Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

べき。

桜の開花の便りがちらほらと。

まだお目にかかってないけど。

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自分で言うのもなんですが。

イシイ、そもそも真面目なタイプです。

そこそこ自分にも他人にも厳しいタイプです。故に、そこそこ疎まれるタイプです(笑)

〜すべき。〜あるべき。

自分の中ではそれは当たり前のことなんですけどね。それが誰もが同じとは限らないし、自分以外の人に求めてはいけないんだなって最近思うようになりました。

お笑い芸人の又吉さんも自身のYouTubeで高校時代のサッカー部での話をして、そんなこと仰ってました。すごーく共感。

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(8分過ぎくらいからの話です)

https://youtu.be/3Ww1lU9JHMU

同じチーム、同じ組織にいて、目標も同じところを目指しているはずなのに、残念ながら熱量の温度差は生じるものです。

温度は高いところから低くなるように、ぬるま湯に浸るのはすぐなんだよね…。高い人たちだけが踏ん張るのは違うよね、と思うんだけど。

〜すべき、こうあるべき、という言葉は言うなら強い呪縛のようなものだ。

そう言う思考にも2パターンある。自分を責めるタイプと、他人を責めるタイプ。前者は自らの行動に対して、必要以上にプレッシャーをかけ、がんじがらめになってしまいがちで、結果、思いどおりにならなかったときにさらに自分を責めてしまうという繰り返しになって苦しむ。 後者、他人を責めるタイプは字の如く他人に対してこの思考が働くわけだから、思いどおりにならない相手に対して、腹を立てたり、批判的になりやすい。う。否定出来ない。

腹は立てるけど、相手にぶつけることはしない。腹は立てるけど(笑)まぁいずれにしても…物事に対しての融通が利きにくく、気持ちのゆとりがないんだよね。

どっちもあるなぁ…って思えるだけ、客観的に自分見れてると思いません?(笑)

又吉さんのね、YouTubeでみた言葉。

『自分に厳しく人を思いやる気持ちを大切に』

自分と同じものを求めてはダメなのよ。わかってるけどねー、、。帰属意識とかさ、同じ組織ならさ、、ある程度『べき』のレベルって同じ温度でありたいよね、と思うのは高望みなのかしら。とりあえず、大なり小なりどんな組織やチームでもあることなのかもしれないな、と自分に言い聞かせてはいるけれど。

結局、気持ちがついていかないと行動に移すのって至難の業だと思う。逆に気持ちがあれば、行動を起こすことなんてしのごの言わずにやるだろうし。何かをしようとするときに『仕方がない』とか、出来ない『言い訳』を考え始めた時点でそれは『やりたくないこと』だったり『気が向かないこと』なんだよね。

あーーーっ、難しい。

熱量がみんな一定以上の組織(チーム)を求めるのって、"〜べき"のレベルがある程度同じ状態を求めるのって、理想論なのかなぁ。

でもとりあえず、『べき』思考から脱却して、人に優しく、いらいらしない人間になりたい。

 

 

 

motto。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

久し振りにこの春中学に上がるジュニア選手のパーソナルトレーニングをしました。

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イシイが得意、としてるのはパフォーマンス改善(向上)です。何をベースにそれを見るかというとSAQトレーニンです。

今や世の中に溢れるありとあらゆるトレーニング理論。どれもたぶん(いや絶対)信念に基づいたそれぞれが"正しい"と思うモノを突き詰めた成長していく最高傑作を提供してると思うんです。だからどこの協会はダメだとかあそこの協会はオススメしないとかいう気はない。こちら側ではなく選ぶ側(クライアント側)の自由だと思っているからです。他を蹴落としてというよりは、自分が信じるモノの素晴らしさを伝えて納得して体得してもらいたいというのが本音です。SAQトレーニングも例外に漏れず。ああ、あれね、と軽視されることも多々(⚠️個人的に今まで感じた見解です)。20年以上前はラダートレーニングやマイクロハードルを用いたトレーニングは陸上競技のもの、と思われていた節があるかと。実際ワタシもそうだったし、自身が学生時代にこれらのトレーニングをしたことがあるか、と言われたらやはり陸上競技部がトレーニングしている様子でしか見たことがなかった。専門学校を卒業して2,3年後、SAQトレーニングに出会い、面白い!とのめり込んで15年。まだ全国で20名しかいないレベル3インストラクターという称号を戴いたわけです。

