Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

Take Action。

 

今日は冬至

冬至点は18:19。(18:21という説も)

 

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わかりやすかったので引用させていただきました💦(中学生のための基礎学習サイトPikuu)

 

 

多分ほぼ毎年、当時の話を書いてるので(笑)重複にはなるけれど。マヤも、インカも、エジプトも、マチュピチュも、琉球も。世界中の文明にこの『冬至点』を祝う儀式があるってものすごく神秘的なことだと思う。

 

冬至の朝に約17分間、一筋の光が通路を進み、玄室を照らす現象が起こるアイルランドのニューグレンジ。この仕掛けがつくられたのが何と約7,000年も前。

巨大な石を人力で運んで丸く並べた石の建造物、ストーンヘンジ。石の配列は太陽の動きを示すと考えられていて、冬至の日は最も背の高い三石塔の支柱の間に太陽が沈む。これも約4500年ほど前。
冬至にピラミッドの一面が太陽の光と影の部分に、ちょうど半々に分かれる現象が起こるエジプトのチチェン・イッツァ。 

冬至の朝の太陽だけが差し込んできて中央の岩に刻まれた円形のくぼみを照らす、マチュピチュの太陽の神殿。

 

琉球王国の中城城跡の岩穴に朝日が差し込むこと、首里城の向き、伊勢神宮の鳥居のど真ん中からのぼる冬至の朝日。

 

はぁぁぁ。

どこでもドアがあったら冬至の瞬間にいろんなところで冬至の朝日を拝めるのに。なんて。

 

 

昼の長さがいちばん短い日。

言い換えればこの日を境に昼がだんだん長くなる。冬至の翌朝のぼる太陽は"生まれ変わり"を意味し吉兆そのもの、と古代から捉えられてきた。

スピリチュアル界隈は今日、ざわざわしてる模様(笑)ただスピリチュアルであれなんであれ、腹の長さがいちばん短いのは間違いないし、ここを堺にちょっとずつ日が長くなるのもまた確か。そして何千年も前からこの冬至点を祝う儀式が世界各国に残されている。それほど、パワーのある日なんだなとは思ってもいいと思う。

 

この冬至点からまた新たに動き始める。

中国の漢の時代に暦が改正され、1月1日が新しい年の始まりになるまでは、二十四節気の1つである“冬至”が新年の始まりだったっていう説がある。やはりそれくらいこの日はターニングポイントになる日なのだ。しかも今年は大安吉日。

 

あらためて自分のやりたいこと、目標なんかをちょっと考えてみる日にしようと思う。

て!!そんな日に仕事の話をするために大切な二人に空いに行きます🚄これはひょっとして、ひょっとするんじゃないか。意図せず冬至じゃないか今日は!!!と2,3日前にテンション爆上がりしたワタシです(笑)

 

コレを読んでくださってる皆さんにとっても"新たな一歩"を踏み出すきっかけになる一日になりますように。

 

とはいえ、今年の冬至点は18:21なので明日の朝日は必ず身体いっぱい浴びましょ(^^)

 

 

熱漏れ、なんだそれ。(笑)

 

今季6年振りに復帰させてもらったヴォルツ。

昨日無事に?リーグ戦全日程を終了。

開幕戦はまさかの土砂降り雷雨の後半開始早々に中止。試合は成立だったもののチームとしてはアンラッキーな勝ち点4でのスタート…と、まぁ。熱語りをするにも思い出に浸るにもまだまだ早い。まだ次のステージへの扉を開いたばかり。

 



ただ、ちょっとだけ熱漏れ(なんだそれw)すると、やっぱり昨年の11/26から運命が回り始めていたんだな、というのがいちばんしっくりくる。

(2回前の"運命が回り始めた日"を参照)

 

 

あの日リアルに観戦に行かなければ。
熱男ふみよしと5年振りのリアル再会しなければ。やっぱり今はなかったと思う。

 

バスケの東北SB2リーグと並行してリーグ戦全日程に帯同することが出来たのは、ほんと奇跡。

それに長谷川先生や森田さんのお陰で多少の怪我はあれど大きく離脱する選手もなく全日程を終えられたっていうのは本当に幸せなこと。

そして何より選手層も厚い!選手の熱量も高い!

