Monologue〜フィジコISHIIの熱苦しい独り言〜

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。仕事のこと思ってること熱苦しく呟きます。

七夕。

七夕🎋って、いつから日本に浸透したんだろう。知ってますか?

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1月1日の人日、3月3日の上巳、といった日本の五節句も、もともと中国の陰陽五行説が由来だそうですが、五節句にみる七夕はお盆にも関係する先祖を祀るための日本古来の行事だとか。

そして何と言っても驚きなのは奈良時代には既に中国の七夕が伝来していたそうで。

万葉集などの和歌集をみても、多くの歌に七夕が歌われていました。驚き。

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このゆふべ 降りくる雨は彦星の

早こぐ船の 櫂の散りかも -万葉集-

七夕の夜に降る雨を、織姫に逢いたい一心で彦星が漕ぐ、櫂から滴るしずくに見たてた歌。

美しいなー。

陰暦七月七日に降る雨を

『洒涙雨(さいるいう)』とも言うんだそうです。(日本語のこういうのが好き)

この雨は彦星と織女が逢瀬のあと、別れを惜しみ流す涙。

あるいは逢瀬が叶わなかった悲しみに流す涙ともいわれる雨。

いずれにせよ、号泣レベルを超えた九州地方の大雨が早くあがりますように。

これ以上甚大な被害が起きませんように。

どうか現地の方々に一刻も早い安寧が訪れますように。コロナ禍とのダブルパンチは悲惨すぎる。

七夕の今日。

もしも、一つだけ願いが叶うとしたら何を願いますか?

九州地方の雨があがりますように。

" ねぇ、今から晴れるよ。"

(作品観てないから台詞しか知らないけど)

そんな魔法が使えたらいいのに。

 

コントロール。

環境、ルール。それぞれが抱える"自分ではどうしようもないこと"が存在するのは仕方がないこと。

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先日、行われた女子ゴルフ⛳️の大会で予選落ちした彼女が(自粛期間中)自分ではやっていたつもりだったけど、もっと死ぬほど練習しないとダメなんだな、的なことを言っていた。


そう、そうなんだよね。
彼女はプロだけどさ。

このコロナ禍でプロはもちろん、アマも学生もみんな、自分ではきっと頑張ってる。頑張ってたと思う。


自分はこれだけやった、という達成感はもちろん必要。その積み重ねが自信になる。(一歩間違うと慢心になりかねないという懸念もある)


でも、他の人はもっとやってるかもしれないという危機感を常に持つことも必要だと思うわけで。

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昨日よりも今日。今日よりも明日…

それが" 自分でコントロール出来ること "。

不安に苛まれてばかりでも進めない。

ただ過剰な自信は油断と慢心になりかねない。昨日の自分よりも1mmでも先に、上に、行くこと。その積み重ねの先に記録とか勝利とか目指すべきもの、たどり着きたい場所があるんだと思う。

やれないこと、制限されることは確かに多い。
その中でいかにやれることを見つけて死ぬ気で(はオーバーだけど)頑張れるか。

なかなか、そこまでやれるって難しいんだけどね😅💦それも、わかってます。

でも、勝ちたいと思うなら…選手には求めたいところ。出来なかったから仕方ない、で負けたくないなぁ…。今すぐ試合があろうがなかろうが関係ないとは思うものの。戦うのは選手だからね。それは強要すべきことではない。信じましょ、選手たちを。(と自分に言い聞かせる)

まずは自戒の念を込めて。

自分でコントロール出来ることで、しっかり努力しよう。しいてはそれが自分のために、そして選手のためになる。

トリセツ。

簡潔に、自分のことを話すとしたら。

『情に脆くて熱血だけど、面倒くさい奴』。

どーも。フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

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久々のオフ。剛をBGMにシフォンケーキ。

今日は暑いからレモン🍋ヨーグルト。

さて。自分のことを簡潔に説明すると?です。

情に脆くて熱血🔥押し売りはしてないつもりです。ここは自他共に認めるところかと。

問題はその次の『面倒くさい奴』。

何が面倒なのか(笑)

あ、興味ない人はここまででいいです。ここまでですら読んで頂いてありがとうございます🤣

結構、いろいろと考える方です。

学生時代はそこそこお勉強出来た方だと自負してますが、今はそんなことはなく覚えられる量とか少なくなってきた気がするし忘れっぽいし。そんな自分にがっかりすることも多々😅