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SAQの土台は本来成長過程である程度身につくものであり、その土台があってさらにそこに競技特性に応じたSAQ トレーニングを上乗せしていくことで障害予防やパフォーマンスの向上に繋げていくのがSAQトレーニングの理想形だと思っていて。それがゴールデンエイジを過ぎてからその土台作りから始めるのでは時間がかかり過ぎるうえに、地味な作業なのでよほどのアスリートや部活動での指導であっても軽視されがちで疎まれやすいのです。地味と感じるのは誰でも出来る(出来ている)と思っているから。今更やることではないと思っているか ら。
大袈裟にいうなら、SAQトレーニングはQOL を向上させて生きることに繋がる…と思っている。現代社会においてはアスリートのためだけのものではないとさえ思っている。そもそも様々な専門的なスキルトレーニングはゼネラルスキルの上に成り立つもので、そこを強化していくのがアスリート。でもその強度を変えることで全世代に必要なトレーニングとして活用出来るのがSAQトレーニングだと思ってる。

何が言いたいかと言うと(笑)

どの競技、どの年代であってもSAQの理論に則って腿上げ(この表現も好きじゃない)から指導します。綺麗な動き、綺麗な姿勢は早さも力強さも生む。ここでいう綺麗とは正しいこと。アタシはそう思ってる。走るフォームがめっちゃキレイなのにめちゃくちゃ走るの遅い人っていなくない?(もしかしたらいるかもだけど💦)

だから、綺麗な姿勢、綺麗なフォームをモノにしてもらえるように指導する。それがワタシのモットー。

メリットとデメリット。

『メリット』って考えることあります?

それってどんな時(こと)ですか?

メリットやデメリットを考えることが悪い、というわけではない。考えるのは要領良く…いや、表現が宜しくないな(笑)

自分にとってメリット(もしくはデメリット)があるかどうかを考えることは大事だと思う。ただ、何に対してどんな時に感じているか、は自分を取り巻く環境や人間関係にも影響してくるのかなと。何に対してどんな時に、は言い換えるなら=『価値観』かな、と思っていて。

そう考えると物事に対する価値観や熱量って、メリットやデメリットをどのように感じるかで決まるんじゃないか、と。優先順位や熱量が高いものは自分にとってメリットがあるモノだったりなくてはならないモノという位置付けになる。同じチームにいても価値観が違う、優先順位の付け方に違和感…というのは大なり小なりあるもので、特に学生を卒業したあとの社会に出てからのコミュニティというか集団の中ではよくあることなのかも、と思ったんです。

例えば。

とあるスポーツチームに属していたとする。

チームの目標として全国大会に出る、○○で優勝する、昇格する、といった掲げた目標に対してチーム全員が一丸となってその達成のために個々が努力するのが当たり前…だと思うんだけど。当たり前なわけではなく。その、努力の度合いって人それぞれなわけで。自分ではものすごく頑張ったと思っていても、他の人から見たらもっと頑張れんじゃん、なんて思われたりもするわけじゃん。ま、この話はちょっと本題から逸れちゃうけど…そこの、ね。頑張ったかどうかの指標って自分で決めるもんじゃないとワタシは思っているので。

その頑張る度合いっていうのも捻くれた見方をするならば(自分で)頑張っても報われないとか、自分の時間とかを削って努力することがアホらしく感じて来たり、何やってんだろ…なんて思い始めたらそれはもうそこで頑張ることにメリットを感じなくなってるわけですよ。メリットなんて自分で作り出すモノなのに"何かのせいにして、メリットを感じないなんて言う。さらには自分の時間を削ったり犠牲を払ってまでやることにメリットを感じない=デメリットだと感じる。。それって、何か虚しいなぁって思うわけです。