カムバックとはいえ、ほぼ新入り同然のワタシを快く迎え入れてくれた選手、スタッフの皆さんには本当に感謝しかないです。

 

 

"私に出来ることは誰にでも出来ること"
だけど、今ここにいるのは私だから。

 


宣誓🖐️

 

私が持ってるもの、出来ることは全て出し惜しみすることなく絞って絞って絞り出して、チームの日本一のために尽力することを誓います。

 

 

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ここからは、己との勝負。

どこもみんな日本一を狙って鎬を削り合う。

相手がどうとか関係ない。

相手のことなんて気にならないくらい、己の全てを研ぎ澄ませて、磨きをかける。その精度の高いチームこそが最後に勝つ。

 

 

あ、熱漏れなんで、この辺でやめときます笑

 

偉そうに、エールを。

 

100回叩くと
壊れる壁があったとする。

でも、
みんな何回叩けば壊れるか
わからないから
99回まで来ていても
途中であきらめてしまう。

 

 

言わずと知れたTHE熱血漢、松岡修造氏の名言。

そしてこの言葉。

 

噛めば噛むほど噛み締めるほど深い、と思った。

目の前の壁を壊したいけど、何回叩けば良いかわからない。努力の方向を間違えてはいけない…という大前提はおいといて、まずは人は終わりが見えるものには頑張れる、ということ。陸上競技なんかでよくみるラストスパート。"ゴールはあそこ"とロックオン出来るからこそ、今持ってるもの全て出し切ろうとする。ところが先が見えないとあとでガス欠するかもしれない、やりきれないかもしれない、といった不安が過ぎる。となると全てを出せずに終わって(諦めて)しまう。

 

 

そこで思うわけだ。

 

 

あぁ、あの時もっと頑張っていたら。

 

 

それって、めちゃくちゃかっこ悪くない?

松岡修造氏のいう99回まで来ていても途中で諦めてしまう、という言葉の真意。

それは100回(で壊れる)まであと一回じゃないか、という"終わりが見えているゴール"へのエールではないと思うのです。99→100の一撃の大切さではない。もしかしたら100回叩いても壊れないかもしれない。この壁を壊せる人と壊せない人の違いはきっと"やり続けられるか否か"。自分が信じた未来を、手に入れたい未来を諦めずに挑戦し続けることが出来るか否か。

 

でも、"諦めない"って口で言うほどカンタンじゃないことも知ってるつもり。諦めないで信じてやり続けるって、苦しいし、怖い。

次に叩くその一回で壁は壊れるかもしれない。

100回叩いてもびくともしないかもしれない。

それでもその"次の一回"に踏み出す覚悟が、勇気があるかどうか。結局、その一回一回にどれだけの覚悟と勇気を持って取り組めるか、

なんじゃないかなって。

 

99回も叩いたけどびくともしなかった。

999回叩いたけどびくともしなかった。

まぁ、よく頑張ったじゃん…→この後に続くのは間違いなく言い訳。諦めた自分を守る、言い訳。

 

 

自分が自分に”良くやっている”って思ったら

その時にはもう終わりが近いってことだよ。

 

 

って、中田英寿氏が言ってました。

現状維持は衰退と同じだと言った人もいる。

でも、"諦めない"って口で言うほどカンタンじゃないことも知ってるつもり。諦めないで信じてやり続けることは、苦しいし怖い。

それでも、そこまでしてでも手に入れたい未来ならばやるしかない。自分史上最大のチャンスが、目の前にあるなら、叶えたい未来に手が届きそうな手応えがあるなら、やるしかない。やるだけやって、やりきってやり尽くして欲しい。それは誰にでも出来る挑戦じゃない。ここまで努力してきた結果巡ってきた、チャンスなんだよ。

 

 

諦めんなよ!諦めんなよ、お前!!

どうしてそこでやめるんだ、そこで!!

もう少し頑張ってみろよ!

 

ダメダメダメ!諦めたら!

周りのこと思えよ、

応援してくれる人たちのこと思ってみろって!

あともうちょっとのところなんだから!

 

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負けそうな時、挫けそうな時。

こんな言葉掛けられたら…アタシだったら泣く(笑)後先なんて考えないでガムシャラに100%以上のもの振り絞って戦う覚悟が決まる。途中で諦めたカッコ悪い自分になりたくないし、そんな姿は見せたくない。

 

 

進み続ける覚悟と勇気。

諦めないことの難しさ。

 

カンタンじゃないし、苦しい。

それでも覚悟と勇気を持って次の一歩を踏み出せるのは一人じゃないから。

 

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なるしかないよ、日本一。

 

 

…って、偉そうなこと言いました🙏

前回の試合から練習行けてないのに偉そうなこと言いました。でもこれ、選手は見ないから(笑)

 

は?何言ってんの?諦めてねーし。

って言われちゃうかも(笑)

(いや今は誰も諦めてないだろうよ!)

