とどのつまり、の"とど"って、↓このとどのことじゃないって知ってました?(笑)
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とどのつまりの語源は、出世魚で知られているボラのことなんですって。
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ボラは成長していく過程で、
関東:オボコ→イナッコ→スバシリ→イナボラ→トド
関西:ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
ちなみに高知や東北では"とど"とは呼ばない。だからとど=鯔(ボラ)のイメージがなかったんですねー。因みに調べました!
高知:イキナゴ → コボラ → イナ → ボラ → オオボラ
東北:コツブラ → ツボ → ミョウゲチ → ボラ
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ボラは最終的に『とど』になり、それ以上は成長しない。そのことに由来して"とどのつまり"はこれ以上は大きくならない、これ以上は進まないなどの意味で使われるようになり、"結局" "行きつくところ" のような意味合いになったということ。ま、、それがどーしたって話ですが😅とどのつまり…と思った時に『とど?🤔』と改めて思ったまでです。
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閑話休題。(長っ!!)
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ちょっと気になってやってみました。
『鈍感力診断』。
結果は以下の通り↓
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ないとは、思っていたけれど😅
欲しいなぁ…って思うこと、思う場面、多々。
決して自慢ではない。
大事なことだから2回言います。
決して自慢ではない(笑)
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自慢じゃないけど、空気読める方だとは思う。
自慢じゃないけど、気配りも気遣いも出来る方だと思う。
『あえて鈍感に…』って書いてあるけどさ。
出来ないから欲しいって思う時があるんじゃないか!!😂
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気遣いも心遣いも出来ないより出来た方がいい。それはきっと自分のため。
その気遣いとか心遣いも、どう捉えるかって千差万別なんだと思うんだ。
気遣い過ぎると思われても、それが普通と思う人もいるし。遣う側と遣われる側が気持ちよくいられるならそれでいいと思う。当人たちの問題だと思うし。でもふとした瞬間に心が疲れたなぁって思うことはきっと誰しもあると思う。
本当はこうして欲しいのに。こうしてくれたら嬉しいのにな。家族、恋人、同僚…様々な場面でそう思うことはある。
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ここで『気付いて!』戦法は頂けない。
気付かないからこちらがいつも気遣うわけで。
伝えた方がいいこともあるかもしれない。
でも、あくまで持論ですが…伝えなくていいことの方が世の中多いと思ってます。ただのコトナカレ主義なだけなのかもしれませんが😅
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良かれと思って、は大抵良い方へは転がらない。"良かれと思って"は自己中から生まれる発想だと思ってる。(持論ですよ)いや、相手のためになるかもしれないけど、そう感じてもらうためには伝え方がものすごく重要だと思う。
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学生や選手に対しても、気を遣う。
もちろん親にも夫にも。いい意味で、気を遣う。イヤイヤ遣ってるわけではない。むしろ子供のいない夫婦なんて他人同士だからいい意味で気を遣えた方がいいと思ってる。持論です。
もうこればっかりは性分だから仕方がない。
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コトナカレ主義ではないけれど、"うまくやっていく"ためにはそれが最善だと判断してのこと。
それが"自然"だから苦痛に感じることはないけど、それでもやっぱりたまには『むむっ(。・ˇ_ˇ・。)』と思うこともあるわけですよ(笑)でも承知で過ごしてるからそこに執着しても仕方がない。その"仕方がない"の板挟みで疲れたなと思うこともあるってことです。
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とどのつまりは、人生はないものねだりだから執着せずに流して、空気読んで生きてくしかないよねー!それが難しいんだけどさーーって話でした(笑)
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でも、ないものねだり出来るってシアワセなことなんかな。欲求があるって生きてるってことだなと思う。ささやかな当たり前のようなシアワセも大切にしよう。例えば、美味しいコーヒーが飲める、とか。
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