フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。
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今日は3月の晦日。
晦日詣をするようになったのは昨年から。
何故、ひと月の最後に詣でるのか。
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その月の初めに詣でると、どうしてもこれから起こることに対してのお願いをしたくなる。
それが月の最後に行くと、その月を無事に過ごせたこと、うまくいったこと、嬉しかったこと…を神さまに報告する。報告しがてら、いろんなことを思い出す。『ある』ことにフォーカスするのか、『ない』ことにフォーカスするのか。多分、"全くない = 0"ってことはないと思う。0って、死ぬ時以外ないんじゃないかな。考え方だけど。
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お金がない、と言ってもあったかい部屋はあるしご飯も食べられる。平和や安定に慣れちゃうと『ある』ことよりも『ない』ことにフォーカスしがちになるのかもしれない。
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今月はそれこそ"こんないいことあったなぁ♪"ってことはなかなかハードルが高い。視点を変えないと嫌なことや苦しかったことしか出てこない。でもその嫌なことや苦しかったことのおかげで気付けたことがあったり。。
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別に、ええ格好しようとか思ってないです(笑)
毎日毎日が選択の連続で、あー失敗したぁ!って思うこともある。人間だもん。仏様じゃない。そんなに心広くない(笑)それでもすぐに切り替えられたらきっと世界は変わる。すぐにそう切り替えられる人間になりたいなぁっていう、イシイの永遠のテーマです。
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『この泥あればこそ咲け蓮の華』
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こういう時のためにある言葉なのかも。
蓮は強い。何百年も地中に埋もれていても発芽することが出来るって知ってました?
何と2000年もの間、泥の中で眠り続け、目醒めて発芽したことで有名になった『大賀ハス』。
(ワタシも今回、蓮を調べて初めて知った😮Wikipediaに載ってますよー)
仏教では、水面下の泥を"煩悩"に、花を"菩提"として、悟りの境地に例える。
蓮を使った言葉として思い浮かぶのは『一蓮托生』。結果はどうなろうと行動や運命をともにする、という意味。
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きっと、新型コロナウイルスも消滅はしない。インフルエンザも消滅しないように、付き合っていかなければならないものの一つなのかも、なんて。いずれきっと、ワクチンも出来るし薬も出来る。それでもきっと此奴は消えない。
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朔参りもしますが、晦日詣も大事にしてます。
"ある"ことに感謝出来る脳になります。
良かったら、ぜひ。