちんと(というのは語弊があるが)その企業に興味を持って入社、勤務している人はそこでの目標がある。業績をあげたいとか、偉くなりたいとか。。それが企業アスリートになると応援してくれる職場の仲間のために勝ちたい!とか自分達が勝ったりいい活躍することで会社の知名度があがったり、職場の仲間から称賛してもらえたり…それが仕事を頑張るエネルギーになるわけで。"やりがい"はそれぞれ違う。

 

 

私の場合は、完全に仕事にやりがいを求めるタイプ。だって好きなことやりたいことを仕事に選んだから。なのでオフ期間にする"派遣のお仕事"に求めるやりがいは労働と賃金のバランス。中身云々ではない(笑)それをメインの仕事に出来るかと言ったら、たぶん無理。

 

 

『自分はこういう仕事がしたい』って強い信念は時に自分をがんじがらめにすることがあるんだなぁって最近よく感じる。

"がんじがらめ"はちょっと絡まってもぞもぞしてる感じかなと思っていたけど、"呪縛だね"っていう言われたことがあって。自分では感じてなかったけど…そっか、そうも見えるのか、と。呪縛は根が深そうだなぁ。かけてるのは自分自身に他ならないんだろうけど…そっか、呪縛か(笑)

 

 

仕事そのものに"やりがい"を求める時は、自分の評価を上げることよりもチームや選手のために、目の前の人のために。自分の評価はどうでもいい(チームや選手の評価と反比例してもそれは問題だけどw)。

 

欲しいのは、"信頼"なんだ。

この仕事を一生モノにしたいと思った時から大切にしているのは"人から信頼されること"。

私は無所属、現(笑)だから。

信頼してもらいたい相手は、クライアント(チーム、選手、顧客)。フリーランスはいわば、自分自身がブランドであり自分の行動や実績が信頼に結びつくことは言わずもがな。

フリーランスは何の後ろ盾もない。だからこそ柵もない。自由なようで、自由だけど常に責任と覚悟はついてまわる。仕事は、自分が積み上げてきた"信頼"のうえに成り立つモノと思っている。

 

 

欲しいものは、"信頼"。

その上で評価に見合った"報酬"も欲しい。

 

 

さて。

What can i do?

 

強くなりたい。

 

アタシは、弱い。

強いフリして、弱い。

 

『え?知ってるよ?Σ(゚д゚;)』

なんて何人からかは言われそうだけど、当の本人はそんなにバレてないと思ってる。

 

自分のことを『弱い』と認識したのはいつだろう。ハタチそこそこで鬱になった時だろうか?

それから何度かそんなことを経験したけれど、一度も病院のお世話にはなっていないから"なんちゃって鬱"だったんだろう。本当に苦しんでる人からしたら一緒にするなと言われそうだ。

でもそうやって何度も繰り返すから、自分は弱い人間だとどこかで自負もしていて、弱くて醜い自分と対峙することも目を背けないようにしている。自分の弱さや醜さを受け止める作業は決して気持ちのいいものではない。いつになったらこんな作業をしなくていい人間になれるんだろう…と思う反面、無くさなくても、良いのかな、なんて最近はちょっと思たりして。それもひっくるめてワタシなんだ。人間くさくて良いじゃん、と言ってくれた人もいた。弱さに溺れなければ、いい。弱さもなければ強さはわからない。ずっと、弱い自分を受け止めてきたから『強くなりたい』と常々思っていたのかもしれない。

 

 

強くなりたくて、単純なワタシは空道の基礎稽古に通った。本当は空手の形をしたかったんだけど、たまたま知り合った方が空道の師範だったので、組手や試合や昇段試験云々は置いといて、基礎稽古だけ、通わせてもらった。当時、スタジオインストラクターもしていたワタシはちょうど格闘技系のエクササイズを担当していたのでカッコいい見本を魅せたい!ちゃんと学びたい!という想いもあった。

 

そこには女性ファイターが一人いて、彼女の打撃をミットで受けることもあった。ミット越しでもかなりの衝撃と痛さ、自分の突きや蹴りもまた同じくらいの衝撃と痛さを感じて、どちらも痛いんだと初めてその時に思い知った。

痛みを知っているからこそ強く優しくなれるのかもと単純なワタシはその時感じたの覚えてる。

 

 

強く、なりたい。

誰にでも優しく、己に厳しく。

どんな時も前を向いて歯を食いしばって、自分の足で一歩ずつでも歩みを止めない強さが欲しい。

 

"こうあるべき"というワタシにかかっている呪縛は、なかなか解けない。自分が解こうと思わなければ解けないことも重々。でもコイツがなかなか手強いのです。

 

死ぬまでに、解けるかしら。

 

