Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

そこに尽きる。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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今日も暑くなりそう!

晴れ女イシイ、グラウンドへ向います。

昨日の日本VS.南アフリカ戦。

練習中で観戦出来ませんでしたが…練習直前までうちの選手たち🏀も車で見ていたようでちょっと嬉しかったなぁ😊✨

多くのチャンスは無謀なチャレンジから生まれる、と言われたことがあります。

言われたその時は(そのことに関しては今も)全く理解出来ないけれど(笑)

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『無謀』ってなんだろう。

仕事でそれは許されないことだと思ってる。

自分で責任が負える範囲のことであるか、依頼側が全責任を負うと約束してくれるか出なければ無謀なチャレンジはするべきではない、と。

でも矛盾しているけれど、出来なくてもやらなきゃいけないとわかっていることに出くわすことも少なからずある。

それは『試されごと』であって、結果云々よりも人間性やどれほどの決意、覚悟を持ってそれと向き合おうとしているかを試されてるのかなと思う。

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『出来ることをやる』のは当然であって、出来ることをするのだから達成感というよりは安堵の方が大きいかもしれない。

自分の出来る範囲ではなく『出来ないかも』『やらなければならない』『頑張ってやり遂げたい』と思えることにチャレンジすることで成長する。出来ないかも、やらなきゃ、と思ったら腹を括るだけではなく、段取りや準備、練習など諸々やらなければならないことが出てくる。だから成長するし達成感も生まれる。

仕事をお願いされたとき『自分からお願いしてでもやりたいかどうか』ということも大事にしています、という吉谷さんの言葉に激しく共感。

でも、そう思えない時でも引き受けることがある。それは誰からお願いされたか、そこに誰がいるのか…の『誰か』が重要なポイントになる。苦労するのがわかっていても、その『誰か』のために苦労を買ってでも、と思う仕事もたまにある。それはある意味、無謀なチャレンジと言えるかもしれない。無謀なチャレンジをするならば愚痴は本来吐くべきではないことも、弁えている(笑)

でも時々、考えてしまう。

自分がそこにいる意味を。

仕事は、お願いされるものもあれば、されなくてもやりたいと思うものも両方当然ある。

そこに居たいと強く思って引き受けて、それがやがて成果や信頼に繋がって『仕事』になる。…そうやって仕事は、人と人との繋がりから頂けるものだと思っている。

達成感や安堵感が得られなかったり、ちょっとした疎外感や無力感を感じた瞬間にものすごく切なくなる。

そこにいるのに、居ないみたいな。

話が取っ散らかってしまったけど(笑)

いてくれて良かった、お願いして良かったと思われる仕事がしたい。そこに尽きるのです。