 

日程としてのゴールは見えてるけど、

どこまで努力すれば

どこまでチャレンジすれば

どれだけ出しきれば、

それが手に入るかわからない。

 

今はまだ90回かもしれないし、もしかしたら100回なんてとうに超えてるかもしれない。

だから苦しいときも、不安になることもきっとある。そんなこと考える暇なんてないくらい、叩いて叩いて叩き続けろ。挑戦者に余裕なんてないんだ。最後までギラギラ滾らせて睨みつけて威嚇して怯まず戦うんだ。

 

 

アタシにその背中を支えるために出来ることがあるなら何だってする。何もなければ声が枯れるまで応援する。そんな抑えきれない気持ちでした(笑)

 

 

運命が回り始めた日。

どうして観に行こうと思ったのか。

チームを離れて6年の間で一度だけ、ピンチヒッターで声がかかって遠征に帯同したのは2022年。試合も現地に着く直前に中止になると言う前代未聞のハプニングでテーピングを巻くこともなければ選手とコミュニケーションを取ることもなく終わった。その年でもなく、何故かその翌年。2023年の最終戦を何故か観に行こうと思いたち、初めて電車とバスを乗り継いで誰に行くとも告げず…あ、うそ。OBの選手にだけ伝えて、間に合ったら一緒に観ようと軽い約束をして(笑)ふらっと会場は足を運んだ。

 

大してもう知ってる選手もいなかったけど、何となく誰にもバレずに試合を観たかった。ただの観客。見つかって気を遣わせたくなかった。とはいえ割とすぐに見つかってしまったんだけど。

 

隠れて見てるつもりだったので、得点もよく見えない場所で寒さに耐えながら観戦してた。だけど、ホイッスルが鳴った瞬間、負けたことはわかった。最終戦、勝てば全国への道が残されていた(ような気が)一戦だったと記憶している。

 

あぁ、ダメだったか。。

そそくさとその場を離れた。

負けた時は声を掛けずに帰る。それがワタシのモットーだ。幸い、いちばん見つかりたくなかった相手にはバレていないようだったし(笑)一緒に観ようといっていたOBも仕事で間に合わず、一人、その場を離れて駅へ向かって歩き始めた。

 

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だからこんなシーンも

 

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こんなシーンも知らなかった。

前の年は(ここで言う前の年は2022年)日本一を目指し2年続けて全国クラブラグビーフットボール大会にも出場し準々決勝まで駒を進めたのにも関わらず、11月でシーズンが終わってしまった虚無感、喪失感は想像に難くない。合わせる顔もかける言葉も見当たらなかった。…結局、駅に着く前に電話がかかってきて、さらに試合に間に合わなかったOBの選手も会場にきて(笑)3人でスタバに行くっていう予想外の展開になったのだけど。

 

 

今シーズンはその悔しさをしっかり受け止めて選手たちがしっかり準備してきた結果だろう。

悔しい気持ちは鮮度が大事。悔しさの鮮度はすぐに落ちる。どんなに悔しかったことも、常に心に刻みつけながら過ごさないとすぐに瘡蓋が出来てちょっと傷跡がなかったくらいの傷になって忘れてしまう。人間はそんなもんだと思ってる。

今年のヴォルツは悔しさを腐らせなかった選手が多かったということ。

破竹の勢いでタフな試合も勝利し、わずか1敗のみで最終戦を迎える。奇しくも最終戦は会場こそ違えど相手は昨年と同じカード。巡り合わせとはこういうことを言うのだろう。負けるわけにはいかない。積年の恨み!じゃないけど(笑)昨年の悔しさをぶつけて、去年の自分たちを超えて、日本一を目指して勝鬨をあげるとき。

 

 

舞台は、整ったじゃない。

 

 

そして。

そんなチームの投稿を見ながら思った。

あの日あの時、アタシもそこにいたんだなって。

あの時、一年後にチームにカムバックするなんて思いもしなかった。何ならチームを離れた6年前、もう戻ることはないと思っていたし。

 

もしかしたらあの日試合を観に行こうと思ったときから、運命の歯車は回っていたのかもしれない、なんて。

 

運命、感じてもいいよね?(笑)

ワタシに出来ることは特別なことなんて何もない。誰にでも出来ること。ただ、今、ここにいるのがワタシだったっていうだけのこと。巡ってきた運命と使命を無駄にせず最大限尽力するのみ。

己の持てるもの全て出し惜しみせず、チームのために捧ぐ。

 

ちょうど一年前、チームだけじゃない。

ワタシの運命も回り始めた日。

 

 

 

 

 

 

 

 

素質で片付けたくない話し。

 

目配り、気配り、心配り。

この3つを総じて三配り、というのはサービス業においては欠かせない要素の一つと言われているけれど、3つの違いわかりますか?

