Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

考えるな、考えろ。気付け、感じろ。

世の中、矛盾してることってたくさんある。

"Don't think,feel."

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考えるな、感じろ。

有名なワンシーンですが(笑)

この一言においても受け取り方は様々で。

考えるなって、本当に考えてないわけではないと思うわけで。感じるままに行動する、感じるままに動く、というノリは理解できるし嫌いではないし、むしろ大事だとも思う。
でもこのDon't think feel.を言える人の境地って、むちゃくちゃ考えている人だと思う。歳を重ねるごとに何かを得ようとする時にまずやってみることもよりも頭で理解しようとする。もしくは自分の知識をフル稼働させて考える。それは悪いことではないと思う。リスクマネジメントとしても効率を求める上でも大事だと思う。なかなか的を得た表を見つけたのでシェアさせていただく。(micさんと言う方のBlogから拝借)

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日頃から考えない、ここぞと言うときに感じない…これは確かに思考の放棄であり人間の放棄(笑)ラグビーだって、バスケだってなんだってとにかく普段は基本は考え抜かないといけないはず。自分の体がどう動いているのか、どんなポジションが最適なのか、どんな飛び出し方でポジションに入るのか、どうやったらいい連携が出来るのか,などなど。

でもここぞいう本番や、ゾーンに入った時は考えていない(=Feel)、つまり感じて勝手に身体が反応する、動く…それが理想だと思う。
そういう大切な瞬間にまで考えて反応するようなでは頭でっかちすぎる。『最後は気持ちだ!』と言われる所以もここにある気がする。


指(自分の体や自意識)に囚われないで、月(課題、岩)の真のありよう見抜かないといけない。
でもその境地に達するためには、日頃からthink,think,thinkを重ねるべきなのだ。
その思考の連続を積み重ねた先に、ここぞの場面のFeelにつながる瞬間がある。

 

 

言葉というのは厄介なモノで、発した側、受け取る側によって真意が180度変わってしまうこともある。受け取り側の心境次第では素直に受け取れない(受け取りたくない)ことだってある。そこまで慮って会話しようとしたら疲弊してしまうかもしれないけど…誰だっていつだって、その言葉のまま素直に受け取れるとは限らない。もしも発した側と受け取る側の関係性が多少なりとも周りよりも濃いならちょっとくらい慮って欲しいと思うのはわがままなんだろうか。そんなことを考えていて、"Don't think feel"を思い出したわけですが(笑)

 

そこでまたふと思い出したのが小学校の時の恩師の言葉です。

小学校の5,6年生の時の担任の先生。今でもよく覚えているのでよほどいい思い出だったんだと思います。会いたいなぁ、と思ったこともあり大検索をして昨年何とその先生にたどり着いたんです!が、なんとその先生は校長先生になられており((((;゚Д゚)))))))メールでコンタクトを取ることに成功はしたけど、一度きりの返信のみでその後は返信がなく、再会は未だ叶わず。

 

卒業式の朝、教室に行くと(だいたいクラスでいちばん早かった)全員の机の上に手紙と一輪の花が置かれていて。しかも封筒はちょっとふっくらしていて、アタシの手紙だけでも3枚の便箋にびっしりと認められていた。初めての卒業生ではなかったはずなのに、40人近いクラス全員にそれだけの量の手紙を書いてくれた。

 

多分、その手紙も押入れの段ボールのどこかにまぎれてるはず。捨てるはずはない。その中に書かれていた言葉で今も思い出す言葉がある。

 

自分の評価を他人に求めないことだ、と。

良く気がつき進んで動く。それは素晴らしいことだ。先生、〜やっておいたよ。とか先生も気付かないこともあるから有難い。でもそれを妬む人もいて、評価を下げかねない。的なことが書かれていて。気が付いて何かをしたことは褒められたいからでもなく、気が付いたから。そこでやめておけばいい。やっておいたよ、と言う必要はない。もちろんこれは褒めてもらいたくて、見返りを求めて発したわけではなく何のウラもない、ただただやっておいたよ!っていう報告だ(ったと思う)としても、しない方がいいんだなと何十年も経ってから思った。当然、この手紙をもらった時はこの意味が理解出来ていなかったと思う。

 

そして12歳のあの頃から28年経った今、その『自分の評価を他人に求めない』が頭を掠めたのだ。頑張る、努力するのは当たり前。頑張れ、と言ってもらえるのは応援されてる証拠。自分でどんなに頑張っていても努力していたとしても、それは自己評価の域を出ず、頑張りも努力も他人の評価。ただ、自己評価もなければ頑張るモチベーションにはならないから自分で自分を褒める、認める、そしてまた頑張る。それでいい。自分の評価を他人に求めるな。先生、先生はあの頃の私にどういう想いを込めてこの言葉をくれたんだろう?今となってはわからないけれど、とっても深い言葉を贈ってくれたなぁと今更ながらに思った。

 

私は私の思うように言葉を選んで使う。

相手にどう受け取られたか、相手の真意はどこにあるのかは詮索しない。それは自分の評価を他人に求めることに似ている気がするから。

ただ、自分が言われたくない言葉や伝え方はしない。相手へのリスペクトを忘れない。それでいい。

 

考えるな、考えろ。

気付け、感じろ。

 

2023年のテーマだな(笑)