好きでもないことなら、仕方がないかもしれない。けど、世の中好きなことだけして生きていけるかって言ったらそんなことはないし、デメリットを上回るほどの好きとか愛情を注げるモノこそが本当に好きなこと、やりたいことだと思うしね。

メリットがあるか否かの判断基準が肩書きとかお金とかではなく、自分にとってリアルな利益…例えばどのくらいの時間を誰と、なんていう充足感みたいなもので、今いる環境に対してメリットないなぁ…なんて感じられて帰属意識や熱量が薄れてしまうのってものすごく虚しい。だって、そんな環境を作りだしてる要因に、メリットを感じてない自分も含まれてるわけで。無意識のうちにそのメリットを感じない環境づくりに自分も加担してしまってることに気付かなきゃ。本当にメリットがない!こんなん違う!と思う人はきっと行動する人。

誰か一人だけが頑張るんじゃなくてさ。

自分のその今いる環境を胸を張って自慢出来るような、周りがちょっと羨むようなモノを自分たちでつくろう!っていう人間の集まりは魅力的で自分もその一員になりたい、とメリットを感じさせるモノになるんじゃないかなって。

良いか悪いかは別にして。

ワタシはメリットデメリットで物事を判断することはほぼほぼない。やりたいかやりたくないか。やりたくなくっても、その先にそれを乗り越えたらやりたいことの幅が広がる…なら、それは"デメリット"ではないわけ。

今いる環境をボヤく前に、やれることがないか、自分自身はどうなのかを省みる癖をつけたい。本当に嫌ならメリットがないと思うなら。そこを手放すくらいの勇気がないと、自分のつまんない状態をただただ相手や環境のせいにして責任転嫁しちゃってるだけで格好悪い。

それは嫌だなぁ、と思うのです。

 

何もせずした気になってボヤいたり環境や誰かのせいにして責任転嫁するような

 

ストロングポイント。

日曜日のお楽しみのドラマが佳境に入ってきました。見終わってからのTwitterでの考察を見るのもまた密かな楽しみです。

考察を展開してる皆様の洞察力には頭が下がります…ミステリ好きなイシイはただ口をぽかんと開け画面に見入ってるばかりでドラマが終わる頃には若干の疲労感が…(笑)そんなお気に入りのドラマの公式はこちらです( ´艸`)

https://www.tbs.co.jp/tengokutojigoku_tbs/

自分の強みって何だろう、誰か教えてHelp me,とサラッと書いてみましたが…誰も教えてくれませんでした(爆笑)

でも、思うんですけど…『強み』って、何なんすかね?(笑)長所?特技?ストロングポイントって言ったりもするよね?『強み=長所=優れている点』…ってことかな?ここで引っ掛かるのは『優れている』っていう言葉なんです。

優れてるって聞くと、人より飛び抜けて良くなければ優れてるっていう事にはならない…って感じがする。まことに厄介極まりない。"優れてる"の水準って自分では決めにくい。ちょっと、ね、調べてみたんです。強みとはって。そしたら就活生向けのページが多く出て来る…(笑)アタシ、今就活生だったらどこにも引っかからないかも。。そもそもアレだ、就活らしい就活したことないから今になって悩んでるのかな…。

一度だけ受けた一般企業の二次試験、集団面接。何が何でも受かりたい!って気持ちで臨んだわけじゃなかったから周りの目なんぞ気にせずに自分の想いをぶつけることが出来たと思う。もちろん、ワタシの熱い想いはその企業のプラスにはならないので当然、結果は玉砕でしたけど(笑)それ以降、受けたことがあると言えばフィットネスクラブのアルバイトの面接。そりゃ、経験値もあると自負してたし、それこそ根拠のない自信だけど、それなりに戦力になれる自信もあったよね。