 

目配りは周囲の状況や状態を察知する力。

気配りは相手の動作に関心を持ち、ニーズを把握する力。

心配りは相手の立場になって考えて行動する力。

 

気配りと心配りの絶妙な違いって案外わかんない人多いんじゃないかなぁ。

じゃあ気配りと気遣いって何が違うんでしょう。

ちょっと自信がなかったのでググりました(笑)

 

 

気配りは

"やや先の未来"を見て全体に注意を払い、物事がスムーズに進むように先回りしてあらゆることに気をつけることを指す。

つまり気配りが出来る人は視野が広く、気配りが苦手な人、出来ない人は視野が狭い、とも言えるのかな。

 

一方気遣いは今の状況下で"特定の一人"に注意を払うことを指す。一点集中型で注力していいやつ。

 

つまり、このふたつは広さと時間のかけ方が違う。でも、どちらも人間に興味がないと出来ないことだなと思う。気配りは物事が軸で、 気遣いは相手の感情が軸。だからこそ、"どっちか"だけでもダメよねぇ…と思うのです。

 

 

全ての場合とは言わないけれど、気遣いって、微妙だとも思うわけで。

一見、相手のためを思ってやっていると思えて、実は自分を守るためだったりすることってないだろうか。それは気遣いは気遣いでも自分のために行動しているので、自分に矢印が向いているときもなきにしもあらず。これは気をつけるようにしてます。"誰かのため"っていう大義名分を盾に、結果自分のこと考えてない?って。"良かれと思って"が良い例かなと。


一方気配り。

これは文字通りまさに目の前の"相手のために"気を配っているので、相手に矢印が向いている思っていいと思う。相手が躓かないように、と常に注意を払うことができている状態。

 

最初に戻すと(笑)

三配りが自然とスマートに出来る人ってやっぱり素晴らしいしそういう人になりたい。

常に"待ち"の状態でいる人はまぁこのスキルはないと思われる。矢印が自分にしか向いてないから自分軸で"なんで?" "どうして?"となる。相手の置かれている状況をちょっとでも気にする気配り心配りが出来ればそのフレーズは一旦飲み込むことが出来るはず。誰かがやってくれるだろう、も気配り心配りがたらないと思う。

 

とある人と話した時に、これは結局のところ"素質"だよね、なんて話になり。努力して手に入れることが出来るスキルではあると思うけど、そもそもの素質がないとなかなか自然とスマートに出来る人間にはなれないのかなぁ…なんて。

 

 

素質の一言で片付けたくない話しだけれど。

自分にはその素質がちょっとはある方だと思うので、三配りスキル、磨いていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

犠牲とは。

 

『スポーツに自己犠牲などありえないと思う。自己を生かすことがチームを生かすことなんだ。』

 

 

ミスターラグビーと言われた、あの平尾さんの言葉だそうです。

 


"犠牲"とは。 
ある目的のために身命や大切な物、事をささげること。 また、そのささげもの。(goo辞書) 

仰々しいけど。

 


スポーツに限らず、いろんな場面で自己犠牲の精神が大切と言われることがある。

アタシは他人からみたら犠牲を払ってると思われることもその意識がなくごく当たり前にしていることだったりするのであまり"犠牲"を厭わない(感じない)のかもしれないけれど。

 

個人であれ、チームであれ。

目標達成のためやチームのために自分ができることを精一杯考えた結果、今、自分が本当にやりたかったことと違うことをしなければならないときもあるかもしれない。

 

でもそれは"犠牲"?

