Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

誰かの役に立つ、ということ。

f:id:physical141yuko:20210411161149j:image

過ぎゆく春を惜しみながら、まだ咲いてる桜、これからの桜を追いかける、新緑とハナミズキも木を彩り始め、季節は春から初夏へ移ろうとしてる今日この頃。

f:id:physical141yuko:20210412110320j:image

(GEORGIAさん画像お借りします)

このCM、好きでした。

自分の仕事は、どこかで見知らぬ誰かの役にも立っていて、そんな自分もどこかの誰かのお陰で…そう思えると全てのことに意味があるように思えて俄然やる気が湧いてくる。

『仕事って大抵人の役に立つけどね』とさらりと言った某芸人さん。

『誰かのためなら頑張れる。自分のためにはあまり頑張れない。』
と言ったその某芸人さんの相方さん。

2人とも素敵すぎやろっ!。゚ヽ(゚`Д´゚)ノ゚。

キレイゴトかもしれないけど、その気持ちはすごく好き。人は自分じゃない誰かのためなら頑張れる。誰かのために頑張ることが…巡り巡って、自分に返ってくる。わかる形か、わからない形かは別として。

そうは思っていても。自分は誰かの役に立つ仕事をしたのか、とどうしても考えてしまう。

例年であれば長期休みや土日はセミナー講師や出張指導に呼んでいただいていたのが一年以上にも及ぶこのコロナ禍で片手で足りるくらいに激減した。セミナー講師や指導は、わかりやすい。相手がいるし、求められて行くのだから当然誰かの役に立つ(立とう)と思ってる。その機会が減ると…居た堪れなくなる。朝ドラの主人公みたいに『ちょっとは世の中の役に立つことしてみいな』とか言われたわけじゃないけど。

いや、たとえ仕事でなくても自己研磨の時間だってそれはいずれ誰かの役に立つこと。モノは考えようなんだけども。なかなか、どうして。

"どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない。"

"あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。"

最近たまたま知ってググった、オーストリアの心理学者ヴィクトール・フランクルの言葉。

結局さ、モチベーションと一緒なんだろな。

あー、、誰の役にも立ってない!

何も出来てない!てか自分何?!みたいな。

そういう状態ってモチベーション低下してるのと同じ状態なんだろうな😅

ぶっちゃけ、何もしてないことはない。

仕事のない日はあっても家事をしない日はない。家事は仕事じゃないけど、夫のためにやる。自分だけならもっと適当でいいことなんかたくさんある。でも、わがままを言うなら、、家族以外の誰かの人の役に立ちたいわけです。それが誰かの役に立ってるって、すぐに感じられなくてもいい…っていうと、何かいろいろ矛盾してるからツッコミはなしで😂

結局、ぜーーーんぶ繋がってるんだよね。

仕事も人生も、とか言ってみる。まだまだ不惑前の若造ですが。

今の生活が1年後の自分をつくり

今の学びが5年後の環境を生み

今の悔しさが10年後の自分につながり

今の人への優しさが20年後に返ってくる

そんな言葉を見つけました。

だから、今、何を選ぶかってことに責任を持たなきゃいけない。いや、持ちたい。それが、自分の未来に対する責任。

何を選ぶか、と同じようなことで、何を買うか、何を学ぶかも大切な判断。"何"はもちろん大事だけど、"誰から"をもっとも大切にしてるワタシの判断基準。

その方からだから買いたい、教わりたい。
この気持ちって、対面でしか(とは言い切れないけど)生まれない価値だと思う。
"何"ではなく"誰から"で繋がった縁は、たとえ細くても長く続いていくような気がする。

話があっちゃこっちゃいきましたが😅

今日は牡羊座新月🌑。何かを始めるにはとってもいい日だそうです。ということで今もやっとしてる心のうちを吐き出しながら、自分自身を見つめてみました😂相変わらず面倒な性格だなーーなんて思いながら。『ある』モノに敬意と感謝を、そして大切に。

ワタシはワタシのことをしっかり評価してくれる相手と、敬意と感謝のもとで仕事がしたい。相手が誰であれ、数ある選択肢の中から"ワタシ"を選んでくれた人のためには全力でgive。

それが選んでくれた人への礼儀。