特に自分の感情に対しては蓋したり気付かないフリしないで全部素直に向き合うことにしてます。基本ネガティブ(デリケート…よりはセンシティブ?)なのでその感情が強くなると自分を責めがちで無理にポジティブに、なんていう自己啓発の教えは到底無理。あれこそ反動が大きくて余計に苦しくなる😅

恐らく、元来負けず嫌いであるとは思う。

その矛先はもちろん自分に向けられてるんだけど。悔しいとか羨ましいとか、いつだってそういう感情と生きてきた。隣の芝生は青い、と言うようにもしかしたら他の人から見たイシイも、もしかしたら羨望の眼差しの対象になっていたかもしれないけれどそれは本人の知るところではない。

羨ましいってあまり思ったことがない、と言う友人がいた。正直驚きだった。羨ましいならその人と人生交換する?って言われてもそれは首を横に振る。じゃあ、羨ましいって思う対象って何だろう。

ほら、こういうところ。

面倒くせーなって思うの(笑)

話せる人もいないしうまく話せる自信もないからここに吐き出してるわけですが。

羨ましい、悔しい。

その影に隠れてるのはどうして自分には出来ないんだという想い。自分だって。多分、そう思ってる。でも思うだけじゃ叶わないのよね。努力しないと。でもその努力の方向を間違えちゃいけない、と思うわけ。

負けたくない、見返したい。

それも立派な原動力。

でも、ゴールはそこじゃない。

悔しいな、羨ましいなと思った対象を見返して満足?成功と言える?ただの自己満足じゃん?自分のゴールは見返すことで終わり?その相手を見返せた証拠は?…ね、所詮自己満足。自己満足だって必要なときはあるけども。

誰かを見返すためだけの努力って、虚しいなと思ったのデス。

自分のやりたいこと、目指すべき理想を見失ってはいけない。そこを見失ってしまったりブレたりしなければ、悔しがるのも羨ましがるも、よし。それが全ての原動力になるならば。

 

蓮の花。

駅までの道にいくつかのお寺が点在していて、その中の一つにこの時期になると綺麗な花を咲かせる蓮が植ってるお寺がある。

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そうなんです!

瓶に蓮が植ってて、ずらーーっと並べられてる様が圧巻で。先月あたりから並べられたのを見て、今年も開花を楽しみに今か今かとわざわざお寺の前を通ったりしてました。

蓮の花って、午前中しか咲かないんです。

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ざっと見たところ蕾は片手で足りるくらい。

咲いていたのも2,3輪でした。

福島には平泉中尊寺金色堂に伝わる藤原泰衡の首桶に納められていた蓮の種から開花した『中尊寺蓮』が咲くところがあります。2009年に譲り受けたそうですが、奥州藤原氏って言ったら…もうどれだけの年月を経て現代の世の中に咲き誇っているのかと考えるだけでもうー、浪漫を感じずにはいられない。修学旅行の時に京都の寺田屋で柱の刀傷を見た時と同じくらいの感動です。って、まだ現地に本物を見に行ったことがないのですが…😅

『不染世間法 如蓮華在水』
(ふぜんせけんほう にょれんげざいすい)と法華経の経典にあるそうです。


“世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し”
泥の中にあっても汚れることなく美しい花を咲かせる蓮。

人間にも同じことが言えるのでは、と。
環境が与える影響はもちろん大きいけれど、どんなところにいても諦めさえしなければ花を咲かせることは出来るんじゃないか…と蓮の花からいつも勇気をもらいます。

顔で笑って、心で泣いてじゃないけれど、

底抜けに明るかったりいつもニコニコと笑顔を絶やさないような人って、以外と壮絶なバックグラウンドを持ってたりします。そこに触れた時に、その人の魅力がさらに増すんです。


見えなかったり、目立たなかったりするところでの泥臭さや苦しさ、壮絶さにどれほど耐えて花を咲かせるか。
苦しさも泥臭さも程度は人それぞれ。でも心に決めたことはどこにいても、どんな状況になっても諦めたくないなぁと思います。

あ、今日引いた御神籤に書いてあったな。

今は叶わぬことが多いかもしれない。耐えることが必要って(笑)

犠牲。

ある目的のために身命や大切な物、事をささげること。また、その捧げ物のことを【犠牲】という。『仕事のために家庭を犠牲にする 』なんて言葉、耳にしたことありません?