無所属(現)。

自分の立ち位置は、言い換えたらこういうことなのかなとふと思った。

政治に関わる方々はどこにも属さずに選挙に立候補したり、議会に存在していると"無所属"という分け方をされる。

ワタシもかれこれ20年近くフリーランスとしていろんな仕事してるけど、まったくの無所属だった時期もあれば、いわゆる議席を多く持つような党(会社)に所属しながら活動していた時期もある。数年前からは完全に無所属(なんなら加えて無派閥)で現役(現職)のようなもんである。

無所属は面倒な柵もない代わりに、入ってくる情報も関わる人も自分から動かないとなかなか欲しいものは手に入らない。どこかに属していれば自分一人では到底出会わないような類の情報や研修、セミナーに出会えたりして、たとえ面倒だなぁなんて思ったとしても場合によっては受講料を負担してもらえたりしながら自分の武器が増えるわけで。その積み重ねの差はボディーブローのように後々効いて来るような気がする。

良くも悪くもそんな働き方を20年近く続けて来て数年前に完全に組織を抜けて完全無所属ともなると、誰かに叱られるようなことはだんだんなくなる。もちろん叱られたいわけではないけれど、諸々、不安になることもある。♪い〜いこ〜とばぁ〜かりぃじゃなぁいか〜らさぁ〜なんて、ホントそうなんだけど。いい時もあれば、何が原因かもわからないのにひたすら浮上出来ないこともある。占いに手を出してみたり、自己啓発本を読み漁ってみたり…そんなことも多々してきたけれど。

***

 

『気持ちの根っこの周辺の表現の仕方は変わっていても、根っこは変えないのが大事だと思いますよ。今は平気で自分に利があるように、都合がいいように根っこを変える人が多いから』

『根っこがちゃんとしていればいいんですよね』

『そうです。そこさえチャンとしていれば、枯れることはないと思いますよ』

 

自分で決めた仕事の根本の部分は変えたくないし、変える気もないのだけれど、自信満々ではないから、つい不安になる。自分はそんなに能力がある人間なのだろうか。傲慢なのではないだろうか。勘違いをしているのではないだろうか。若い頃や会社に勤めていれば上司や同僚が注意してくれるけれど、ある年齢以上から上になってしまうと、誰かに注意されることがとても少なくなる。

 

群ようこ著『福も来た』よりー

 

***

 

毎日、目の前の仕事を真面目にやっていればいいんだよね。主人公のアキコの気持ちが痛いほどわかる。そう、そうやって言い聞かせて地道にやるだけ。無所属 現職にはそれしかないのです。この作品は、まさに今のワタシにぴったり。神様の思し召しかしら。

f:id:physical141yuko:20220120151951j:image

 

自己満、バンザイ。

アフェアネス・リボンという言葉をご存知だろうか。Wikipediaにも掲載されているので是非ググって見てほしい。

アウェアネス・リボン(Awareness ribbon)とは、輪状に折った短い一片のリボン、もしくはそれを描いた絵などで、アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリス、その他世界各地で、着用者(使用者)が社会運動、もしくは社会問題に対して、さりげない支援や賛同の声明を出す方法として使用されている。(Wikipediaより抜粋)

メジャーどころは(個人的に)ピンクリボンや、ブルーリボンなんかは聞いたことがある方も多いのではないかと思う。でも実際はピンクやブルー以外にもオレンジ、ホワイト、レッド…など多岐にわたり、さまざまな色の活動があるのは知らなかった。

何故そんなことを調べたかというとSNSでホワイトリボン活動を目にしたから。

f:id:physical141yuko:20220115112723j:image

https://white-ribbon.org

実は乳がん啓発運動指導士の認定を持っているワタシ。ピンクリボン活動にはチャリティーTシャツを買ったことがあるくらい。何か周りに還元していけたらなぁと思うものの、何も出来ずにいるのだけど💦

3月8日は国際女性デー。

女性の権利と政治的、経済的分野への参加を盛り立てていくために、1975年に制定されたものだそう。男女平等、ジェンダー平等。今はSDGsで2030年までに達成すべき人類共通の最重要な17の目標の5番めに位置付けられていて、日本でも"女性の生き方を考える日"として『国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA』を全国で展開し、男女共にジェンダー平等について考え、アクションする日として、『国際女性デー』を日本でも社会的ムーブメントとすべく、2025年までに47都道府県での開催を目標に全国拡大していくんだとか。

権利を主張していくことは、いいことだとは思うけれど。過度になりすぎるのも…いかがなものかとは思う😅性差はどうしたって、ある。こういう言い方は好ましくないかもしれないけれど、見かけの性別、中身の性別とどちらもその人であって、まずはその人そのものを尊重出来ればいいんだよね。それをどうしても性差で差別しがちなところかあるのはいた仕方ない。そうやって、何百年と人類は歩んできたから。

何か話が難しい方へ逸れたので時を戻そう♪w

一方で、この『アウェアネス・リボン』の増加は、努力も時間もお金もかけず"見せかけの支援"を人々に許すスラックティビズムの形であるとして批判もされてるんだとか😅何をしても、万人が賛同することってないのかねぇ。誠に寂しく思う。

努力も時間もお金(わずかな金額であれ)も、価値観であって、その活動を知るだけでもまずは支援だと思うし、ちょっとした自己満足で誰かの役に立てることがあるならみんなハッピーじゃないか!とワタシは思う。

自分がちょっとした参加料を払い、Tシャツを着て走って写真をアップする。それだけのことで自分以外の人の役に立てるなんてwin-winじゃないか!と。たった、それだけの気持ちでワタシは全国どこでもバーチャルランニングでエントリーした。ご一緒に、いかがですか?