でも、そもそもフリーランス

そう言ったバックがなければ自分から売り込まなければならないのは当然のこと。

有難いことに…今まで頂いたお仕事って、ほぼほぼ口コミだったり、どなたかが繋いでくださったものなんです。有難い。有難いです。ぬるま湯で出来る気になってただけ…なんじゃ?!っていう、自己肯定感の低いこと低いこと(笑)

でも正直、、こう言う人のトレーニング指導したい!とかあそこのトレーニングに携わりたい!!とか熱望的なものは、、ない、気がする。だからって全て受け身なわけではないですけど…(^◇^;)ここで出てくるのが、何を強みに自分を売り出すか、なんですよね(笑)

レーニングに関する情報なんて、YouTubeやググれば無料でたくさん手に入る。お金を払う価値があるものって何なんだろう。その価値のある側の人であるためには、、どうすればいいんだろう。割と安いと思ってます、ワタシ(笑)でも安売りする気は毛頭ないし、気持ちよく仕事出来る相手としか仕事はしたくない、と思ってるからこその料金設定です。お金や地位とかそう言ったもののために割り切って仕事を引き受ける、というのはない(と言っても、そんなことはそうそうあり得るわけではない)。前回も書いたように、他の誰かでも出来ることでさらに気持ちよく仕事が出来ないならアタシじゃなくたっていいじゃん、と思ってしまうので(^◇^;)

コロナ禍で副業やパラレルキャリアは当たり前な時代になり、若くして巨万の富を築いている見た目は平凡な若人(笑)を見ると少々…?胸が苦しくなる。羨望とはまた違った苦しさを感じずにはいられない。

どうやったら選ばれる側の人間でい続けられるのかな…独り言とはいえ、こんなこと書いてもメリットはないと思うけれど(笑)考え、悩みモヤモヤしてる今も、無駄ではなく大切だったといつか会える日が来るように。出来ることを、コツコツと。

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【大好きな⁦‪@mitsuyuka_lp‬⁩さんの写真より】

トリセツ。

一月往ぬる二月逃げる三月去る。

[いちげついぬる にげつにげる さんげつさる]

この時期になると思い出すこの言葉(アタシだけ?)。コロナ禍で明けた2021年もこの言葉の如く、2月は逃げるように過ぎていき、あっという間に今日は3月5日。二十四節気でいう啓蟄に相応しく暖かい日だった。

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自分の取扱説明書をすらすらと言える人ってどのくらいいるんだろう。残念ながら、ワタシは言えない。自分でも取扱に困ることがあるくらいで、出来ることなら欲しいと思うほど。

意外と、自分のことって自分でわからないもんなんじゃないか、なんて正当化してみたり。

だって逆に取説すらすら言えるくらい自分のこと知ってたら、それが知ってる、じゃなくて知ったつもりで自分のこと勘違いしてたら…もったいない、こと、あるかもしれないし。

抽象度の高い自分の情報を、日々自分の状況や
心の動きを観察して、自分の中にそれを具体例として落とし込む。その作業こそが『自分の取扱説明書』を日々アップデート、成長させていくのだ、という言葉に出会った。

わかるような、わかんないような。

頭ではわかってないけど、心ではなんかちょっとわかった気になってる感じ。

抽象度の高い自分の情報、なんてのも自分の感情と素直に向き合ってどうしてそう感じた?その結果どうだった?っていうものの積み重ねなのかな。

他の誰かでも出来ることでなら、自分じゃなくても良くない?と思ってしまうタイプ。

じゃあ何か、自分にしか出来ないことがあるのかと言われたらちょっと口籠もるけれど、他の誰かでもお願いできることも『御指名』であれば意味は変わる、けど。

自分にしか出来ないだろうことを追いかけたいし身体張ってやりたい。それが何かが、断言出来ない…のは覚悟がないからなのか、自信がないから、なのか。

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自分で認識していない、知らないものは見つけられないけど、知っているものは見つけることも探すことも出来る。。

思い切って、聞いてみようか。

『アタシの強みって、何だと思う?』

『アタシのいいところってどんなとこ?』

って(笑)

でも、さ。

いつの間にか発信することに、二の足を踏むようになってるワタシ。No action, No reaction.

