Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

生き抜く、力。

トレーナーと名乗ってフリーランスで活動し始めたのは2003年の2月初旬。

初めて独りきりで就いたチームは大学の男子バレー部だった。そこから社会人のバレー部、高校生のバレー部、中学生のバレー部、中学生の選抜チーム…とバレーボールチームを渡り歩くこと5年。当時働いていたトレーニング施設の会員さんの紹介で社会人バスケ部のHCと出逢う。そこが、ひとつの転機だったと思う。

その方と出逢ったおかげでその方の指導していた某学校の男子バスケ部へお邪魔することになり、イシイはラグビーと出会うことになるのです(笑)確か、2008年だったと思う。この学校のバスケ部とラグビー部に同時期に携わらせてもらい、さほど歳の離れていない学生たちに体当たりで指導させてもらった。10年以上経った今でも、SNSのおかげで数名は繋がりがあり、各方面で活躍している姿を見ることができ誇らしく思う。

そんな10年前携わった選手の中に仕事で海外を渡り歩き逞しく生きている人がいる。SNSのお陰で彼が今どこで何をしているのか垣間見ることが出来、それこそついこの前まで紛争が起きていたイスラエルにいることを知った。

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頭上を掠めるミサイル、けたたましく鳴る警報、日本ではあり得ない日常の中、逞しく毎日を生き、『日本に生きて帰れたら、ぜひお話しましょーう笑笑』なんて返してくれた(笑)そんな彼、ようやくほんの束の間だが帰国するそう。

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このチームと歩んだ10年を振り返ると、彼らがいちばん濃く過ごした学年のような気もする。

そしてこの彼。実はラストイヤーの春休みに確か前十字を切ってめちゃくちゃトレーニングを一緒にやった記憶がある。絶対、みんなに頑張ってもらって全国に行って、優勝決める試合に出るんだって信じて、アタシも一緒に頑張ってた。最後の最後、試合に出場することが出来て日本一にも輝いた。終わった後の打ち上げで隣に来てアタシにビールを注ぎながら"もう二度としたくないっす"って笑顔で言われたのを鮮明に覚えてる。その、彼らも30代働き盛り。バリバリ活躍しているようだ。アタシなんてもう手の届かない、教えてたことがあるんだ、なんて言うのも烏滸がましいくらい逞しくカッコいい大人で、、なんだかちょっと自分が薄っぺらいな、なんて思えた。彼らの10年とアタシの10年。比べるもんじゃないけど、彼らの今は紛れもなく彼らの10年の努力の証だろう。

そしたら、ね。彼が言ったんですよ。

『イシイさんから教わったタフネスで成長しているんだと思います。笑』

お世辞でも、嬉しかった。

あの頃はその後社会で生きてくためになんて考えてトレーニングを指導してたわけではない。ただ、最後まで戦うための覚悟や責任といったメンタルは鍛えてはいたつもりだけど。まわりまわって、あの頃彼らと本気で過ごしたことが10年経ってこんなカタチで褒められる(役に立つ?笑)なんて。

みんな、あの頃とは比べ物にならないくらい遥かに人間が大きくなってる。やっぱり、日本一を獲るだけの選手たちだったんだな、と改めて思う。

"むしろあの全国制覇の感動を知っているから、もっと何か達成感が欲しいんだと思いますみんな(笑)。あそこから人生のストーリーは始まってますね"

そんな瞬間に立ち会えることなんて、そうそうないことなんだけど。もしかしたらこの先もあるかもしれない。日本一とはまた違うけど、歴史を変えるような、そんなGIANT KILLINGを起こす可能性を秘めたチームに今、携わっている。結果が伴えば最高だけど、世の中、そう上手くいかないことの方が多い。それでも結果は装飾品であって、本気で取り組んだ時間はきっとその後の人生の大きな自信になる。彼が感じて今現在羽ばたいているように。

そんな先の人生のことまで見据えてトレーニングを指導してるわけではないけど、その後の人生に影響を及ぼすこともあるんだなぁ…。ならばせめて、あの時教えてもらって良かったと思われる人間でいたい。

"結局いくつくさきはタフネスですね。笑笑

 力技でいくしかねえす。笑"

 

自分の人生をデザインするのは、自分だから。

この先の人生を楽しく逞しく生き抜く、力。

そんな力の一端を、アタシも担っているのかも…と改めて彼とのやり取りで気付いた。いつでも真剣、真っ向勝負だけど。これからも手を抜くことなく体当たりで、選手に向き合っていこうと思う。