犠牲って、何なんでしょう。

好きな人、好きなことのためならどんなことも厭わない。睡眠時間を削ろうがお金がかかろうが、ちょっとやそっとのことは犠牲、とは感じないはず。

だとすると。

犠牲と感じるのはどちらかと言えば嫌い、苦手、つまらないなどマイナスなものに対して働く感情なんだと思う。いや、好きな部類のものであっても最優先されるレベルの好きではないということになる。

何を、どの程度を、犠牲と感じるかは人それぞれの価値観による。強要できないもの…強要しちゃいけないものだと思う。

アタシは今まで何一つ犠牲と感じたことはない。友達との約束よりも結婚式のお呼ばれよりも(これはマジで申し訳ないと思ってます!)エントリーしていたマラソン大会さえも!キャンセルして、チームのこと、選手のことを優先させて来た。それを、犠牲と思ったことは一度もない。その時は申し訳ないけど何よりもその仕事がいちばん大事だった。だから、友達少ないんだろうな😅

アタシの相方も、同じ感覚の持ち主。(一緒にするなって言われそう😅)

好きなもので、自分の人生を作ってきた…って言ったら言い過ぎかな(笑)好きなものを好きって言って生きてきたからこそある『今』だと思ってるから、それを最優先に考えてる。でも彼もまたそれを犠牲と思ったことがない人だから、アタシも一緒に居られるんだと思う。

多分、こんな二人は珍しいと思う(笑)

自分たちが好きで選んだことだから犠牲だなんて思ったことはない。休みを合わせるのも、どこかに出掛けるのも全て二の次。いいんです別に。自分たちはこんなにこうなのに、チームは選手は…そこは、思うことありますよ、もちろん(笑)でもね、決して、頼まれたわけじゃないから。そこは強要できないから仕方ない。それだけの魅力がない、それを上回る何かが他にあるということ。

いつまで2人でこうして生活してくのかな、とも思うこともあるけれど。

明日から急にチームがなくなります、って言われたらどうなるかな。

きっと、とんでもない虚無感というか喪失感に襲われて、今まで何だったんだろうってもぬけの殻になりそう(笑)

どれだけ最優先に考えてても、自分の力の及ばないところで何の前触れもなく、いともあっさり急に無くなることもあるんだろうな。。

なくなることを考えてても仕方ないから、今を全力で全うするだけです。

犠牲だなんて思わない。

これがワタシの人生だ。

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フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイでした。

Let's Think.


いろんなSNSを見る、観る。

若い世代のコたち(人生の諸先輩たちからみたらイシイもその部類に属することは分かっているが)のエネルギーの大きさや自由な発想力、行動力に驚かされる。

根本にあるのは自分のやりたいこと。

それを仲間を集めたり、自ら切り拓いていくために持論を発信したり。

20歳も離れると異次元で、そのPowerに圧倒されそうになる。

やったもん勝ち、とはよく言ったもので、若さゆえ勢いと熱量で突き進むことが出来る。羨ましいなぁと思う反面、自分はいつからそんな歳を重ねた振りをしてるんだ?と問いかける自分がいる。伊達に歳ばかり重ねて来たわけじゃないだろう。20年も"自己流"に生きてきたこと事態がチャレンジの連続なのに、新しいことにチャレンジしようとしたり、何かを変えようとすると、ワクワク感よりも諸々のリスクの可能性の方が高波のように押し寄せてくる。

20年前は、自分も『やりたい』想いが先行して、それを叶えるためにどうしたらいいのか考えて、考えたそばから行動に移して…一日があっという間だった気がする。楽しくてあっという間、というよりはいっぱいいっぱいでそれが心地良くて、何もない日をつくるのが怖くて仕方なくて…今思えば余裕はなかったと思う。

ここ10年くらい、自分と向き合うことに時間を割くことが嫌じゃなくなった。というより自然とそういう時間が増えてった。ライフスタイルの変化がそうさせたのかもしれない。

そして、今回のコロナ。

さすがに自分の生き方を再構築しなければと尻に火がついた。

在宅で済む仕事が増え、WEB会議にWEB面接、しまいにはリアルとオンラインで漫才も出来てしまうほど進化した技術。買い物すら、ネットでポチッとすれば宅配便が届く。

前々から囁かれてはいたけれど、

生き残る仕事って何だろう…

わざわざ足を運ばなくても大抵のことは家で済んでしまう。と、なるとフィットネスクラブって、パーソナルトレーニングって、健康維持って…どうなっていくんだろう。コロナ禍で一気に需要が増え、自宅でやるのも悪くないじゃない、と思った方も多いはず。動かなくてもいいことに慣れて、気付けば筋力、体力がおそろしく低下していた、なんて笑い事では済まされない。

