フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。
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午前中、歯医者でした。
下のがっちゃがちゃの前歯の陰の虫歯。
4.5箇所?麻酔打たれての治療だったんですが。
終わったら下顎こんな感じな気分(笑)
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Facebookの『思い出機能』によって、Facebookの過去の記事を思いがけず目にすることが出来るわけですが。その中でちょうど一年前のイシイが衝撃を受けた言葉に一年越しにまた改めて感銘を受けるという単純っぷり。
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『言の葉』とは
『その人の断片』である。
(ちょっと言い換えてますが)
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今話題の映画の、あの監督の言葉です。
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" 使い手が変われば重さも意味もガラっと変わるところが『言葉』の面白いところであり怖いところ "
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口から継いで出た言葉はその人そのもので、
その人の断片であって、一部なんです。
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たった一言で信頼を失うことがある。
たった一言で相手の心を殺すことも、喜ばせることも出来る。使い手次第で変わる、魔法のようなもの。
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思ってもいないことなら言うべきではないし
その場だけの口から出任せの言葉かどうかなんてすぐにわかる。
ましてやそれが冗談だったとか…無責任だし、苦しくないですか。
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それだけ、言葉にはその人の為人(ひととなり)がよく滲み出るものだと思ってます。どの言葉をチョイスするのか、どんなトーンで相手に届けるのか。自分の気持ちだけぶちまければいいわけではなく、その言葉の先には届けたい相手がいての言葉。
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どうすれば自分の想いは相手に届くんだろう。
言葉って、残酷だな。
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一時の感情に任せて乱雑に言葉を浴びせたくはない。相手を傷付けるのは当然で、それは後に自分も深く傷付く。
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一度自分の懐に入れて信じたなら、
カンタンに裏切られたなんて言わないで。
それは他でもなく"too much"だった自分のせい。誰のせいでもない。
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100歩譲って、誰が見てもそれが裏切られたと思える行為だったとしても…信じたのは自分でしょ?裏切られたと感じたのも自分だもん。
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わかってるけどさー…と思うのも、わかる。
人間だもの。アタシだってここにこうやって吐き出して、自分を納得させてるってのもまた情けないことではあるんだけども😅
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自分の発したその言葉に、どれだけの重さがあるか考えて欲しい。
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あの日、HCにGMに言われたあの言葉。
あの日、選手から投げつけられた言葉たち。
めちゃくちゃ重くて、鋭くて、
むちゃくちゃ傷付いた。心が空っぽになるってこういうことかって思ったくらい。
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でもその時は、受け止めようと思った。
事実は一つ。でも見方なんていくらでもある。10人いれば10通りの見方、感じ方がある。
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トレーナーとしてチームや選手と関わり
同じ方向を向いて同じ目標に向かって戦う上でいつも最前線で体を張る選手たちを信じるのは当たり前のこと。
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選手が自分のことを信じてくれるかどうかなんて日々の関わり方が全て。
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あえて伝えることではない。
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伝えるとしたら、
その言葉がその時その選手にとって強力な追い風になると確信が持てる時だけ。
(これはあくまでイシイの主観)
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多用したりここぞという使い時を間違えたらその魔法は途端に力を失い、使い手への不信感が生まれる。
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そうはなりたくない。
言の葉は、その人の断片。