"ひゃっかはるいたってたがためにかひらく"
と読むそうです。
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『碧巌録(へきがんろく)』という中国の仏教書であり禅宗の語録に収録されてる言葉なんですって。実はちょびっと禅の世界に興味があって、Instagramで禅の言葉というページをフォローしてます(笑)今日、そのページに上がってた言葉が百花春至為誰開、でした。
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春にいっせいに咲き乱れる野の花も、人の手で庭なんかに植えられた花も、春の訪れを知らせようと咲くわけではなければ人の心を和ませるために咲くわけでもない。花はただその生命のおもむくままに、無心に咲き、無心に散っていくのだ、という意味の言葉だそうです。
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イシイ、誰かのために、と言う方が力を発揮するタイプなので"為誰"、とは言えないけど(笑)
ためらいも不平もなく…いや不平不満は意外と溜め込むし、たまに吐きだすからないことはないけど(笑)与えられた場所で、ただありのままに精一杯咲く。そうやって花みたいに咲けたらいいのに。人間は誰でも、少なからず認めて欲しいという"見返り"を欲しがってしまうんじゃないかなぁ、、。それ、煩悩?…要するに未熟なんだな😅
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たまに、ものすごく不安になる。
何をしたらいい?
何が出来る?
ワタシでいいの?
手に入れたいスキルも情報も、尽きることなんてなくて終わりはない。上を見ても下を見てもキリがなくて、自分がここにいていいのか、もっと相応しい人がいるんじゃないか、もしくは自分はここに相応しくないんじゃないか…長く同じ場所にいればいるほど、年月を重ねるほど、不安に思う。慢心じゃないだけいいのか?なんて思いつつ。
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余計なことは考えず、ただその想いのおもむくままに、無心に咲き続けよう。目の前にあるものを大切に。
自分はそこで(相手のために)『居る(Be)』か『する(Do)』のどちらを選択するか。いま、自分はどちらで応えたらいいんだろう…なにかする?それとも居るだけにしとく?それは無心とは言えなくとも、目の前の相手が大切だから。大切なものへの気遣いとして、どんなときにも忘れずにいたいと思う。
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石楠花がキレイな季節になりました🌺