フィットネスクラブに足を運ぶよりも手軽にメニューもトレーナーも選べる時代になった、と言うべきか。(人によってはリアルに見て選ぶよりも躊躇してしまう可能性もあるとは思うけど)

届けたい人へ届けるためには、そして選ばれるためにはどうしたらいいか。それはリアルでもWEBでも変わらないとは思うけど、それをしっかり構築していかないとこの先、ワタシの存在は必要ない部類に分類されちゃう(笑)

スポーツも、何のためにやるのか。

試合がなきゃ、練習もトレーニングもやらない?いや、そりゃ優先順位や頻度は変わってくるだろうけど…試合のため、だけは寂しい。

そしてそこで帰属意識も薄れていくのはさらに寂しい。

何のために、やるのか。

試合があればもちろんそれに向かって練習の内容、強度を決めてそこにトレーニングがプラスされる。もちろん、試合で勝つためなんだけども。。それだけじゃない、よね?その競技を、そのチーム(場所)でやることの意味。是非『それだけ』じゃなくあって欲しい。それは、キレイゴトなのかな。

何のために、やるのか。

考えよう、理想の明日のために。

生きたい未来を生きるために。

 

魅力。

フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。

『魅力』って、持ってる本人やその中にいる人にはなかなか気付かないもんなのかもしれません。人の心をひきつけて夢中にさせる力。それが、魅力。

それは強さだったり、

チームを構成している選手たち人間だったり、

チームが所属するリーグのレベルだったり…

どこに魅力を感じるかは人それぞれ。

逆に言えば、当事者が何もActionを起こさずとも人や情報が集まってくる、というのは何かしら大なり小なり魅力を感じてくれてるという何よりの証拠だと思うわけ。どんなに強くても、どんなにいい選手が揃っていてもギスギスしてたりしたら…なかなかあそこでやりたい、と思ってくれる人やそこに誰かいい人を紹介しようなんて思わないはず。スポーツに至っては(他も同じことかもしれないけど)最大限の魅力はそのチームを構成する人間であって、強さやレベルって"装飾品"でしかないと思ってます。

きっかけは、その装飾品に目がいくかもしれない。装飾品が魅力的というのは最強だもの。ただでさえめっちゃかわいい娘が可愛らしい洋服だったり、カッコイイ洋服に身を包んだら、さらにその娘の魅力を引き出すことになるじゃん?(どんな例えや/笑)

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装飾品さえ立派でブランドものであれば中の人間はどうでもいい。それは、そこを踏み台にしてステップアップしようってことだけを考えてるんじゃないかな、と。

まぁ、それも悪いとは言い切れないけれど。

帰属意識も何も生まれないし、信頼関係も築けない。結果として…評価されるとしたらそれは本当の能力者、一握りかな、と。

あくまで、アタシの持論ですけどね。

装飾品は見た目の魅力。それはもちろん大事な魅力だけど、それだけではボロが出る。

いざ中に入った時に、その魅力が半減しない、むしろここに入って良かった、ここで頑張りたいと思えるチームでありたい。魅力が蜃気楼じゃダメなのよ。その失望感は信頼を失うことに似ていて、取り戻すことは難しい。

何でそんなこと思ったかっていうと、うちのチームに(きっと)何らかの魅力を感じて来てくれた選手がいる。チーム内でも1,2を争う高いモチベーションの持ち主であることは明らか。彼がきっと、このチームに良い風を吹かせてくれる。そういう人間が、立て続けにチームに加入してくれるというのは冥利に尽きる。

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彼らのモチベーションが下がらないように…とそこだけにフォーカスすることは無論ないけれど。いかに魅力あるチームであり続けるか。

チームをマネジメントすることはHCやスタッフの仕事かもしれないが…結局のところ、チームマネジメントのたどり着く先はセルフマネジメント力だと思ってたりするわけです、社会人なら。そこにさらに強さというブランド力が加われば、黙っていても人も情報も集まって来るんじゃないかな、と。

とは言え黙っていても、というのは外に向けて、ということ。自身(チーム)の向上なくして魅力は生まれないし継続されない。

戦うべきはいつも、己ってことですかね。