 

真実と事実。

生きにくい世の中になったもんだ、と齢(よわい)シジュウを前にした若造なりに、生意気なのは重々承知で思う。

『真実は一つじゃない。真実は人の数だけ存在する。だけど事実は一つだ』的なセリフが某ドラマであった。某アニメでは真実はいつもひとつ!と決め台詞があるけれど(笑)

調べてみると"事実は「実際にあった」と多くの人が認められる事柄、客観的に認められる事柄のことであり、真実とは人それぞれが考える本当のこと(事実)で、客観的なものではなく主観的なものである"とある。

何が言いたいのかというと(笑)

これまたドラマの話で恐縮ですが。

f:id:physical141yuko:20220111095150j:image

昨日から始まりました。

(公式HPはNHKサイト内のこちら▷https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/)

聞き慣れない、アロマンティック、アセクシュアルという言葉が物語の軸になる。

アロマンティックとアセクシュアルは、それぞれ「ロマンティック(romantic)」、「セクシュアル(sexual)」に否定を表す「ア(a)」を足した言葉だそう。

「シンメトリー(symmetry)=左右対称」と「アシンメトリー(asymmetry)=左右非対称」と同じような言葉のつくり、と言われればわかりやすい。 因みにセクシュアルに何か別の言葉を足した用語はアセクシュアルだけでなく、「ヘテロセクシュアル異性愛)」、「ホモセクシュアル(同性愛)、「バイセクシュアル(両性愛)」など他にもたくさんある。確かに!このことについて詳しく話したいわけではないので興味のある方は先程の公式サイトのスタッフBlogをご覧ください。

閑話休題

多様性という言葉がよく聞かれるようになった。所謂、"みんな違ってみんないい"ってやつだと思う。お互いにああそうなんだね、と認めて尊重しあえたらきっと何の問題もない。(そんな簡単な問題でもないんだろうけど)

私たちがよく口にする『普通は』という言葉も真実に近い意味合いなのかもなぁ、なんて思った。大袈裟なことを言えば、多少なりとも誰かに迷惑を掛けたとしても、命を奪ったり落としたりするようなことでないなら受け止めて、でも自分はこう感じているんだ、とお互いの意思の疎通が取れれば何で平和なんだ!と思うものの、そんな簡単なことではないんだろうなとも思ってはいる。

もちろん偏見は宜しくない。高圧的なことも宜しくない。でなければ発言力がある人が正義になってしまう。

少し前の男尊女卑の思想はそれこそワタシの中にも少なからず残っていて。残っている割に男社会だったトレーナーという世界に足を踏み入れたのは反抗心もあったのか(笑)容認してくれた両親にしても、古き良き厳格な家庭だったのに不思議でならない(笑)

みんな違って、みんないい。

誰が偉いとか偉くないとかではなく、素直に認めて尊重し合えればいい。

アロマンティックもアセクシュアルも、、もっと身近なことで言えば子供を産まないことも。

いつの頃からか、同世代の同性との会話に酷く気を遣うようになった。自分自身の問題かもしれなけれど、独身で仕事が生きがいのバリキャリもいれば、家庭を持ち子育てをして立派なお母さんになってる人もある。夫婦2人、もしくは恋人の関係を楽しんでいる人もいる。オンナ同士の30〜40代は、会話にいちばん気を遣う。そんなこと考えてるのわたしだけかもしれないけれど。(だから行きにくいとか感じるのかもだけど)。

彼氏いないの?恋愛、いいよー。

結婚しないの?結婚ていいよ。

子供つくらないの?子供可愛いよ。

それらはすべて真実でしかない。

彼氏をつくらない、結婚しない、子供を産まないこともいいじゃない。全部、本人の自由なんだから。

自分の中の真実や固定概念や価値観が自分の首を絞めていることもあれば、他人のソレを押し付けられて生きにくさを感じることもある。

ワタシには子供はいない。

欲しいと思わなかったから。

でもヒトの子供は可愛いと思うし、育ててるご夫婦もすごいなと思う。

それが、"普通"なんだろうけど。欲しいと思わなかったワタシは何か人間的に欠けてるんだろうかと何度も思った。

人の数だけ真実がある。

みんな違ってみんないい。

生きにくさを感じたときは、きっとどこかの誰かに優しくなれるときだと思う。少しずつ、自分の見方や感じ方も変えていけたらなぁと思うものの、三つ子の魂百までよね、と言い訳も忘れないワタシなのです😅