頭ではわかってるのになぁ〜っ😂

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HPはこちらです(*´꒳`*)
https://peraichi.com/landing_pages/view/toughnessfighter


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煮え切らない。

自分って、何なんだろう。

的確に簡潔に説明出来る人ってどんな脳みそ…思考回路してるんだろう。

アタシはそれが良いか悪いかは別にして割と自分のことを客観視出来るタイプだと思ってる。自分の嫌なところや面倒くさい性格も蓋をせずに受け止めてるし(つもり)、ネガティブな感情は何に執着した結果なのかも一応は考える。

脳は変化を嫌う。だから都合のいい言い訳を探した結果、そのネガティブな感情はそんな脳みその性質から生まれてるんじゃないか。本当のところ、どう思ってるんだろう?と自分のことなのにわからなくなる。

他人から見たアタシと自分で思ってる自分はきっと一致していない。どっちが正解なのかは、わからない。

ワタシの『今』は。

20年くらい前のワタシが望んだ、割とその通りの理想の未来を生きてるとは、思う。

でも満たされない気がするのは…何でだろう。

心の地盤を整えるのが、現実を動かしていくための近道だよって言葉を目にした。

ワタシの本当の望みは何?本当の望みにブロック掛けてるの?何で?それすらわからない…w

Action always beats reaction.

行動を起こさなければリアクションもない。

それは、わかってるんだけどなぁ…。

行動って、どう起こすんだっけ…。

心が麻痺してるのかなぁ。別にチャレンジ精神がないわけでもなく、、そこまで全てを掛けてチャレンジしたいこともない…(探そうとしていないだけ?)なのに、うまくいってる、キラキラしてる周りが羨ましく思うのはお門違いでは?

とも思うし…。

煮え切らねぇ、なぁ。

あ、病んでないですよ(笑)

自分が、わかんないだけです。

 

優しい世界。

他人の不幸は蜜の味。

よく言ったもんです。TVやマスコミはこぞって失言や失態や不貞をピックアップして問題提起する。

当然のことながら、、失言も失態も不貞も、誰にでもあることで。良いか悪いかと問われれば良くはないだろう。でも、その後の対応や再起にブレーキをかけたり、不能になるほど追い込むのは『社会的制裁』と言えば大義名分かもしれないけれど、、如何なものか、とも思うわけで。失言も失態も不貞も、当然のことながら被害者と加害者がいる。やってしまったことは仕方ない(では済まされないことも承知の上で)なぜそこに至ったかも重要だと思うわけで。

男だからとか女だから、とかくだらないなぁ、と思うわけで。そこに食いつくのは、そこを気にしてるからであって。男だからやりやすいこと、女だからやりやすいことはもちろんある。なければ性別なんて要らない。それぞれに役割はもちろんあると思う。でもそれ以上に『誰』が『何を』するか『何が出来るか』が重要だと思うわけで。そこに男だから女だから、と言うのはナンセンスだと思うし、若干の僻みだと思うのはワタシだけ?その人個人として評価したらいいのに。とか言いつつ、ワタシはがっつり男尊女卑…否、古き良き家庭で人生の大半を過ごしてきたので、男性は立てるものと思って仕事をしてきた。とは言え、トレーナーの世界なんて今でこそ女性もたくさんいるけれど、20年前は男ばかりの世界で、しかも、男子のチームに就きたいと思って努力してきた。矛盾するようだけど、男女は平等にならない。でも性別なんてあってもなくても関係ない。『その人個人』を見て評価出来る世の中になれば性別なんて気にならなくなるんじゃないかなぁ…。

何だかなぁと思ったことだけど、万人受けするはずもない考えなのでどこに吐き出そうか悩んだ挙句、ここに。消すかもしれません。

人は完璧じゃないから、過ちも犯す。直前で踏み止まることが出来れば、それもまた誰かのおかげ。人が人に優しくなれる(=甘いとは違う)、懐の広い社会になったらいいなと思うのです。