違うと思う。

それは自己犠牲ではなく、目標を達成するために、チームのために、自分を最大限に生かした結果、ということではないだろうか。

 

 

目標達成のために、チームのために動く。

それは="自分の能力を最大限に発揮すること"。

 

 

犠牲と捉えるかどうかは、各々の目標達成やチームの優先順位や、想い次第なのかな、と。

 

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"ひとりでみる夢は夢でしかない。

みんなで見る夢は現実となる。"

 

なんていい言葉なんだろう。

(因みにオノ・ヨーコ氏の言葉です)

 

 

選手を後ろから見て

コートサイドから全体を見て

ベンチスタッフを見て

みんなが同じ方向に熱量を傾け、同じ夢を見て

 

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それに向かって戦う姿は客観的に見てグッとくるものがある。それぞれがそれぞれの持ち場でそれぞれの全力を尽くして、託す。

 

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時に己の力不足を恨み、もどかしさや歯痒さを抱えて、それでも何とか出来ることはないかと動く。 そこに、"犠牲"という言葉は存在しない。

 

 

"犠牲を払っても"と思ったときは一旦立ち止まるべきなのかもしれない。それは、本当にやらなければならないことなのか。本当に自身が求めていること、誰かに求められていることなのか。感じた時点で、温度差が生じている可能性がある。

 

この仕事を始めてから恐らく一度たりとも、自分を犠牲にしてと思ったことはない。

自分のために、誰かのために出来ることがあるなら喜んで尽力したい。それがワタシの原動力だ。

 

悔いと後悔。

 

"想い"をどこまで尊重するか。

相手を深く知れば知るほど、そしてその想いの強さや背景などを知ってしまうとどうしても寄り添いたくなる。

 

でも、その"寄り添い方"を間違えると取り返しのつかないことになるし、追い込まれてた人間は判断を誤りがちでもある。

 

寄り添うか寄り添わないか。

どちらを選択しても万人が納得する結末には決してならない。そして寄り添わなかった場合、恐らく"その本人"がいちばんその事実をすぐに受け入れることができない。それも、わかってる。

 

チームに迷惑をかけたくない。

これくらいなら出来る。

出来るようにテーピングして欲しい。

 

何度そういう場面に出くわして来ただろう。

こんな想いを持って怪我を押して試合や大会に出たいと懇願する選手を何人も見て来た。

 

 

 

これまでの努力や想いを知っていたら、それはどうしたって寄り添いたくなるし出来ることなら何でもしてあげたいと思いたくなる。

 

だけど。

絶対に後悔はさせたくない。

悔いは残しても、後悔はさせたくない。

それにね"このくらいなら"って思う時点で、万全じゃないの。酷なことを言うようだけど、その状態で何を成し遂げられるのか。かえって自らがチームのweak pointになりかねないってことを自覚しないといけない。

 

 

 

正直、私には力も術もないので痛みを取ってあげることも治療することも、もちろん代わってあげることもできない。出来るのは、多少"誤魔化す"ことだけ。テーピングは決して完璧ではない。いつ解けるかわからない魔法と同じなのだ。"魔法"が効くのは状況、状態による。"絶対"はない。

 

だから懇願されれば大体の場合、スタートラインに立たせるところまでは出来る。

"立つ"ところまでは。

 

 

弁慶のように仁王立ちで成し遂げられるならそれで役目は終わりだけれど、そうはいかない。

それに魔法をかけて出れたところで本来の力を引き出せるとは限らない。かえって何もできずに、何も成し遂げられずに、ただ試合や大会に出た、という事実だけで後に残るのは痛みと自分への後悔。中途半端に魔法に頼って戦いの場に出て行くと、自分のみならず傷付けなくていい人まで傷つける可能性がある。

 

 

"悔い"は取り返せるけど

"後悔"は取り返しがつかない

 

 

難しいな。

いや、難しくないんだけど。。

ここを、わかって欲しい。

自分だけの後悔なら自己責任だけど、仲間の後悔は背負えない。

 

判断を誤りたくない。

多分"ここぞという時"は本人以外の判断が正しいと思う。本人は想いが強すぎるゆえ冷静な判断が出来ない。

 

 

怪我を押して無理して成功するなんてほんの一握りの世界。現実はそう甘くない。

だから、美談にしてほしくないのだ。

 

 

そこを正しく見極められた人にのみ "ここぞ" という時の奇跡が起きる、とワタシは思う。

"今じゃない"という判断は立派な勇気。悔しさと歯痒さを飲み込んでその決断を出来る選手は強い。

 

 

寄り添うことは決して全てを叶えてあげることではない。想いは最大限に尊重して抱きしめて、何が最善かを冷静に考え。勝負はしても博打はしない。嫌われても受け止める。

 

わかってもらえる日まで

(そんな日が来なかったとしても)

その人の"悔い"を一緒に背負っても"後悔"だけはさせないように。